女子高生Y
第1話 トリップ
§1 シカト
目の前の現実には、目を向けないようにしている。
これはYの生き方だ。処世術などというのは古くさくてイヤだ。
中学・高校とも、担任は何かと気遣(きづか)ってくれた。
「友達はいないのか」
「もっとクラスの輪の中に入って行けば」
などと言う。
みんながYを無視しているのは、承知している。
SNSでつまらないことをつぶやいたり、風景や料理の写真を投稿したりして、何か精神的な栄養になるのだろうか。思ったままを述べたら、着信がゼロになった。グループから外されていたのだ。
Yは、むしろ、清々していた。もう、まわりを気にしないで済むのだ。
§2 安らぎタイム
玄関のカギを開け、誰もいない部屋に入る。ママが帰って来るのは、いつも九時過ぎだ。
ママは隣り町のスーパーに勤めている。たまに、職場の人と飲み、代行で帰ることもある。そんな時は近寄らないようにしている。ママは酔うと、何かにつけてYに当たり散らすからだ。
Yもたまにママの酒癖の悪さを責めることがある。
ママは逆上し、大声を張り上げる。ママの声はよく響く。アパートの隣りの部屋には、独身の中年サラリーマンが入居していた。ママとYのバトルが始まると、息をひそめ、親子のやりとりを楽しんでいる様子だった。
ヨーグルトとカップ麺で空腹を満たす。
これから、この狭苦しい世界を脱出し、思いっきり羽を伸ばすことができる。スリリングだが、生きていることを実感できる瞬間だった。
Yはスマホの電話帳を開き、ある登録先にかけた。
電話に出たのは、中年の男性だった。
いつものことだが、口を開くのに勇気を要した。
「もしもし、もしもし」
いつまでも無言を続けてはいられない。
「私、叔父さんとのことで…」
§3 叔父さんの援助
初めて電話相談したのは、中学二年の時だった。
何日も考え抜き、思い切って電話した。
「母子家庭なんです。パパが亡くなってから、ママは、なんて言うのでしょうか、女手ひとつできょうだいを育ててきました」
Yは高校進学について考えなければいけない時期に差し掛かっていた。
弟は一つ年下だった。やがて、ママは二人の子供を高校に通わせることになる。蓄えはなく、Yは家計を心配した。
悩んでいる一家に援助の申し出があった。
ママの妹は若手実業家と結婚していた。
高校中退のママと違い、叔母さんは短大を出ていた。同じ親から生まれた姉妹とは思われないほど、叔母さんは誰もが認める美人だった。Yは叔母さん似であるが、弟はママに似ていた。
叔父さんは叔母さんより二つ年上だった。お坊ちゃん学校として知られる私立大学に通い、大学のコンパで叔母さんと出会った。
Yのおじいちゃんとおばあちゃんは「二人ともまだ若い」と反対したが、卒業後一年も経たずして二人は結婚式を挙げた。期待の若手実業家にふさわしい、盛大な披露宴の様子を、Yはかすかながら覚えている。
その叔父さんがきょうだいの学資を出してやる、ということだった。
「親族に辛い思いは、させられないよ。私立の女子高に行きたいのなら、受けてみろよ。金のことなど心配するな」
叔父さんは胸を張った。
「それは、よかったですね」
電話の向こうで、まるで自分のことのように、喜んでくれた。
第2話 好き嫌い
§1 タイムアップ
叔父さんの申し出に、ママも、話を取り持ってくれた叔母さんも、胸をなでおろしていた。しかし、Yは素直に好意を受け入れられなかった。
「私、小さい時から、叔父さんが苦手だったのです」
相談員は意外なことを聞いた、という感じだった。
「ほう。よかったら、もう少し詳しく話していただけませんか」
叔父さんはことさら、Yの容姿を褒めた。
「この子は美人になるよ」
そんなことを聞かされて育った。小学校に入っても、頬ずりしてきた。ママと叔母さんは、黙って叔父さんを見ていた。
