「海外では〜」って言うの、いい加減やめにしよう

日本では、世界は日本とアメリカまたは欧米、そしてその他に分けられるという欧米中心主義的理解が蔓延している。そもそも日本と「その他」に分けられるという考え自体が自意識過剰だ。日本はそこまで特殊な国ではなく、200程度ある国のうちの一つでしかない。
「海外」や「外国人」という言葉がアメリカの白人を指すと思ってしまう人は、いまだに多いのではないだろうか。当然ながらこの言葉には韓国も中国も、イランもボリビアもスーダンもガーナも含まれる。「海外では〜だ」という頻出フレーズは、多くの場合アメリカというこれまた特殊な国のことを指しているのみに過ぎないことが多い。
最も単純な例としてよくあるのは以下のようなものだろうか。
海外では自己主張が大切
海外ではレストランでチップを払う
海外では家では靴を脱ぐ
自己主張をそれほどしない国なんて結構あるし、チップをほぼ必須で払うのはアメリカくらいではないか?イスラム圏の家庭を訪れた時は、結構靴は脱いでいたし、欧米圏でも家で靴を脱いでいる人の方が私の経験上は多い。

なぜこのような勘違いが欧米中心主義的考えなのか。それは、そもそも欧米が世界の最も先進的な地域であり他の地域は参照に値しないという無意識的な考えが働いているからだ。

いまだにアメリカが参照先

メディアで日本のことをグローバルな視点で客観的に記述しようとする記事では、アメリカやヨーロッパなどとの対比が主だ。なぜか?おそらくここ数百年で見るべきは西洋でありそれ以外は脱亜入欧のような価値観が根強いのだろう。しかし、アメリカもヨーロッパも多様であり簡単に比較できないし、一般化できるものでもない。しかも、そんなに参照すべき素晴らしい場所でもない。アメリカは特に頻繁に起こる銃乱射事件、貧富の差、金持ちのみ助かる医療制度、人種差別、物質主義的価値観など、国内の問題は挙げればキリがない。アメリカが世界を代表しておりアメリカ人の言うことが正しい、というメディアに散見される無意識的な考え方は、非常に問題だ。ビジネス系のメディアではやたら「アメリカでは〜である。そして我々もそれを見習うべきだ」というようなことを言いたがる。
世界のパワーバランスが数世紀ぶりにアジアに移行し(戻り)始めている現在において、経済的な観点だけからみてもこの発想は極めて時代遅れだ。
もちろんジェンダーの平等など見習うべき点はあるが、これも一概にそのまま真似すればいいと言うものでもない。ちなみにジェンダーのある程度の平等が数字上実現されているのは北欧の数カ国程度で、アメリカはこの点結構遅れている。ヨーロッパだけですらかなり多様だ。

欧米で起きていることが世界の潮流であるというのは思い込みである。もちろん影響力はあるもののイスラム世界や中国、ロシア、アフリカなど、世界には様々な価値観や世界観を持つ国が並列的に存在しているのだ。

メディアの影響

不思議なもので、これだけ無意識的な劣等感を西洋に持ちながら西洋を含めた他国民や文化を、これも無意識的に見下す日本人はやたら多い気がする。メディアで外国人に日本を褒めさせる番組などの影響などだろうか。また、アジア諸国相手で言えば帝国主義の名残りなのだろうか。
例えば日本人は勤勉で清潔、真面目など、比較対象によっては必ずしもそうとも言えないこれらテレビ上でプロパガンダ的喧伝される国民性が、変な優越感を生んでいるのかもしれない。
ちなみに外国人、特に欧米の白人に褒められることにやたら喜びを感じる人がいるのは、日本人に潜在的に埋め込まれている劣等感の表れだと思う。欧米基準で評価されないと自分達に誇りを持てないとはなんて情けないことだろうと思うが、明治からの脱亜入欧的考えを今だに引きずっているだけと言えばそれまでか。

終わりに

以上、いろいろ書き連ねてきたが、「海外」なんて言葉は日本以外の世界を意味するわけで、世界の文化や風習、価値観は欧米諸国によって代表され得るはずもない。すなわち多様な世界を一般化して語ることなどほぼできない。

私がこれらのことに気がつけたのは、自分が日本の外を見る機会を与えてもらえてもらったという幸運以外の何ものでもない。「海外では〜」という暴論を振りかざす人やそれを納得して受け入れている人々を見下しているわけではないし、私もかつては「世界」の解像度は極めて荒かった。メディアのせいという部分はかなりあるだろう。
「海外」というほとんど何も意味しない言葉を大量に浴びせられるだけで、日本の外は一言で言い表せられるほど画一的だと潜在的に思い込んでしまうのも無理はない。

少しだけ留学や旅行、出張をした人が「日本では〜だけど、海外では〜だからさ(ドヤ顔)」のようなことを言っている輩を見つけたら、そいつは何も分かってないと考えてほぼ間違い無いだろう。

ぜひ色々な国を旅したり、日本やアメリカ以外のメディアにも触れて世界の多様さを体感してみてほしい。知れば知るほど世界は多様であり自分がいかに何も知らないかがわかり、「海外」なんて言葉で世界を語ろうとすることの馬鹿らしさに気がつくはずだ。


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