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働かなくなって初めて気がついたこと【休職中2週目】

今日はわりと身体の調子が良かった。
お腹が空くっていうのはありがたいことだと思う。

でも、相変わらず復職した時の夢を見る。
働かなくては、と思っているのかもしれない。


2日前、私はなぜ復職の可能性を捨てていないのかを書いてみたけど、やはり金銭面の不安が大きい気がする。
当然だが、働かなくなったら、家計年収が何百万も少なくなってしまう。

手に職があれば一度会社を辞めても再就職しやすいし、夫がもし働けなくなってもなんとかなるかもしれない。私は何でもできるわけではないし、そういうリスクを考えたらやはり気軽に会社を辞められない。だから結婚した時も会社は辞めなかった。

でも、まあ辞めたい。


働かなくなってから少し時間が経ち、忙しく働いていたときには気が付かなかったことがいくつかあったので、今日はそれについて書いてみる。



・朝の空気は気持ちいい
あれだけ、ギリギリまで起きる(布団から出る)ことができなかった私が、すんなり6時台に起き上がってお弁当を作っている。
起きてから窓を開けると空気が気持ちいい。
仕事に行く時でも同じように開ければ良い話なのだが、これから嫌なことが起きるとわかっていて、あまりそういうことをする心の余裕がなかった。
ついでに言えば、お弁当を作る心の余裕もなかった。


・「金曜日のやり切った感」は気持ちよかったということ
働いていたら、金曜日の夜の開放感はとても嬉しく達成感があり、日曜日の夜は本当に憂鬱だった。
そういうのが嫌だと思っていた私だが、とにかく金曜日は嬉しかった。
金曜日まで頑張ったご褒美として、外で飲みに行ったりもできた。
働いていないと、あの「ああ、やり切ったなあ」という最高に気持ちいい感じがない。もっとも、仕事でモヤモヤすることが多かったここ数カ月感はその達成感というよりは「今週も耐えたな」という感じだったが。
これは、やはり家にいたら味わえない気持ちだと思う。
このごろ会社という組織に所属することにマイナスイメージばかり持っていたが、それなりに達成感を感じていたんだな、と気がついた。
同時に「この月〜金で会社という場所に行く」という生活リズム自体は決して悪いものではない、むしろ良いものだとすら思えてきた。自然とメリハリをつけられる。


・「社会との接点がある」と実感できない
前も少し書いたけど、やはり社会との接点が手っ取り早く実感できるのが会社だろう。私のように、自分でスキルを何も持っていないただの30代は、会社に行くという行動が自己肯定感にある程度繋がっていたのだと思う。
だからといって今の会社に戻りたいということにはならないし、また「いいとこ取り」の考え方になってしまうけど、全く何の仕事をしないという生活もまたストレスなのだと思う。
何が言いたいかというと、働き始めたらまたそれなりのストレスを感じるかもしれないが、それは「働かないほうがいい」という意味ではないということをよく覚えておきたい。


・散歩は楽しい
働いていた時、当然のことだけど就業時間中、好きなように敷地内を散歩することなど許されなかった。私は会社内の別の部署に行くとか、外に出るついでに社内を歩き回ったりしていた。でもそういった用事を済ませにいくのはたいてい派遣社員の方の仕事だ。私には散歩の自由がほぼなかった。そのため、何か理由があってオフィスの外に行く時は、それが本当に息抜きになっていた。
そもそも狭いオフィスの中にずっといるのがしんどく、息苦しかったけど今は自由に外に出れて、好きなように散歩できる。
そういうわけで最近、近くの川までよく散歩している。これが本当に気持ちよくて気に入っている。それだけのことだけど、とても良い。


・お金を気軽に使うという視点がなくなった
普通に働いていた時は、そんなに切り詰めて生活する必要はなかったけど、給料が振り込まれないとなると、そうはいかない。
今まで気軽にカフェに行ったり、あまりお金のことを気にせず夜ご飯に行ったりコンビニで何か買ったりしていたけど「気軽には使えない」と思うようになった。今はほとんど自炊しているので少しくらい外で使っても良いのだが、やはり気が引けるようになった。



今日、フィギュアスケートのクリス・リード氏が亡くなったことを鈴木明子さんのTwitterで知って衝撃を受けた。まだ30歳なのに、突然すぎて、本当に信じられなかった。
まだやりたいこともたくさんあっただろうに。人生には突然のことがあるとはわかっていても、やりきれない気持ちだ。
今を大事に生きるしかないとは分かっているけど、今こんな状態だからどうしたらいいかわからない。


これまで投稿したnoteの写真は、過去に自分で撮ったものを使っている。

休職するまで、一眼レフで写真を時々撮ってきていたが、写真を撮るようになった5年前よりも写真に対する情熱はかなり薄れた。
自分よりも上手い人なんて数え切れないほどいると感じて、この頃はあまり積極的に撮っていなかった。
しかし、こういうときに見返したらやはり写真はいいものだと思う。
上手い下手の問題ではなく、撮ること自体が楽しいものなんだな。


noteではユーザーがアップロードしてくれた素敵な写真が使えるのだということを、始めてから知った。
自分の写真がネタ切れになったら、また使わせてもらいたい。

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