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「とりあえず書く」のハードルについて(考察)

私のはじめてのnoteに、とりあえず書いてみる!と宣言したものの、
やっぱりどこかに心理的ハードルを抱えているように思ったので、
改めて考察してみた。

私がnoteを書きたいと思った理由

私はADHDの傾向も手伝って、日々ものすごい数の思考が頭に溢れており、
その中であれとこれが似てる!みたいな、
類似性を発見するワクワクを繰り返している。
この留まることなく溢れ出てくる思考を形にしてみたいと思った。
それをアウトプットしたら何かの価値になるかもしれないと思った。

私がハードルを感じていたこと

読み手を意識してしまうことが私のハードルだった。

やっぱり、なんやかんやいって良い文章を書こうとしていた。
良い文章の条件は、読み手を意識していること、というのも正しいと思う。
だからこそ、
「プロのライターは読み手を意識するからプロになる」
という言葉に、無意識に縛られてしまった。
(私はプロなんかじゃないのに)

たしかに、読者を意識して書くこと自体は、
プロとしてのライターを意識するなら当然のことだろう。

でも、私はまだそのフェーズにいない。(ここ重要!テストに出る!!)
まずはアウトプットを楽しむ、というフェーズが抜けていたのである。

まるで、はじめてサッカーをした少年に、
ボールを追いかける楽しみを覚えるより前に、
ゲームの小難しいルールを守らせようとするようなものである。
(私はサッカーのルールがわからないので小難しく感じてるけど、
 それもたぶんそんなに難しくないはず)

改めて考えたこと

どんなに商業映画が流行ろうが自主制作映画がなくならないように、
作りたいから作るに意味がある、
書きたいから書くに意味がある、そんな世界もあると思う。

自主制作映画というと、
作り手の自己満足なんでしょ?と言われるかもしれないが、
そんなものばかりとは限らない。
自分の作りたい世界を遠慮なく思う存分表現したからこそ、
他者に刺さるものができることもある。

私が目指すのは、自主制作のような文章なんだとおもう。

自己満足でもいい。でも、もしそれが誰かの心に響くのなら、
それは+αの嬉しさになると思う。
だからまずは、変に他者の目を気にしすぎずに、
自分の思ったことを書いても良いのだ、と
自分に許可を与えたい
と思う。

noteだからできそうな理由

noteは表現すること自体を応援できる、優しいプラットフォームだと思う。
好きとかいいねとかの仕組みだったりとか。
その良し悪しを判断するのではなくて、
すきなものに好きと言う、応援する気持ち
に溢れている。
書くことを応援しあえるプラットフォーム。

そういえば以前に本を読んでいて、
「アイデアを一番はじめに話す相手には気を付けろ」
というアドバイスがあった。
本当に面白いアイディアアイディアって言うものは、
万人受けするものではない。
だからはじめの段階では、その面白いタネをもっと膨らませて育てられるように、それでいいじゃんと言って高めてくれる人が必要になる。
そうやってアイデアが膨らんでいって、ある程度のところまで育ったら、
ようやく、客観的で時には辛辣なアドバイスを受け入れる準備ができる。

noteは応援する気持ちに溢れているプラットフォームだからこそ、
私みたいな初心者が、まだやわらかくて荒削りな考えを、
いちばんはじめに表現するのに、適したプラットフォームと言えるのかもしれない。

マーケティングファーストから、中身ファーストへ。

他者からの見え方を意識する前に、
まずは自分が表現したいことを考えよう。
ビジネスだって一緒。
中身のない商品は、いくらマーケティングしても無駄である。
今の私は、自分の好き勝手にアウトプットを繰り返して、
その中で自分の価値を見つけていく、作っていくフェーズなのだ。

その中でもし自分のテーマやスタイルを見つけることができたならば、
それが、結果として誰かの役に立つようなコンテンツになればいいなと思う。それが自分の誰かに対する価値になるのかもしれない。

マーケティングをするのは、その価値を見つけたときでいい。
だからまず私は、自分の産み出せる価値探しのために、
自分のためのアウトプットに出しようと思う。

SNSが大きな影響力をもつ社会において、
多くの人が、他者から自分がどう見られるか?を
意識する機会が増えたのではないかと思う。

だからこそ、他者をあまり意識しすぎないというのは、
ある種のチャレンジなのかもしれない。
他者を意識しなければいけない、というマインドブロック解除の試みである。

まとめと行動宣言

・まだ読み手を意識するフェーズではない。書くことを楽しむのを最優先する。
・そのためには、他者を意識しなければいけない、というマインドブロックを解除する。
自分の思ったことを書いても良いと、自分に許可を与える。自分の作りたい世界を遠慮なく思う存分表現したからこそ、他者に刺さるものができることもある。


編集後記:
本記事は、執筆のハードルをさらに下げるため、音声入力で敲きを作成してから記事化しました。


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