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村の少年探偵・隆 その13 地図


 第1話 おか蒸気

 隆には密かな自負があった。
 洋一きょうだいにも、その従弟いとこの修司にも、自慢したことはなかった。
 それは、蒸気機関車を見たことがあるということ。さらに、一人で乗った経験があるということだった。

 生まれ育った千足せんぞく村そのものは、周囲を山に囲まれていた。母親の実家が隣村にあり、幼いころから遊びに行った。北方へI川の渓谷が延びる。その先に駅があった。名もI口駅と言った。秘境の入り口であることを意味する。

 運が良ければ、蒸気機関車が煙をくところが見えた。遠くなので、音は聞こえなかった。まるで、文明と非文明を隔てる、透明のカーテンが引かれているかのようだった。

 蒸気機関車に乗った最初の記憶は、母親に連れられたものだった。何のためかは、もう覚えていない。
 ただ、耳の病気になり、隣の香川県の耳鼻科に一人で通ったことは、鮮明に残っている。当時、県西部の中心地として栄えた池田を過ぎ、Y川を渡る。蒸気機関車は猛煙を吐きながら阿讃山脈を登っていく。汽車は山の中で停車する。前方から蒸気機関車が迫ってくる。それをやりすごし、隆の乗った汽車は少し後退した後、香川へと向かう。スイッチバック式だ。

 汽車に乗るのは楽しかった。耳鼻科のある観光地で、土産物屋も見て回った。ちょっとした観光旅行をしている気分だった。しかし、そんなことは誰にも話せなかった。

 第2話 天文学論争

 四国の大雑把な地図は頭に入っていた。
 池田町が真ん中にあり、香川と高知を結ぶ土讃線が通る。隆たちの学校は池田の駅からは15キロ弱、I口駅からは5キロ弱、離れていた。
 おそらく、校区から出たことのある者は、数えるほどしかいなかっただろう。

 秘境に住む親子が土讃線に乗り、香川に行った時のエピソードは、長く語り継がれた。
 瀬戸内気候で香川は雨が少ない。貴重な水を有効利用しようと、大小様々なため池が造られた。弘法大師・空海ゆかりの満濃池が、その代表だ。
 満濃池を見て、次男が驚いた。
「父ちゃん。これが海ちゅうもんか!」
 長男が小声でたしなめた。
「恥ずかしいこと言うたらいかん。海はこれの5、6倍くらいある」
 父親は納得した。
(やっぱり、兄ちゃんだけのことはある)

 同じような経験を、隆もしたことがあった。
 小学校の低学年の頃、同級生と青空を眺めていた。昼間の月が出ていた。
「あれはどれくらいの大きさやろ」
 一人が言った。
 隆には幼稚な質問に思えた。
「ここから池田くらいの大きさはあるで」
 隆は分かりやすく説明してやった。

 ところが、もう一人が目を見開いて、隆を見た。
「そんなには大きゅうないで」
 隆は少しムキになった。
「ほな、どれくらいあるんや」
 相手は中空に手で輪を作り
「これくらいかなあ」
 と、自信なさそうだった。

 よその村の子供たちだった。
「隆は大げさなこと言うやつじゃ」
 その村では、そんな評判が立っている気がしてならなかった。

 

 第3話 従弟はどこに

 隆の母親には妹がいた。千足村とはI川をはさんだ村に嫁いでいた。
 その息子、隆の従弟が小学生の時、ちょっとした騒ぎを起こした。
 彼もお婆ちゃんの家に行き、蒸気機関車に感動を受けた一人なのだろう。そうでもなければ、あんな無茶なことはしでかさなかったはずだ。

 夜になっても従弟が帰宅しなかった。カバンは放りっぱなしだった。
「いつも遅いから、そのうち帰るだろう」
 叔父さんと叔母さんは気長に待っていた。
 真夜中になっても帰らなかった。朝が明けるのも、もどかしく叔父さんと叔母さんは探しに出た。

 隆の家にも、問い合わせがあった。当時、村に電話は一台しかなかった。その家では電話がかかってきた先に、防災無線で知らせていた。
 妹から電話というので、母親は大急ぎで電話口に駆け付けた。
「行ってないか?」
 と言う。話を聞き、隆の母親は心底心配になってきた。

 心当たりに問い合わせても、何の手掛かりも得られなかった。近くの駅にも連絡した。
「そんな子は乗らんかった」
 というばかりだった。
 叔母さんは最後の手段、警察に相談した。

 叔母さんが隆の家に寄り、状況を説明した。
 最近、変わった様子はなかった。つまり、いつものように、悪さをしていたのである。着の身着のままだった。家の金を持ち出したようではない。小遣い銭を多少は持っていたはずだ――叔母さんは警察で言ったことを繰り返した。

 第4話 憧れの都

「お婆ちゃんやお爺ちゃんも心配しとるから、寄って帰る」
 と言うので、隆が叔母さんを送って行った。
 千足村の急な山道を登り、峠に達すると、後はなだらかな旧街道だった。
(事件・事故、両方ともあり得るな)
 黙々と歩きながら、隆は考えていた。

 とにかく、やんちゃ坊主だった。
 従弟が遊びにくると、隆の両親は警戒した。
 水瓶みずがめにゴムぞうりを放り込んだことがあった。池の水を抜き、あやうく鯉を死なせそうになったこともあった。
 権蔵爺さんの鳥籠を開け、大事にしていたメジロを逃がしてしまった。隆の両親は平謝りだったが、従弟は反省している風ではなかった。

「隆兄ちゃん。大人になったら、何になるん?」
 従弟が訊いた。隆は幼いころから、大工さんになると決めていた。そのことを話した。
「へえ。大工さんか。オラはプロレスラーになる」
 隆は理由を訊いた。
「人をどつけるやない」
 従弟一流の志望動機だった。
 その頃、力道山は子供たちどころか国民のヒーローだった。
 劣勢から伝家の宝刀・空手チョップで反撃するシーンに、胸躍らせたものだった。しかし、従弟に限って言えば、あまりいい影響は与えていないようだった。

「隆兄ちゃん。家出するとしたら、どこ行きたい?」
 そんな話も出たことがあった。
 隆は坂本龍馬を尊敬していたので
「やっぱり高知やろなあ」
 と言った。
「オラ、東京行くで」
 従弟の口ぶりは、単なる思い付きではなさそうだった。

 お婆ちゃんの家が近づいてきた。はるか彼方に駅舎が見え、蒸気機関車が停まっていた。やがて黒い煙を吐いて、高松方面に出発した。

 隆はある可能性に思い至った。
 叔母ちゃんは半信半疑だった。
 第一、汽車に乗った形跡がない。うまくもぐり込んだにしても、片田舎の小学生が一人で長旅をすることなど、考えられなかったのだ。
「一応、警察には言うておく」
 ということになった。

 夕方、従弟は補導された。
 スイッチバック式の駅を越え、線路を歩いているところを、駐在さんに確保された。
「東京へ行くんや」
 と目的を告げたらしい。

 無煙化が進められ、四国の蒸気機関車は1970年(昭和45)にいち早く廃止された。
 本四連絡橋が完成し、香川県の坂出と岡山県の児島が鉄道で繋がったのは88年(昭和63)。小学生ながら、四国と本州が陸続きになっていないことを、隆は知っていた。隆の地図では、海を渡らなければ、本州へは行けなかった。隆の海は、Y川やI川の何十倍も広大だった。

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