歌うたいたちのバラッド
あなたは父のよろこびです。
歌が流れると、全て理解するに至りました。
遠くなっても、体がなくても、ずっと想っている。
心は、制限がないから。
境目に現れる祠を見つける
カウンセリングの臨床ではときおり、不思議なことが起きます。
私は割と、いやだいぶ、感覚を拾うタイプのカウンセラーです。
より多くの人に伝えられるように、言語表現の研鑽をしていますが、感じているものや伝わるものは抽象なので、概ね言語化が難しいです。
抽象を、抽象度の高いままでも、具体に落とし込んで表現するにしても。
感じているものの選別だけはきっちりしています。
エゴによるものか、愛に基づくものか。
感じているものが愛だと、迷いがありません。
個人的な感覚だと、そうなっているのが自然で違和感がない、つまり、総じて「普通」な感じが、愛です。
エゴはやかましくて、どんなに美しい表現でも、どこかに攻撃性の匂いがあります。
深層心理に分け入っていくほど、普段の意識レベルとは異なる層でコミュニケーションをしています。
不思議なことは、起きるときは起きるのです。
原理的に、カウンセラーもクライアントさんも受容できる範囲のことしか、カウンセリングの場では起き得ません。
ですが、普段の意識レベルからだと、だいぶ変な人に見えます。
出来事の渦中でも、主観ど真ん中でも、客観的だったり、一段高いメタレベルと呼ばれる視点だったりを、人間は必ず持っています。
メタレベルからの認識を、メタ認知といいます。
臨床では、メタ認知をしていたいものです。
変な人に見えることを認識しているのは、逆説的に、狂気ではなく正常だと認識していることもわかります。
とはいえ現場では、冷静な視点を持ちつつ、郷に入っては郷に従え的な感覚で、色々とやっているのですが。
例を挙げてみましょう。
私をカウンセラーに育てた先輩カウンセラーが、まさに私のようなタイプ。
クライアント時代の、もうとっても昔の話ですが、ある日面談カウンセリングを受けていたら。
ぼんやりとした何かが見えてきました。
オレンジ色っぽかったです。
像は結んでいないけど、はっきりと「ある」もしくは「いる」のがわかる。
私は、アンテナそのものの感度はかなり高いのですが、視覚にはつながっていないようで、いわゆる視えるタイプではありません。
すごく珍しいことが起きているので、オレンジ色のぼんやりした何かを凝視してしまいました。
すると。
先輩の視線が、私が見つめているものと同じものに注がれていることに気づきました。
私は訊いたのです。
見えてるの?
答えをすっ飛ばし、先輩はなんと。
話しかけていました。
オレンジ色のぼんやりした何かに。
君、悪い人?
咄嗟に思いました。
(もし悪い人だったら、はいそうですと答えるかな……)
面白いもので、私は心で先輩にツッコんだ時点で受け入れていたのです。
オレンジ色のぼんやりした何かの姿で、何かがそこにいることを。
メタ認知していたからこそ、先輩はさっさと状況を受け入れたのでしょう。
おかげで、客観的に観察することができました。
攻撃性は感じられないし、そうなっているのが自然で違和感がない、とても静かで普通な感じでした。
悪い人ではなかったようです。
愛だったのでしょう。
先輩と、当時の私の感覚が強く共鳴して何かが起き、見えたのでしょう。
意識は、どちらもいわゆる変性意識の状態にあったはずです。
もちろん正気です。
もし私の内的な統合が失調していたなら、私には見えても、先輩には見えなかったように思います。
変性意識って、よく誤解をされるのですが、狂気ではありません。
自分を失っているのでも、コントロールが効かない状態でもありません。
テンションが高すぎるのでも低すぎるのでもありません。
何かに恐れおののいてもいません。当然闇堕ちでもありません。
はたから見ると、すごく普通の人です。
至って正気を保ちつつ、普段とは違う心の領域を感受出来るのが、変性意識です。
先輩と私の場合おそらく、普段と比べものにならない状態で、アンテナの感度が高くなっていたのだと思います。
シュートする球の軌道が見えるなどと言われる「ゾーン」に入っている状態や、瞑想や呼吸法で心が入静している状態と同じでしょう。
まあ、どっちも感覚が鋭敏な、エネルギー班なので仕方ありません。
あれからずっと。
不思議なことが起きても、まあそういうこともあるだろう、くらいの感覚でやっています。
現場って、そういうもんです。
どんな仕事でもそうですけど、セオリー通りに行かないことなんて、いくらでもありますよね。
郷に入っては郷に従えなのです。
以下、ご本人の許可を得て書かせていただきます。
歌い手、奏流(そうる)さん。
カウンセリングをさせていただいています。
夢を叶えるプロセスをともに歩ませていただいています。
本気で歌手になる。
先日の面談カウンセリング。
心理セラピーのために、かけようとしていた曲が、かかりません。
何度やり直しても、プレイリストを作り直しても。
再生はタップできるけど、曲も流れなければ、インジケータのカウントアップも始まらない。
想定していた流れが、違うのか?
