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K君のおかあさまへ2)ひきこもり支援…選ぶまえに知っておきたいこと

 ご無沙汰しております。いかがお過ごしでしょうか?
 前回のお手紙では、かんたんな自己紹介と、ひきこもり問題の背景にある日本社会の設計ミス…のようなものについて、お話させていただきました。
 今回は、もうちょっと具体的な…、少しでも実際に役に立つようなことをお話しできたらと思います。

 そうですね…。おかあさまは、もうすでに、「このまま放置していても解決できそうにないから、なにか早急に手を打たなくては…!」と、不登校やひきこもり問題について、その支援について、いろいろ調べていらっしゃるのではないでしょうか。きっと、具体的な…選べる選択肢の情報は、わたしなどよりよほど詳しいと思います。現在は、不登校・ひきこもり問題は、周知の社会問題であり、地域それぞれ、対応してくれる施設や団体がたくさんありますので…。
 具体的に「この施設はいい、この団体はいまいち」と、支援団体ひとつひとつをご紹介していくことは、わたしにはできません。しかし、一応学生時代に、不登校やひきこもりが社会問題になっていく様子や、それに伴って、どのような対策がとられてきたか、その対策の長所・短所、など、そういうことを調べておりましたので、まあ、なんというのでしょうか…、おおまかに、この支援は、なにを前提として、なにを目指しているのか、というのは、分かるようになりました。

 すみません、これではただの自慢ですね。じゃあ具体的にどうすればいいの? っていうことを、早く言うほうがいいのだと思います。
 まず、いちばんに言いたいことは、どんな対策を選ぶにしても、おかあさま(あるいは、おとうさま)と、K君との関係性を、もっとも大事にしてほしいということです。
 つまり、ですね…。不登校・ひきこもりを、早く解決しなくては! と、焦るあまり、どの支援を受けるかをおかあさまだけで決めてしまったり、子どもの意思を無視して物事を進めてしまったりすると、うまくいくはずのものでも、うまくいかなくなる、ということです。
 急ぐ気持ちはわかります。「不登校の早期解決を」「初期対応を間違えると、ひきこもり長期化へ」「見守るだけでは、ダメ!」など、不登校やひきこもり専門家による、対応を急かす言葉は多いです。
 専門家の危機意識も、わからないでもありません。1970年代、「不登校」の子がいちばん初めに「問題」として取り上げられ始めた頃ですが、その頃は、「子どもを縄で縛ってでも学校に無理やり連れてこい!」という時代だったのです。今では考えられないくらいひどいですね。でも、そこから、あまりにもひどい当時の専門家(教師や、病院の先生)たちの対応に対して、不登校の子を持つ親たちが立ち上がって、「不登校(当時は「登校拒否」)は、病気じゃない!」という運動をはじめたんです。そして、その親たちで集まって、不登校の子どもたちが、自分たちのペースで学べる学校をつくった。これが、フリースクールの始まりなんです。でも、このとき…、言葉だけがひとり歩きする、みたいな状態になってしまった、といいますか…。本当は、「子どもが悪いんじゃなくて、学校が悪いんだから、あたらしくフリースクールを作る」っていう運動のなかでの言葉だったのに、「不登校の子どもは、むりに学校に行かせなくてよい」「見守ること、休ませることがいちばん大事」っていう言葉が、こう、大きく取り上げられて…、それで親たちが半信半疑ながらもそれに従って、様子見をずっと続けたことで、今度は、「不登校・ひきこもりの長期化」の問題が大きくなっているので、それで専門家たちは問題解決に取り組むべきだと、懸命に主張するわけです。(あとは、最近では、社会的な問題による…つまり、背景に貧困の問題などがある不登校のことも、問題となっています。)
 でも、今まで問題がなかった我が子がいきなり、不登校やひきこもりになって困惑するお母さま・お父さまと、この、ずっと不登校やひきこもり問題に対応してきた専門家との、たどってきた歴史、というか、文脈が全く違いますので、ちょっと、そういうギャップはあるかと思います。専門家の「早期解決を!」という言葉は、「一分一秒を無駄にするな! 一刻も早く解決しないと、手遅れになるかも…!」という意味ではなく、「なんの対処もせず放置して長期化、っていうのは、もうやめよう。そして、ちゃんとみんなで、解決策を考えていこう」という意味で受け取ってくださっていいと思います。このへんのニュアンスは、すれ違いやすいので、ほんとうに慎重に読み取っていただきたいのです。その…専門家がこう言ったから、この人がこう言っているから、とかではなく、自分の腑に落ちるかどうか、子どもの表情が、ちょっとでも明るくなるかどうか、で、判断するのが結局はいちばんかと…。