叔母さんたちは幼子を亡くした。葬式で叔父さんは棺にすがって泣いた。Yを可愛がる叔父さんの心境が、ママたちには痛いほど理解できたのだろう。
しかし、Yはそんな叔父さんが次第にウザくなっていた。
「今日は私の話、聴いてくださってありがとうございます。そろそろ、ママ、帰ってくるから」
Yはずっと、話していたかった。
「叔父さんはあなたが可愛くて仕方ないのでしょうね。でも、あなたは叔父さんが苦手。難しいですね。徐々に関係が変わっていくといいですよね。また、何かあったら、お電話くださいね」
相談員はふつう、先に受話器を置かない。Yが電話を切るのを、待っているみたいだった。
§2 告白
昼休みに廊下で、隣のクラスの男子生徒に呼び止められた。
「Yさん。今日の放課後、屋上で話したいことあるんだけど」
こんなことは初めてだった。
男子生徒の間では
「可愛くない」
「理屈っぽくて面白くない」
などと嫌われ者になっていることは、分かっていた。
ただ、今回だけは、どこか思いつめたような、真剣な表情だった。
(あの子も、何か聴いてほしいことがあるのかな)
Yは、そんなことを考えながら、屋上の重いドアを押した。
男子生徒は屋上の手すりに両手を置き、遠方に目をやっていた。私鉄の駅を各駅停車が発車したところだった。
「高一の時から、ずっと、好きだった。付き合って欲しい」
男子生徒は振り向くなり、言った。
Yは慌てた。予期していない言葉だった。
「今度の土曜、映画に行かない?」
男子生徒の顔が見る間に赤くなった。
「ごめんね。土曜はアルバイトがあるのよ」
Yはそれだけ伝えた。
男子生徒は鉄の扉を開けた。肩を落とし、下を向いていた。
(日曜なら、空いていたのに)
屋上に一人たたずんでいて、少し後悔の念が起きた。
§3 アトリエ
電話に出たのは中年女性だった。
手みじかに、叔父さんの援助で高校に進学したことまで話した。
「そうお。大変な思いしてきたのね。でも、親切な叔父さんがいて、本当によかったね」
誰もがそう言ってくれる。今日の相談を持ち出すのに勇気が要(い)った。
「私ね、バイトしてるんです」
「あら、そう」
高校に入り、時折、叔母さんの家に立ち寄るようになった。
叔母さんはケーキを出し、高校の様子などを訊(き)いてきた。
「すごく楽しそうじゃない」
叔母さんは喜んでいた。Yの言ったことは作り話だった。
叔父さんが仕事から帰ってきた。
叔母さんはYの高校生活の様子を報告していた。遅くなったので、叔父さんがクルマで送ってくれた。叔父さんはフェラーリを上手に運転しながら、何気なく、Yに話しかけてきた。
「叔母ちゃんとも相談してたんだけどさあ、昔やってた絵をまた描きたくなってね。Yちゃんにモデルを頼もうかと思ってるんだよ。もちろん、モデル料は出すよ」
§4 アマチュア画家
叔父さんと二人切りになるのはイヤだった。クルマに二人で乗っていても、会話に困った。
勤めに出ているママのことが浮かんできた。バイト代が入れば、家に入れることもできるし、買いたい物もあった。
(モデルなら、話をしなくてもいいのと違うかな)
あれこれ考えているうちに、クルマは自宅アパートに着いた。結局、はっきりした意思表示はできなかった。
土曜の朝、叔父さんは迎えに来た。
都心に購入していたマンションの部屋を片付け、アトリエにしていた。
「いやあ、叔母ちゃんが三日がかりで整理してくれてね。なんとかアトリエっぽくはなったけど」
叔父さんはコーヒーを淹(い)れながら、話した。
「Yちゃんの、そのコーヒー飲んでるところ、いいねえ」
叔父さんはスケッチブックを取り出した。
アトリエの叔父さんは、いつもの叔父さんではなかった。筆を持つと、人が変わったようになった。部屋に緊張感が漂う。
YはNOと言えなかったことを後悔し始めていた。
第3話 密室
§1 エスカレート