そう思った途端。
伝わってきました。
「曲が違う。」
声としては聞こえません。
だけど、わかったのです。
ああ。
亡くなったお父さんだな。
奏流さんの。
諦めきれない夢を、諦めなくていい
カリスマ性。
溢れる魅力や、リーダーシップを取れる力。
隠れることなく自分を顕し、才能を存分に生かしながら周りにインスピレーションを与えたり、貢献できる力がカリスマ性です。
豊かな生命力で、みんなに憧れられる人、と言ってもいいでしょう。
誰にでもカリスマ性はありますが、封印されていることが多いです。
人格から分離しているとも言えます。
いいとかダメだとかの短絡的な話ではありません。
なんらかの事情でそうなっていることに、人生の課題があるのです。
分離されたものが統合されるとき、人は魅力や才能を受け入れて大きく成長することができます。
より大きな自分になると言えるでしょう。
なんらかの事情を、ただの悲しい出来事として抑圧してしまうか、誰かや何かのせいにしておくか、成長課題として捉えるかは、その人の意欲と誠実さによるところが大きいです。
なんらかの事情はときに、とても辛く哀しく、大きな胸の痛みを伴っていることがあります。
なんで自分だけがこんな苦労をしないといけないのだ、と思うことだってあるでしょう。
だけど、時折いらっしゃるんです。
どんな難題でも味方につけて、乗り越えようとする人が。
キツい状況を誰かのせいにせずに、自分が変わっていこうとする人が。
ついつい。
応援したくなるのが、カウンセラーという生き物です。
実人生において、その人にとってのカリスマの象徴に、遠く距離があることがあります。
物理的にも、心理的にも。
するとなぜか。
叶えたい夢があっても、何度も同じところでつまづいたり。
客観的に見て、あとちょっとなのに、というところで諦めて引き返したり。
評価されたり、ハネたり、ブレイクしたりする寸前で、あり得ない失敗や、病気になったり怪我をしたり事故を起こしたり。
自分にとってのカリスマ、つまり権威の象徴との間に距離があると、才能を顕してゆくことや成功することに抵抗が出てきやすいのです。
「権威との葛藤」といいます。
幸せなパートナーシップを生きることや、仕事で昇進したり、成功したり、有名になる、売れる、などなど。
誰かから見て憧れの対象になるような、「権威」のポジションになることに無意識に葛藤してしまい、幸せから遠ざかってしまうのです。
誰かを幸せにすることが出来なかったという誤解、つまり隠れた無価値感を強く感じていればいるほど。
ここいちばん、というところで。
こんな自分が幸せになるなんて、と、無意識に思ってしまいやすく、急にやる気を失ったり、嫌なことしか目につかなくなったり、悪い想像しかできなくなったり、自分から関係を壊したりするのです。
ちなみに、相手が愛そうとしてくれたときに怒りが出てきて難癖をつけたくなったりとか、いわゆるマリッジブルーとかも同じ原理です。
人がいちばん恐れるのは、死ぬことではなく、愛されることなのです。
もちろん、深層心理の話なので、普段は自覚できません。
なんとなく、叶えたい夢がいつも遠い感じになるでしょうか。
親を許すは一生などと言いますが、どんな人でも一番身近な権威は親です。
良くも悪くも親子関係は、その人の人生に強く影響を及ぼすのです。
開けていない扉
肉体の性別とは関係なく誰でも、心には、男性性と女性性がある、と考えられています。
男性性は父親、女性性は母親と深く関係があり、ご両親がどういう人格かや、どういう人生かに関わらず「自分は父や母のよろこびだったのだ」と感じられると、葛藤して受け取れずにいた生命力が流れ込んできて、男性性も女性性も豊かになっていきます。
カリスマのごとく、パワフルになってゆくわけですね。
クリエティヴィティやインスピレーション、アートは女性性の力です。
一方、想い(クリエティヴィティやインスピレーション、アート)を、形にしたり、実行したり、前進させたりするのは男性性の力です。
