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ハイシーズンのルーティン

パウダースノー真っ盛りの1月から2月。
ここ北信の山では一晩で40cm〜60cmの積雪はそう珍しくない。

だからこそ安全に、その日ならではの楽しい雪を選ぶ必要がある。

天気図や天気予報のサイトをいくつも掛け持ちしていて、気付いたら(指が勝手にスマホを動かして)この先の予報をチェックしてしまう。
これは我々スノーボーダーの習性と言っても過言ではない。

Twitterで各所の混み具合も抜かり無く検索するし、なんなら予報と実際のズレの答え合わせを毎日しているようなものだから、天気予報サイト毎のズレ感も大体わかってきてしまう。

そうやって培ったデジタルな数字とダイレクトな肌感の融合的な感覚は、レベルはさて置き「明日滑れる範囲で一番いいであろう雪と道具と充実感を当てる」ことには必須なのだ。

晴れ間無く4日に1回40cm以上降るサイクルが続いたりすると、雪山がなかなか私を離してくれない。

とにかく朝一雪山へ!

こんな毎日が永遠に続いてくれればと錯覚するほどの多幸感。

地球が氷河期だった頃を想像する
雪が全く降らない時代を憶う
人生での雪遊びを想う
シーズンの雪を思う
今夜の降雪を信じる
数時間後の雪の気配をを感じる
数分後の雲の動きを見る


そういう時のルーティンはこう。

降雪後1日目

降った翌日はほとんどサイドカントリー。

いかに「ロングな面ツル」をたくさん滑れるかの、言わば勝負の1日。

ここ5年の間、シーズン券を駆使して掘り続けた数多のライン。先輩から受け継いだ大切なライン。
失敗の数だけラインは増えるということを私は知っている。

「三日月」「ズッコケ」「白い恋人」「スタミナ太郎」とか、仲間にしかわからない安易な名前をつけて示し合っているからか、第何リフトを使ってどこどこのコースから入る、みたいに細かく説明することが出来ない。
ぼーっとしていても行きたいラインの入口には辿り着けるのに、人様が付けた名称はなかなか覚えられないのは何でだろう。

見知ったウェアがゴンドラを出て左に行くなら右に行く。上に行くなら下に行く。達者な外国人が多そうならメインは外す。

あえてコアなラインを1発目から狙うと、ローカルとカチ合う可能性が高い。
いやー、今日の一本目ここですか!いいですね!とザックに入れた缶ビールで乾杯したいところだけど、なるべくそういう状況は避けたい。

とにかく頭を使って流れと逆にいくこと。
これが1日目の鉄則。


「生ビール 飲んでる隙に ライン増え」
ゆい心の俳句


降雪後2日目と3日目

この日はいくつかの先輩ローカルグループとの心理戦的要素も強く、土日祝だった場合は特に難しい。

自分のことながら、洗いざらいリサーチする様は推理探偵そのもの。

リサーチのし過ぎで寝不足になったり、情報を入れすぎて逆にわからなくなったり…みたいな本末転倒状態によく陥るので、ただの素人探偵であることには間違いない。

そんな時、仲間っていいなぁ〜友達っていいなぁ〜としみじみ思う。

その日の朝まで決められない素人探偵も、三人寄れば文殊の知恵。
「その日のすべてを当てるとは?」という幸せを感じられるようになったのに、AちゃんとAくんの存在は特に大きい。

降雪の翌日だと振りすぎて滑るのに楽しくなかったであろう場所や、数日沈ませないとスマートに出入り出来ない斜面を狙う。

標高が高い場所で氷点下が続いたりすると、2日待ったところでまだ雪が沈んでいなかったりするから、その日までの日射と気温の観察は必須。

雪崩れると雪崩ないの境目を見つけようとすることが大事。

ローカルの流れ、なるべく情報が少ない場所、snsなんてほとんどやっていないスキー場、自分たちくらいしか行かない場所。
2日目と3日目はそんな場所が天国になる。


そして我々には、

雪板という選択肢がある


カンタンなようでカンタンじゃない。
何でもいいようで何でもよくない。
乗れてるようで乗れてない。

新雪で雪板と自分がシンクロした時の感覚は、スノーボードを余裕で超える胸の震えがある。

雪板歴8年目、コンディションを間違えてジャリジャリの薄く凍った雪面に顔面からダイブして擦り傷だらけの真っ赤な顔になることも多々ある。

いつまでたっても上達しないけど、イヤになる気が全くしない。

自然の現象にとにかく逆らわないこと。
自分も自然の一部なんだから。

雪板の素晴らしさってそんなところにある。

遊び場所を探すことが出来れば、あとは雪を待つだけ。
コンディションを当てられれば、スノーボードよりもセーフティ且つ刺激的に誰もいない森で遊ぶことができる。

こんな感じで降雪後の数日を余すことなく満喫する。

2日置かずに雪が降る時なんかは「もう1日振らなくてよかったのに」なんて自分勝手なことも思うけど、いい感じで振り続けられたら、それはそれで困る。
毎日頭の中ぜんぶが雪山に持ってかれていて通用するほど人生は甘くない。

面ツルが無くなったらいよいよ自力で歩いて登って滑る。
その話しはまた今度。

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