コーヒーを飲む少女の絵は、一月ほどで仕上がった。叔父さんは満足していた。いつになく、口は軽かった。
「今度は、Yちゃんの若い姿態を描いてみたいな。Yちゃんにも、いい記念になると思うよ」
叔父さんから、新しい要求があった。
「姿態って。もしかして、あなた、ヌードになったの?」
女性相談員の声の調子が変わった。
Yは、最初キャミソールが用意されていたが、次第にブラジャーとパンティだけにされた、と話した。
「気を付けなさいよ。叔父さんって言っても、男よ。そんな恰好(かっこう)でふたりだけになるなんて、不用心すぎるわ」
相談員に叱られた。
言われまでもないことだった。
「あなたねえ、自分の気持ちをはっきり伝えなきゃだめよ。そういう目的で近づいてくる自称・画家やカメラマンが多いのよ」
前にも、同じことを女性の相談員から聞かされていた。
§2 デート
男子生徒から再度、呼び出しがあった。
初回と同じように、屋上で待っていた。早くから来ていたのか、折からの雨が男子生徒の学生服を濡らしていた。Yはその愚直さに好意を覚えた。学生服の雨粒を払ってやりながら、軒下に誘った。
「もう一度だけお願いしていい?」
表情が強張(こわば)っていた。
「この前もね、日曜なら空いていたのよ」
映画に行くことを了承すると、男子生徒は両の拳を握りしめた。
名前をSという。Sは映画のチケットを二枚買っていた。
Yにとって映画は退屈だった。Sはもじもじ、しっぱなしだった。何度かSの手がYの手に触れた。そのたびに、Sは急いで手を引っ込めた。
映画の次は、近くのカレーショップに行った。
Sは映画に出てきた列車の車両について語った。詳しかった。映画のストーリーや俳優の話になると、Yがほとんど映画を見ていなかったことがバレてしまうので、質問を交えてSの話を聞いていた。
「なんで、山を登ってた電車がバックしたの?」
「あれがスイッチバック方式さ。一気に登れない山などは、途中でバックして勢いをつけて登っていくのさ」
Sは掌を下に向け、加速をつけて列車が登る様子を説明した。
「今度、ボクの家においでよ。列車のプラモデルがいっぱいあるよ」
Sは上気していた。
§3 寝台特急
その日、Sの両親は出かけていた。
Sは駅まで迎えに来ていた。Sの家は閑静な住宅街にあった。道すがら、Sは鉄道の旅の魅力を語っていた。
Sの本棚は鉄道関連の本や雑誌であふれていた。部屋中に列車の模型が置いてあった。さらに壁沿いにレールが敷かれ、Sが青色の列車模型を乗せると、ゆっくり動き出した。
「ブルトレ、ブルートレインだよ。二〇一五年に廃止になった寝台特急さ。今は後継としてサンライズが運行しているだけだよ」
Yは部屋をめぐるブルトレを眺めていた。鉄道の話をしていたSが静かになった。後ろを振り向こうとした時、Sに抱きすくめられていた。
「キスしてもいい?」
Sは抱きついたまま言った。Yは抗(あらが)わなかった。
二度目にSを訪ねると、Sは待ちかねていたかのようにYを抱き、服を脱がしていった。
Yには大した感慨はなかった。
(あの人も、こうして男と交わり、私が生まれたのだ)
やせぎすの母の裸体が、脳裏から消えなかった。
§4 拒絶
「うまく描けないなあ」
叔父さんは、頭を掻きむしった。
「肝心なところのラインが分からない」
叔父さんはアトリエの中を右往左往している。
「いっそ、邪魔な物を取り払ってみよう」
叔父さんはYのブラジャーとパンティを指さした。
次回から、一糸まとわぬ姿が当たり前になった。
Yがしり込みしていると、叔父さんの目が険しくなる。体調の悪い時でも、叔父さんは配慮してくれなかった。アトリエを汚すことを恐れたが、叔父さんは自然のままを指示した。
電話の向こうで、ため息が聞こえた。
「あの時は脱ぐのを断ること、できないの?」
女性相談員らしい理解を示した。