想いを現実化する力、と言ってもいいでしょう。
仕事や、自分の才能を活かすことで成功してゆくなら、リソースはあっても形にする力が弱ければつまづきやすいのです。
内的な男性性と女性性が統合されていると、本当に生きやすく、遮るものがなくなっていきます。
心の世界は、現実に再現されるので、もちろんパートナーシップもとても良好になり、幸せを感じやすくなります。
いちばん身近な男性性の権威は、お父さんです。
想いを現実にしてゆくことと、お父さんとの関係は、実はとても大きく関わっています。
離別や死別で不在だったとか、愛しにくかったり許しにくかったりする人で大嫌いになってしまい距離を置いたとか。
なんらかの事情で、お父さんとの距離が遠いと。
ポテンシャルはあるのに評価される場所に出ていけないとか。
いつもいい線は行くんだけどあと一歩で逃してしまうとか。
今ひとつ自信がなくて、意思や想いをはっきり伝えられないとかの理由で、努力と評価が見合わなくなることがあるのです。
奏流さんから歌手を目指していると伺ったとき、なんかちょっとすごい話を聞いてる気がする、と思いました。
いや無理でしょ、ではなく、あ、これ叶うわ、と感じたからですが。
ものすごい可能性を感じると同時に、乗り越える必要のあることもたくさんある、と感じました。
ちょっとキツい道のりになるかもな、とも。
しかし、一度言い出したら、人の言うこと聞かない感じがものすごくしたので(笑)、多分止めても無駄なんだろうなあ……とも思いました。私も同じタイプなのですごくわかるのです。
ちょっと、いや、いっぱい壁にぶつかるだろうなあ。
でも、叶えちゃうんだろうなあ。
現状維持の方が楽っちゃ楽なんです。
退屈さにすら、ある種の満たされた幸せがあるとも言えるのです。
でも、どうしても諦められない夢があったり、どこかで自分に嘘をついているような感覚があると、人は現状維持の選択をやめて変わろうとします。
ところが隠れた才能が大きければ大きいほど、難所もたくさん出てきます。
うわー、そっちの方がめちゃくちゃ大変ですけど。
きつい方選んじゃう人ですよね、奏流さんって。
と、言ったことを覚えています。
だけど。
ついつい。
勇者を応援したくなるのが、カウンセラーという生き物です。
自分の才能を与えて生きるようになるって、ひたすら才能を受け入れてゆくプロセスです。
しかし、最大の才能は最大の恐れの下にあるので、才能を受け入れて夢を叶えてゆくのは実はめちゃめちゃ怖いことでもあります。
だけど、怖れの中をたったひとりで歩かなくていい。
ひとりだと、つぶれたり、また引き返したりして、自分を嫌いになっちゃうから。
カウンセラーは、ともに歩くためにいるんです。
少なくとも、私はそうです。
難しいなと感じられる課題をしていただくこともあります。
だけど、ともに歩きます。
少しでも、心丈夫でいていただくために。
ともに歩きます。
どんなに怖い道のりでも、ともに歩けば。
光さす方角へ行けるのです。
カリスマ性を受け入れていくことがテーマだなあ、と直観しました。
起きていることを鑑みるに、お父さんとの関係を精査する必要があるな、とも思いました。
お父さんのお話は何度か伺っていて、とても関係が良好でした。
奏流さんを大切に思ってらっしゃり、いちばんの味方であることが伝わる。
後ろでがっちり護っている人、という感じ。
しかし、これは私の感覚ですが、奏流さんの歌の才能の出どころはどこだろう? と思っていたのです。
お母さんも、とても歌が上手いとのことですが、でも、才能の形がお母さんルーツじゃない気がする……
でも、お父さんでもない……隔世遺伝かな、いや違う気がする……
どういうことだろう?????
同時に、歌唱は相当努力されてるのに妙だなと思いました。
実力がおありなので、もっとバンっとハネていいんだけど、なぜ?????
