メディアの話。 なぜ人は仕事が好きか。

なぜ、人は「仕事」が好きか?

それは「人の役に立っている」「人から認められている」「人から尊敬されている」「人から愛されている」という状況を、あらゆる人間が欲っしているからだ。

この「人」は「個人」の場合もあれば、「世間」の場合もあれば、「人類史」の場合もある。

「仕事」というのは、この感情を満たすためのいちばん手っ取り早くって代表的な方法のひとつ、ってことである。

なぜ、こういう「承認欲求」(この言葉、大っ嫌いなんだけどね。使われているパターンがだいたいトンデモなので)が、人類の根っこにあるのか?

いうまでもなく百五十人の村を維持しないと生きていけない限定的な利他主義を発達させることで進化・サバイバルしてきた類人猿、それが人類だからである。

「他人の役に立つ」→「気持ちいい」→「こんどはお前も役に立てよ」→「なんかやってもらった」→「気持ちいい」→「じゃあ、お返しに、なんか役に立つことやってあげる」

この無限ループである。

これ自体は、実にデジタルな反応に見える。実際、生き物の世界は、案外デジタルである。その生き物の「スイッチ」の数は決まっていて、そのスイッチ全部を押すだけで、生き物はサバイバルできる。スイッチ1つでも足りないと死ぬ。だから「養殖」とか「栽培」とかが可能なのだ。あれは各生物のスイッチを並べて押しているシステムである。農業発明した人は最初の進化生物学者かもしれない。生き物のスイッチはデジタルにセレクトできる。

あ、でも狩猟採集民もデジタルに生き物の特徴を見抜いていた。そう生き物の行動パターンである。それをデジタルに列挙できることで、狩りが可能となるからだ。彼らもまた進化生物学者であった。

が、おそらく「言語」の発明が、人類を劇的に変えた。人間の大脳皮質のサイズは、10万年前と今とでは大して変わらないが、そっから現代までのどこかで、「言語」が発明されると、おそらく大脳のある部分は加速的に進化したはずだ。上手く使える部族とそうでない部族に、徹底的な差がついて、「ことばができる」部族が生き残りやすい、という状況が生まれたはずだからだ。

こればっかりは化石が残らないから、いつことばが生まれたか、諸説あるけどまだ確定してないはずだ。してたら誰か教えてほしい。

で、「言語の発明」が、むしろ我々に「アナログな物語」で世界を見る、世界を知る、世界を把握することをインストールしたはずだ。

「言語」は、文法と文字の1行の流れによって、世界を記述する。世界は1行の流れじゃないから、アナログな物語で抽出できるのはほんの一部だ。でも、その物語のセレクションが結果としてサバイバルに適切であれば、部族も物語もサバイバルし、その物語は優位に生き残る。そして、そんな物語が体系化すると、たとえば「宗教」になる。

世界は、化学的物理学的法則と数学的見立てで原子レベルで解析できるし、生物の世界も、遺伝子レベルで解析できる。そこに物語はない。デジタルな組み合わせだけだ。

人類は類人猿の一種として、自分たちならではのデジタルなスイッチをセレクトして、サバイバルした。が、利他主義集団によるサバイバルは結果として大脳皮質の増大を招き、結果として言語が生まれ、そこから派生した物語が強化され、さらにサバイバルした。物語=アナログな世界観、は、類人猿と人類を分かつおそらくいちばん大きな違いのはずだ。

だから、私たちはどこまで行ってもアナログだ。アナログな視座でデジタルな法則を再発見し、それを理解するためにもう一度アナログな物語でデジタルを語る。

かくして、もともとデジタルな反応の連続のスイッチのひとつだった「仕事」は、物語化され、体系化され、巨大化した。仕事というもともとデジタルなスイッチを、私たちはいまアナログな物語として理解し、感じている。みんなそうである。

で、AIである。AIは、そんな仕事を「奪う」。ってことになっている。

奪われるのは「物語」なのか「スイッチ」なのか。

あ、あと人間にとって重要なスイッチには、「認められたい」っていう外発的なスイッチと、もう一つ、「好奇心」「冒険」「発見」っていう内発的なスイッチがあるんだけど、それはAIが全部代行してくれるようになるとどうなるか。

続く。


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