「夢はひとつじゃなくていい」複業フリーランスという生き方
「そのとき、”やりたい”と思ったことや自分の信念に沿って仕事を選んでいたら、自然と複業フリーランスになってたんです」
みえだ舞子さんは、キャリアコーチ・カメラマン・セミナー講師という3つの顔を持つ複業フリーランスだ。現在、彼女がとくに精力的に取り組んでいるのが、”コーチング付プロフィール撮影”の仕事である。
コーチングを元に、届けたい理想を明確にしたあと、撮影をする。
舞子さんが撮影する方は、”フリーランスを目指している方”が多い。お客さんにどんな印象を与えたいか、どんな人と仕事がしたいかまで、コーチングで丁寧に深堀りする。
コーチング後の写真は、その人の雰囲気が自然に醸し出されるのと同時に、自分の名前で仕事をして生きていく固い決意を感じさせる。
そんな仕事を軸にしつつ、ほかにもいくつもの仕事を兼任している舞子さん。なぜ彼女は、複業フリーランスという働き方を選んだのだろうか。
夢が10個あった学生時代
「常にいくつもやりたいことがある子供で、高校3年生の時は、獣医になろうと思っていました。でも、演劇も音楽も好き。なりたいものが多すぎて、そこから1つを選ぶということは、他の9個を捨てることだと思ってました」
進路相談の先生は、「1つに絞らなくていい。やりたいこと、なんでもできそうなところへ進学すればいいよ」と話してくれた。
やりたいことすべてに取り組むと決めた舞子さんは、写真、映画、美術、放送、演劇など全8学科を教育・研究する日本大学芸術学部への進学を決めた。
大学での専攻は、放送学科。テレビ番組は、音楽番組、バラエティー、ニュースなどさまざまなジャンルを取り扱う。好奇心旺盛な自分の性格に、テレビ業界は合っていると考えた。
しかし、放送学科での勉強が1年経過した頃、テレビ業界特有である縦社会に違和感を感じ、自分には合っていないかもしれないと気付いたという。
「テレビ業界は、ディレクターや上層部が中心に回るトップダウン。ADのアルバイトをした経験が、人生の時間のうち大半を費やす仕事。私が本当にやりたいことは何だろうと考えるきっかけになりました」
当時ミュージカルサークルに所属し舞台を作っていたこともあり、「私が人生をかけるのであれば、舞台だ」と考えていたという。彼女は舞台制作者として、演劇に携わる仕事をすると決めた。
度胸が身についた、舞台制作の経験
演劇に取り組むと決めてからの行動は早かった。
「それからは放送学科の授業ではなく、演劇学科の授業に潜って学んでいました」
演劇の世界にどっぷり浸かる舞子さん。しばらくして、演劇学科の先輩の誘いで、ミュージカル制作をメインとする”劇団ねくすぽすと”に舞台制作者として入団した。
劇団では、どんな台本にするのか、楽曲制作は誰に依頼するのか、役者オーディションの開催や受付業務に至るまで、演者として舞台に立つこと以外はすべて関わっていたという。
舞台制作者として携わったことで、「度胸が身についた」と舞子さんは話す。
舞台制作者は、外部業者へ発注依頼をかける役割がある。舞台監督に始まり、音響担当、照明担当者に至るまで、業務依頼は主に舞子さんが行う。
自身の父親と同じか、それよりも上の世代の方を相手に、業務依頼における契約書の作成、支払いなども担当していた。社会人として経験することを、舞台制作者の活動を通して、いち早く習得していった。
2つ以上の居場所がある。それが、私にとってのニュートラル
大学卒業後、演劇関連会社に正社員として就職した。本業をこなしながら、”劇団ねくすぽすと”の方では、演劇プロデューサーとして劇団制作に携わる生活を送る。
平日19時に本業終了後、急いで稽古場へ足を運び、22時まで打ち合わせ。休みの日も、稽古場にこもっていた。
「大学生と劇団員。会社員と劇団員。私には、常に2つ以上の居場所があった。それが私らしくいるためにも大切なことでした」
2つ以上の居場所を持ち、自分のやりたいことを実現し、毎日がとても充実しているように思えたが、転機が訪れた。
「当時、就職活動をしていた友人の妹に会ったとき、『舞子さんだから好きなことができるんですよ』と言われたんです。好きなことを仕事にできる人は一部で、みんなやりたいことや好きなことが分からないまま働いていると。”私とあなたは違う”と線引きをされているような気持ちになりました」
友人の妹の言葉は、衝撃的だった。舞子さんの周りには、好きなことを生業にし自由に生きている大人が大勢いる。自分が身を置く環境と世間の価値観が違うことに気付いた瞬間だった。
「好きなことを仕事にできる人はごく一部でしょ。と人生を諦めたように話す人の視野を広げたいと思ったんです。好きなことをして生きている人は、沢山いる。自分にはできない、無理だと考える人の当たり前を変えたいと考えるようになりました」
同時期に演劇業界に対する特有の閉塞感や、演劇プロデューサーとしてのスキル不足を痛感する経験をした。
このまま演劇業界にいても、業界を変えることはできない。自分が成長しなければと考え、思い入れの強かった演劇業界を離れ他業界への転職を決意。
転職や起業など新たな挑戦をする人を支援するため、キャリアアドバイザーの道へ飛び込んだ。
肩書きは、1つじゃなくていい。職業、みえだ舞子
舞子さんの名刺には、肩書きが書かれていない。
「職業は何ですか?」と尋ねると、「強いて言うならば、キャリアコーチ・カメラマン。好きなことを追い続けることができる大人を増やすのが目標です」と彼女は話す。
1つに絞らず、やりたいことにどんどんチャレンジしていく自分自身の性格をわかっているからこそ、肩書きは決めないことにしたという。
名刺には、肩書きの代わりに、今の自分ができることを書いている。
キャリアコーチ・カメラマン・セミナー講師。
学生時代から、”やりたい”を原動力にして、自分の気持ちに正直に走り続けてきた舞子さんだからこそ書ける仕事内容だった。
働く場所も周りの人も、自分にとって心地いいものをそばにおく
複業フリーランスとして独立すると同時に、舞子さんは茅ヶ崎に移住した。都心の物件に比べて家賃が抑えられ、かつ都会へのアクセスがいいことも魅力だった。
茅ヶ崎に決めたのは、人生で一度は海から徒歩10分以内のところに住んでみたかったから。「波音を聞きながら散歩をするのが心地いいんです」と彼女は話す。
また、茅ヶ崎には魅力的なコワーキングスペースが多い。地域開発が進み、新しい店舗が続々とオープンしているのだ。仕事を終えたあとはよく、近所に住むフリーランス仲間と落ち合い、自宅に集まり食卓を囲む。友人を越えた、いわば同士のような感覚なのだろうか。
そう話す舞子さんの表情は、輝いていた。
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