雰囲気に表れるものってあるのですが、どこか「開けてない扉」の存在を感じたのです。
お父さんがふたりいる
お母さんの再婚相手の、今のお父さんと。
とても幼い頃に別れた、血縁のお父さん。
奏流さんにはふたり、お父さんがいらっしゃいました。
奏流さんの誠実さは、育てのお父さんから受け継いでいるものだなあ、と理解しました。
愛情深く護ってこられたことがよく伝わります。
おそらく、血縁以上に愛されたんだろうな、とも思いましたし、人格に備わる愛に、血縁の有無は関係ないと言いますが本当だなとも感じました。
歌の才能はきっと。
血縁のお父さんからだろう。
真実を理解し、血縁のお父さんの本当の想いを受け取る必要がある。
そう思いました。
ところが。
とても小さい頃に別れているので、お父さんについて覚えていることがありません。
また、数年前に鬼籍に入られたとのことでした。
私は、すでに亡くなられていたり、離れた親御さんとの間に絆を感じて、愛を受け入れられるようになるカウンセリングを承ることが多いのですが、正直、奏流さんの場合、なかなかのノーヒントっぷりでした。
色々想いを巡らせます。
知らないなら、知ればいいのです。
知ることによって、更なる真実が立ち現れてくることは、よくあるのです。
そして、ある提案をさせていただきました。
ご先祖様巡りをするといいですよ。
別れてしまった親と再会するのは、弊社のカウンセラーがよく提案することなんですが、私にも、音信不通だった父と再会して、現実が劇的に変わっていったという経験があります。
嫌われてなんかいなかった、自分は愛されていたのだと、なんらかの形で感じられるからです。
現実が変わってゆくのは、自分なんか、と感じていた無価値感が癒やされ、自分も誰かに愛されていいと思った心が、現実になってゆくからですね。
実際に、自分を愛してくれる人が現れることが多いです。
どこにいるかわかりません、の場合は、戸籍を調べてみることをおすすめすることもあります。
面白いもので、プロセスが進んでゆくと、意外な形で居場所がわかることもあります。
もう亡くなっています、の場合も同じです。
戸籍を辿って自分のルーツを知ると、亡くなった人がどう生きたかを知ることが出来るのです。
家系図が作れればベストですが、人によってはとっても大変な作業になるために、その人にとっていちばん身近な、自分のルーツに触れる方法から入ることもおすすめしています。
例えば。
お墓参りに行く。
ご存命の親戚に話を聞きに行く。
などなど。
すると、面白いことに、たいてい、何かが起きます。
何かはわかりませんが。
きっと、想いを通して、再会しているのでしょう。
家系から受け継ぐ問題を癒す
つまり、すでに鬼籍に入られていても、また会うことは可能なのです。
もちろん、生きているときに会いたかった、もっと話したかった、と感じることもあるでしょう。
しかし、私の感覚でいうと、亡くなられている人は、肉体がないために、ある意味、私たちが思っているよりずっと、制約からずっと自由なようです。
出来事を読み解いてゆくと、むしろ饒舌に感じることもありますし、生前にはできなかったような援助をしてくれることもたくさんあります。
なんだか怪しげな話ですよね。
でも、冒頭で申し上げたように、まあそういうこともあるだろう、くらいの感覚でいてくださればと思います。
というか、私の臨床では、なぜかそういうことがめちゃめちゃ起きるので、しょうがないというか、受け入れざるを得ないというか、ある種、前向きな諦めがないとやっていけないので、まあそういうこともあるだろう、は、現場的な知恵になっているように思います。
専門的な話を少しだけ。
親子関係の葛藤は、潜在意識のレベルで起きていることと言われます。
しかし、さらに上の世代から課題を引き継いでいることもあります。
無意識のレベルにある葛藤と捉えます。
日本は戦後80年になろうとしていますが、数世代遡ると、戦死者がいるのは本当によくあることで(私の母方にもいます)、そこから男性性や女性性の生命力が流れてこないということは、ごくごくありふれていることなんですね。
人を殺してはいけないし、戦争がありふれていてはいけないのですが、事実として。
葛藤を覚える人、距離が遠い人との間に、絆という架け橋がかかると課題が解消されます。
内的に、分離していたものが統合されるわけですね。
受け取ることが出来なかった愛や生命力が、流れ込んでくるのです。