叔父さんに、それとなく話を持ち出したことはあった。
「要はモデル辞めたいってこと。Yちゃんにはこれまでもいろいろ面倒見てきたし、弟の高校進学だってあるでしょ。ボクとしても、Yちゃんたちのママがお金で苦労しているのを、黙って見てられないのよ。Yちゃんたち、行きたければ大学だって行かしてあげるよ」
話がママのことに及び、Yは涙があふれてきた。叔父さんはそっとYの肩を抱いた。顔を上に向けられ、叔父さんの唇がYのそれに重ね合わされた。
「あなたと叔父さんのこと、叔母さんやお母さんは気づいているの? 単なるモデルと画家の関係じゃなくなったのよ」
相談員の口調がきつくなった。
「知らないと思います」
とは答えたものの、Yは確たる自信がなかった。それに、二人の知るところとなれば、Yだって女として、責められるだろう。三つ巴、四つ巴の争いとなる。一族は散り散りになるに違いない。
「そのうち、男は最後の一線を越えてくるものなのよ。あなたは拒み通せるの。まだ、高校生でしょ」
Yには何がなんだか分からなくなってきた。
第4話 惜別
§1 弟思い
「お母さんも大変だろうけど、君は若いのに、いろいろな苦労をしているんだね」
今夜の相談員は高齢の男性みたいだった。
「お母さんや弟さんのことを思うと、君は自分を通せないものね」
よく分かってくれている。
「ボクも家は貧しくて、きょうだいが多かった。中学を卒業して都会に就職し、思い起って定時制高校に通った。結局、夜間大学を卒業したのは二八だったけどね。あの時代のこと、思い出しましたよ」
Yはすすりあげた。
「弟は、この夏、自殺しました」
相談員に沈黙があった。
「なんという…」
§2 失恋
弟は私立高校は不合格だった。地元の公立高校の工業科に入学した。
叔父さんは経費を全部出してやる、と言ってくれたが、ママは気兼ねした。結局、入学金や授業料は叔父さんに頼り、教材や実習着の費用などはママが出すことになった。
「けっこうかかったのよ。普通科にしとけばよかったのに」
弟が留守の時、ママがふと洩(も)らした。それでも、アパートで弟の実習着姿を見て、ママは目を細めていた。
弟は連休明けから、アパートに閉じこもるようになった。
連休前、同じ学校の普通科の女子に告白し、フラれた。女子生徒にはすでに付き合っている男子生徒がいた。話を聞いた男子生徒はSNSでバラしてしまったのだった。
こうして、弟がフラれたことは、連休中に多くの校友の知るところとなってしまった。
「もう、行かねえよ」
Yが朝、起こしに行っても、弟はふとんをかぶって動かなかった。
弟の持ち帰った実習着を洗濯し、ママが畳んでいた。Yは声がかけられなかった。
§3 ロマンス
弟はYやママが帰宅すると、入れ替わりに外出した。
Yは叔父さんからもらったバイト料の一部を弟に渡した。毎夜、出歩くので弟は小遣い銭に困るようになった。
「姉ちゃん、オレ、いいバイト見つかったんだ。自宅でできるんだぜ。もう、姉ちゃんに小遣いもらわなくて済むよ」
ある日、Yが学校から帰ると、弟が報告した。
なんでも、簡単な文章の入力作業らしい。
「いくつか見本があって、SNSの会員にメッセージを打ち込んで送るのさ」
熱心に入力しているみたいだった。やはり、夜は外を遊び歩いていた。
弟の部屋から何の気配もしない朝があった。弟は外泊したのだ。前例がなかった。
Yは気が気でなかった。帰宅すると、居間に弟の姿があった。
「姉ちゃん、オレ、まずいことになったよ」
弟は顔を腫らし、青あざをつくっていた。
「あのバイト、ロマンス詐欺だったんだよ。オレ、姉ちゃんやママ、叔父さんや叔母さんにも迷惑かけるかも知れない」
痛々しい顔を押さえ、弟は声をあげて泣き出した。
§4 手口
