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メディアの話151 テキストメディアの終わり、動画メディアの台頭 テレビのネット嫌い そして広告のオワコン

あらゆるウェブメディアが、テキストを捨て動画にシフトしつつある。

コロナ禍がきっかけのひとつ、と複数の人がいう。

逆に言えば、テキストに客がつかなくなっている、ということだ。

もともと、ウェブの台頭で、テキストの値段は暴落していた。

(もちろんテキストに「価値」がない、ということではない。あくまで「価格」の話である)

だれもがテキストを書ける環境ができた結果である。

だれもが現場のジャーナリストになっちゃったからである。

2000年代にうまれたウェブメディアはいずれもコンテンツメーカーというよりは、メディアプラットフォーム。

売りはコンテンツ以上にプラットフォームのでき。文字通り「駅」として魅力的で、人通りがおおければ、ビジネスになる。

逆にいうと、テキストは溢れかえっているので自社でつくる必要がない、借りてくればいい。

人材も、よそが育てた人を採用すればいい。

webメディアのほとんどが、だからコンテンツをつくる記者や編集者をいつまでたっても新人採用で育てなかった。

コスパが悪いからである。

で、動画である。テキストコンテンツにカネをかけなかったウェブメディアがテキストに見切りをつけ動画に移動している。

なぜ動画か。

理由ははっきりしている。

日本のテレビがインターネット大嫌い病にずっとかかったままだから、である。

アメリカや中国などのように、ウェブが出てきた瞬間に、さっさと電波だけじゃなくてネットにも自社の局を開設して、webメディアをみるように、ウェブで番組を見られるようにしていれば、ウェブ動画市場は、すでにテレビがとっていたはずである。テレビの力をもってすればなんだってできる。

ところが日本のテレビ局はインターネット大嫌い病にかかっていたので、ウェブでの配信を徹底的に嫌った。

TVERにしろNHKプラスにしろ、この数年であり、しかも全部流しているわけではもちろんない。消費者的には、ネトフリやアマプラのように、NHKと地上波がウェブにサイトをもっていて、リアルタイムとオンデマンドでいつでも好きなように見られるようになっているのが理想である。

でもなっていない。

できない理由を1万くらい当事者の方々は並べるだろうが、消費者サイドからすると、知ったこっちゃない、ってことになる。

そこで、動画市場、とりわけニュースや解説の市場、ごっそり日本では空きスペースになっていたわけである。

この空き地に、テキストからスタートした新興ウェブメディアがなだれ込んだ。

テレビ的なるものはインターネット的な変遷をとげ、糸井重里さんが指摘したように「小分け」され、動画チャネルに拡散していく。

そこでひとつ課題がある。

どうやって金儲けするか。

ごぞんじのとおり、インターネットにおけるメディアビジネス、プラットフォームビジネスは、テレビが究極まで洗練され巨大化させた「広告モデル」によっかかっている。ビジネスモデルが、その意味では「古いまま」なのである。

なぜ古いか。

広告がオワコンだからである。

なぜオワコンといえるのか。

わたしがそう思うからである。異論はいっさいみとめない。

なぜみとめないか。

「メディアの隅っこにいる私」ではなく、「一消費者としてのわたし」が、ウェブ広告の99%が「ゴミ」にしかみえず、その広告でプラスの態度変容、すなわち消費行動を起こしたためしがほぼないから、である。

こちらも広告のプロのかたたちが、1万くらいそんなことない、という反論があるだろう。データもあるだろう。でも知ったこっちゃない。「消費者としてのわたし」が広告で動かなくなっているのは、私自身だけが知る事実、だからである。

実際、「コンテンツとしての広告」をみると、 YOUTUBEからテキストメディアに至るまで、「奇声をあげて商品名を連呼し、童謡や古い歌謡曲の替え歌で、サービス名を歌い上げる」「おたくの商品やサービスや企業名はわかったけど、非常に不愉快なので、買わないことだけは決めました」って広告がたっぷり流れてきて、動画をみたり、テキストをよんだりすることをひたすら邪魔し続ける。

これが、2023年のwebメディアの「広告」の現実である。

そうでない広告の方がめずらしい。

どの程度の「効果」があがっているのか?

数字はおそらくもっともらしいものがあるだろう。

が、「一消費者としてのわたし」がそれを信じることができない。

糸井重里さんが広告から一歩引いたときのことを個人的に伺ったことがある。内容は書かない。

でもそれがものすごーくさらに劣化した形でいまになって、でもwebメディアのビジネスモデルの一環となっている。

企業が自分たちの消費者、社会に対してメッセージを届ける行為、こちらをになってきた「広告」という方法論、間違いなく再発明が必要なはずである。

つまり、ビジネスチャンスがある。

ただし、それはもはや「広告」ではない。

なぜならば広告は新聞500万テレビ1000万を「最小単位」としてできあがった、ものすごく目の荒いと網方法だからである。

小分けの時代が、広告であるわけがない。

どうすればいいか。

しりません。だれか教えて。

This text discusses how various web media are shifting from text to video content, and one of the reasons for this shift is the COVID-19 pandemic. The author notes that the rise of the internet led to a decline in the value of text content, as anyone could write and publish content. Web media platforms emerged as a result, and their appeal was more as a platform rather than as content creators. Therefore, they did not invest in training and nurturing journalists and editors to create content.

The author states that the reason for the shift to video content is that Japanese TV networks have been slow to embrace the internet, which has left a gap in the market for web media. The author notes that if Japanese TV networks had embraced the internet earlier and created their own online channels, the web video market would have been dominated by them. However, as they did not, new web media have entered the market, starting with text content and then moving to video.

The author notes that one of the challenges for web media in the video market is how to make money. The current business model is based on the advertising model that TV networks have refined over the years, but this model may not be sustainable in the long term.

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