無意識レベルの葛藤を癒すのに、ご先祖様巡りをするとかなり強力に癒やされていくという実感があります。
ルーツを辿ることになるので、連綿と受け継がれた愛の結果、今の自分があると思えるようになります。
自分は愛されていて、生きる価値があると、本当に多くの人に応援されていると、腹の底から思えるようになります。
奏流さんは、誠実に私の提案を受け入れて下さいました。
本当にありがたかったです。
カウンセラーとしては、感謝しかありません。
方向性は間違っていなかったな、と思ったのは。
ご先祖様巡りを始められて、起きるわ起きるわ奇跡の連続。
お話を伺うたびに、ふたりでめちゃめちゃびっくりしていました。
特に、血縁のお父さんの人となりが見えてきたときは、奇跡がたくさん起きて、ふたりでゲラゲラ笑っていることも多かったです。
気づいてくれて、嬉しかったんでしょうね。
やはり、歌の才能は、血縁のお父さんから受け継がれていたようでした。
そもそもご家系に、芸術的な才能を授かっている方が多く、お父さん自身もかつて、歌手になろうとされていたのです。
痕跡がありありとわかるエピソードが、次から次へと出てきました。
お父さんは、歌を遺されていました。
レコードを一枚、作られていたのです。
今の記録媒体とは違い、レコードは、両方の盤面を使うことができます。
それぞれ、A面、B面と言いました。
シングル版なら両面に一曲ずつ収録されています。
昭和世代には馴染みがありますね。
レコード製作者がメインに売り出したい曲、つまり、いちばん伝えたい曲をA面に、少し違うニュアンスの曲をB面に置くことが多かったです。
しかし、お父さんのレコードはちょっと不思議でした。
どう考えても、当時の想い人への気持ちを歌ったであろうB面の方が素敵で、ご親戚はなぜこれをA面にしなかったのだろうと首を傾げたとのこと。
奏流さんご自身も思ったそうです。
A面は、擬音を中心にした歌詞で、ちょっとふざけているような感じ。
このエピソードを伺ったとき、ふたりで、なんでですかねー、お父さん、恥ずかしがり屋だったんですかねーと解釈したりしていましたが、しばらく謎のまま。
なぜA面だったかがわかるのは、ずっと後になってでした。
再会
先日の面談カウンセリング。
心理セラピーのために、かけようとしていた曲が、かかりません。
何度やり直しても、プレイリストを作り直しても。
再生はタップできるけど、曲も流れなければ、インジケータのカウントアップも始まらない。
想定していた流れが、違うのか?
そう思った途端。
伝わってきました。
「曲が違う。」
声としては聞こえません。
だけど、わかったのです。
ああ。
奏流さんのお父さんだな。
かつて見た夢と、同じ夢を追いかける息子に伝えたい想い。
ご本人(?)が違うというなら仕方ありません。
こういうのは、あっさり受け入れた方がいいのです。現場的に。
他のプレイリストを見ていると、目に留まった曲があります。
これ?
「そう。」
※タメ口恐縮です。
※やなぎあこ、声に出して喋ってます。
えーーーーーーー。
なんで? 私ならこれ、選ばないのにー。
「いいの。それ。」
※急激な親密感恐縮です。
※奏流さんからは、やなぎあこの盛大な独り言に見えます。
うーんそうなの? しょうがないなあ。
※渋々で恐縮です。
※でもやなぎあこは素直です。
曲を変えてセラピーを始めました。
すぐにわかりました。
やっぱりこの曲だった。
いえ、あり得ませんでした。
これ以外には。
歌うたいのバラッド。
これまで恋愛やパートナーシップの文脈でしか使ってこなかった曲ですが。
お父さんの想いがガツンと伝わってきました。
俺は、歌うたいだから。
歌がいちばん伝わる。
言葉を尽くさなくても。
なぜなら息子もまた。
歌うたいだから。
遠く離れて会えなくなったあなたを。
愛してる。
今だって。
彼らのためだけの特別な意味と想い。
会えなくなったのに、それでもいつの間にか父と同じ夢を追いかけている息子へのメッセージとしては。
これ以上ないほど、伝わる曲だったのです。
あなたを愛してる。
あなたは気づかず、新しい家族との間で思い出すこともなかっただろう。
それで全く問題ない。
父としては、できなかったことの方が、多かった。
してあげられないことばかりだった。
本当は、あなたを忘れなければいけなかったかもしれない。
あなたを愛してちゃいけなかったのかもしれない。
それでも、ずっと。
あなたを愛してる。
曲が終わって、お父さんに訊きました。
……他の曲は?