弟はSNSの会員になりすまし、めぼしい会員に友達申請をする。男性には女性会員として近づき、女性には男性会員役を演じる。何度かメッセージをやり取りした後、本題に入るのである。
いろいろな理由をつけて金を振り込ませる。弟の場合、中年女性から結婚資金として五〇〇万円振り込ませることに成功した。口座は組織が誰かから買ったもので、入金があれば、担当が即座に引き出す。ある時など、外国在住の富豪の未亡人になりすまし、八〇〇万あまりを立て替えさせたこともあった。
「だけど、なんで、そんなグループに近づいたのよ」
Yはあきれ果てた。
「毎日、退屈だったから、SNSの会員になったんだ。そのうち『特別会員』の案内が来て。非常にステータスの高い会員だから、ボクの場合、身元がしっかりしていることを確認したいって言うんだ。家族の氏名と勤務先、叔父さん・叔母さんの住所・氏名・勤務先を書いて提出すると、やっと入会が認められた。そのうち『君を信用して、大金の入るバイトを紹介する』って」
特別会員などとプライドをくすぐられ、果ては軽い気持ちで始めた闇バイトから、足抜けできなくなったのだ。
「見たこともないような大金が振り込まれるので怖くなり、辞めようとしたんだ。そうしたら『抜けられると思ってるのか。お前の親族にも危害を加えるぞ』と、夕べは事務所でボコボコにされたんだ」
§5 無念
「怖い話ですねえ」
相談員は声をひそめた。
「それが弟と過ごした最後の時間でした。『ママによろしく』って言い残し、弟は出て行きました。すでに、死ぬ決心を固めていたのでしょう。そのことに気づいていれば、力づくでも家に引き留めたのですが」
刑事が上京して来た。
遺書らしい簡単なメモ書きとスニーカーを見せられた。スニーカーは新しく、どこにでも売っているものだった。筆跡は確かに、弟のものだった。それらが絶壁の上に残されていたらしい。死体は上がっていない、ということだった。取り敢えず出しておいた失踪届けが役には立った。
「高校を中退して引き籠(こも)りになっていたので、いなくなってから、とても心配していました」
ということ以外、Yは余計なことは話さなかった。刑事は足取り重く帰途についた。
「言葉がありません。せめて、弟さんが私たちに電話してくれていたら、お話を聴くことだけでもできたのに…。長く相談員をしていますが、こんなショッキングで哀しい話は初めてです。犯罪者のグループですから、万が一のことを考え、身の安全に十分ご注意ください」
相談員の声が震えていた。
「ありがとうございます。相談員さんのお仕事って大変よねえ」
Yは同情した。
「この電話はみんな、ボランティアなんですよ」
(それじゃ、報われないことばかりだろうな)
と、考えたが
「お疲れ様です。お休みなさい」
とだけ告げて、頭を下げた。
第5話 歴史は繰り返す
§1 変調
もともと生理不順だった。
少しくらい遅れても気にかけていなかったが、今回だけは別だった。おりものが増えた、下腹部や乳房が張った。体がだるく、授業中に眠くなることも度々(たびたび)になった。
Sと会った。Sは外で会おうと言ったが、YはSの家に出かけた。
部屋に入ると、Sはいきなり抱きついてきた。
「だめだ。会うとYちゃんが欲しくなる。こんなことは、これっきりにしよう。最近、ボクは罪の意識にさいなまれてしかたなかったんだ」
「今日は、私も大事な話があるの」
それでも、SはYの体を離そうとしなかった。
なんとかSを遠ざけ、Sの目を見つめた。
「そんなことって…。やっぱり、ボクたちはいけないことをしたんだ」
Sはベッドに腰かけ、放心状態だった。
「もう二か月が過ぎたわ」
SはYのお腹に耳を当て、時々、すすり上げていた。
「今日、私、バイトあるから」
ベッドから立ち上がりかけたYに、Sが再び挑んできた。Sはこれまでのようには達しなかった。
§2 痕跡
「私、叔父さんの子を妊娠してしまったのです」