いい。
そうなの?
俺はこれだけでいい。
これだけで伝わるから。
幸せになったあなたが見たい
当初、想定していた、かからなかった曲。
お父さんと離れ離れになった小さな子どもが、かすかに感じていた父の温もりに触れてゆくためのものでした。
しかし、お父さんが選んだ曲は違う。
なんで、歌うたいのバラッドだったのだろう?
そう思ったときに、言われました。
大人になった、奏流が見たい。
幸せになって、成功している奏流が見たい。
失いたくないものを、手放さなければならないのは。
本当に苦しいです。
お父さんは、子どもがいちばん幸せになれる環境を考えたことでしょう。
まだ小さい子が生きていくには、母親が必要だと選択したのは当然のことかも知れません。
泣くのは、俺だけでいいと。
こんなに奏流さんを思っているならば、
離れるときは、断腸の思いだったはず。
別れだったけど、愛だった。
そのときできる限りの、最大限の愛だった。
でも。
どうしても、どうしても、忘れられない。
今、どうしているだろうか。
元気でいるだろうか。
想わなかった日などなかったはずです。
一日たりとも。
自分のことを、完璧で素晴らしい親だと思っている人なんかこの世のどこにもいません。
親であるかぎり、不完全で、ダメで、弱くて、自信がなくて、求められているように愛せない自分を突きつけられます。
親は、子どもが幸せであるとき。
自分が許される感覚を覚えます。
こんな自分でも、この命を授かったのは、間違いなんかじゃなかった。
こんな自分でも、この人の親であることを、許される気がする。
大人になった、奏流が見たい。
幸せになって、成功している奏流が見たい。
一生懸命、ご先祖さまを巡り、ご親戚の方々から、お父さんを知ろうとしている奏流さん。
お父さんが遺した曲や、ギターのこと。
ご親戚とのエピソード。
私に教えてくださいます。
どこか、嬉しそうでいらっしゃる。
まざまざと思いました。
奏流さんは、お父さんを、愛しているんだな。
お父さんが嬉しくないはずはありません。
ずっと、会いたかったよ。
大きくなったなあ。
立派になったなあ。
あなたは父のよろこびです。
歌はどこか。
魂の依代になるのでしょう。
歌うたいのバラッドを通じて、父と息子は。
会っていたのです。
もう一度。
愛されていた。
そう思えるだけで。
この世に生きる存在理由が生まれます。
父のよろこびであると知るだけで。
自分が愛されない子だから捨てられたのではないかという誤解が解けます。
自分では大切な人を幸せにできなかったという誤解が解けます。
自分には価値があることを受け入れることが出来ます。
愛があったと知ることで、お父さんを許すことができるのです。
同時に、こんな自分が幸せになってはいけないという誤解を解き。
自分を許すことが出来るのです。
あなたは父のよろこびです。
歌うたいのバラッドが流れると、全て理解するに至りました。
ああそうか。
レコード製作者は、いちばん伝えたい曲をA面にします。
お父さんの作った、みんなが首を傾げる変わった曲。
奏流さんがお生まれになるより前に作ったかも知れません。
でも、心のいちばん深い部分では、時間の概念がないといいます。
まだ出会っていない人に捧げる歌があっても、不思議はありません。
解釈されたときに初めて意味を持つ。
だって、A面の曲は。
子どもと一緒に歌う曲だったのですから。
開けていなかった扉が開き、伝わるまでずっと、そこにある。
まるで、存在を許されるのを待っているかのように。
この世に生まれてきたよろこびを。
許すことを待ち侘びているかのように。
お父さん。
一緒に歌いたかったんでしょ? 奏流さんと。
ずっと。
だから。
ギターを遺したんでしょ?
歌を遺したんでしょ?
彼がギターを持ち帰って。
オーバーホールして。
練習することを。
知っていたんでしょ?
本当は、生きているうちに一緒に歌いたかったよね。
いや、いいんだ。
そうなの?
いいんだよ、十分だ。
だってこれからは。
一緒に歌える。
ずっと。
☆
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