相談員は絶句したようだった。ややあって
「どういうことですか。詳しくお話を聴かせてください」
Yは叔父さんのモデルのアルバイトをしていること、同じ高校の男子生徒と付き合っていることなどを詳しく話した。
いつものように叔父さんのアトリエに行き、全裸になって椅子に腰かけた。叔父さんはしばらく筆を動かしていたが、怪訝(けげん)そうな顔を近づけてきた。
「これ、どうしたの!」
Yの肩を指さした。
先週、Sと交わった際、Sが激しくキスした跡だった。Yとしては、うかつだった。
叔父さんはYの右手首を持ち、首の後ろをつかんでバスルームへ連れて行った。鏡の前に座らせるなり
「これは、誰が付けたの?」
激しくYを揺さぶった。
§3 お清め
「そういうことだったのか。オレはとんだピエロだった」
Yを押し倒し、叔父さんは自らの着ているものを脱ぎ捨てた。
叔父さんはスポンジに液体せっけんを沁み込ませ、Yの体を洗い始めた。
「こんなに汚(けが)れて…」
一時間あまり、何かに取りつかれたように、Yを洗った。
「よし。これできれいになった」
叔父さんはYをバスタオルで包み、ベッドに抱いて行った。
「あなた、男子生徒とも付き合っていたんでしょ。なんで、叔父さんの子だって言えるの?」
最後の生理日から計算して、男子生徒の子ではあり得なかった。
「どうするつもりなの。叔母さんやお母さんに本当のことは言えないでしょ。堕(お)ろしなさい。悪いことは言わないから」
もっと激しく責められても覚悟はしていた。
「考えてみます。長い間、話を聴いてくださって、ありがとうございました」
相談員はまだ何か声高に言っていたが、Yは電話を切った。
§4 未遂
Sから手紙が届いた。
「この手紙を投函してから『サンライズ瀬戸』に乗ります。短いお付き合いでしたが、楽しかった。ありがとう。数回のセックスで君に妊娠させてしまった。ボクは生まれてくる子に対しても、君に対しても、責任が取れない。せめて今夜一晩だけでも、真剣に君たちのことを考えます。明朝、四国に着いています。坂出駅でサンライズを降り、鈍行で坪尻駅に向かいます。スイッチバック式の駅です。そこから深い山に入り、ボクは永遠の眠りにつきます。もう一度、ありがとう。そして、さよなら」
高校に行くと、いつもの淀んだ空気がたゆとうていた。
Sの姿はなかった。もし、目的を達していたなら、いくら目立たなかったSであっても、学校中が大騒ぎになるはずだった。また一人、中退者が出たという噂はあったが、誰も大して気に留めていなかった。
§5 カエルの子
コンビニのバイトから帰ると、アパートの部屋に明かりは点(つ)いていなかった。
バッグからキーを出し、鍵穴に差し込もうとすると、ドアは空いていた。恐る恐る玄関に足を踏み入れると、何か柔らかいものが足に当たった。ママだった。今夜も酔っていた。
「痛いわねえ。どこ、うろついてたのよ」
ママはフラフラと立ち、水を飲みにキッチンに行った。
「ママ、高校、やめたいんだけど」
水にむせながら、ママが振り向いた。
「なんで。あと一年じゃないの。ママはあなたを高校出したくて、頑張ってきたのよ」
Yは事情を説明した。ただ、相手の詳細は話さなかった。
「全く…。カエルの子はカエルね。素性も明かせないような男の子供を身ごもって。あんたも苦労するわよ。顔かたちだけじゃなく、性格まで似たのね。もうイヤ」
ママは早々にふとんに入った。
(私は違う)
ママのいびきを聞きながら、Yは思った。
(ママは私に、パパの話を全然してくれなかったけど、私は子供にいっぱい父親の話をしてやるんだ。『あなたのパパは画家だったのよ』なんてのもいいかな。そうだ、カメラマンということにしようか)
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