 ちょっと脱線してしまいました。すみません、けっこう勉強は好きだったもので、不登校問題の歴史やら、専門家の知識の受け取り方のことやらを、長々と語ってしまって…。
 そう、K君との関係性を最優先に、というお話をしていましたね。
 前回のお手紙でもお話したのですが、学校や職場など、社会との関係を保つエネルギーが枯渇した状態にあるK君にとって、家庭が唯一の居場所、羽を休めることのできる場所となっていると思います。なので、その家庭で、親(お父さまでも、お母さまでも)が、「社会」の代理人として、「ちゃんと社会に出なさい」「これからどうするの?」とプレッシャーをかけてしまっては、社会からの避難所である家庭も、「社会」になってしまいます。いまは、「社会」から逃げたい状態だから、家庭にいるのだと考えると、家庭は「社会からの避難所」としての役割に徹した方が、きっとよいのだと思います。
 最優先は、こころとからだの回復、そして、そのためには、家庭内の人間関係を良好に保つ必要があるのだと思います。「そんなこと言っていたら、社会に出る力がなくなってしまうかも」「家庭の居心地が良ければ、ずっと家庭に居つづけてしまうかも」と、不安になるかもしれません。でも、家族との会話だって、ひとつの立派な「対人コミュニケーション」です。良好な人間関係が、ひとつでもふたつでもあれば、それは、家族以外とのコミュニケーションの時にも役立つと思います。
 ところで、突然ですが、おかあさまは、「雑談」は得意でしょうか? つまり、なんの目的もない、なんの意図もない、べつに相手を説得したいわけでも、相手になにかやらせたいわけでもない、終わりのない、意味のない会話です。べつに、とくに話す内容も理由もないけど、お互いになんとなく楽しいから、ずっと会話が続く、というような…。ひょっとしたら、K君がひきこもってしまう前は、そういう関係だったかもしれません。ひきこもってしまってからは…。一緒に会話を楽しむ、余裕もなくなってしまったかもしれません。でも、結局は、そういう会話が、いちばんのこころの栄養になったりします。相手を否定もせず、評価もせず、ただじゃれるだけ、あそぶだけ、みたいな会話が…。会話が得意でなくても、共通の趣味でもいいですね。料理したり、いっしょに洗濯したり…。ゲームをしたり、本の感想を言いあったり。学校に行っていても、行っていなくても、K君はK君であり、いっしょにいてくれるとたのしい、ひとりのだいじな人間なんだよってことが、態度で伝わると、生きていてたのしいな、っていう感覚が戻ってくるかもしれません。
 そうですね…、わたしが学校に行けなくなった時、いちばんショックだったのが、やはり、親が今までとは変わってしまって、家庭の雰囲気も変わってしまったことでした。学校にスムーズに通っていたころは、家は休息の場で、なんの問題もなかったのですが、だんだん学校に通えなくなってきた時に、徐々に家の空気も不穏になっていったように思います。母親は、わたしの体調と将来を心配して、いろいろな病院にわたしを連れていくし、家族の話題は、わたしのことばかりになって…。そう、家族全体が、不安に包まれてしまうと、気が休まらないんですよね。「早く治らなきゃ」と気を遣ってしまって、自分の心身の回復に集中できない、といいますか…。
 こころが弱っているときは、とくに、まわりの雰囲気に影響されやすいですから、周囲の人たちが不安だと、やはり不安が感染ってしまうように感じます。だから、わたしがどんな状況であっても、社会からはみ出そうとしていても、それでも、家族には、自分自身のたのしみや趣味をたいせつにして、元気であかるく過ごしていてほしかったなあと、いま振り返ると思います。自分自身が、まわりの人を不幸にしている、と感じるのが、いちばんつらいですから。自分が生きていると家族が不幸になるから…、と、本気で思い詰めていました。
 わたし自身は、その時…つまり、中学の時に不登校になった時は、一時的に病院に入院して、それで元気になっていきました。一応、慢性胃炎、という名称での入院で、入院中にはいろいろな検査もしました。ですが、やはり、医学的な処置によって回復したのではなく、こう…不安の雰囲気に包まれた家庭から離れて、フラットに…、何というのでしょう、はれもの扱いでなく、ふつうに明るく、接してくれる看護師さんとのかかわりの中で、徐々に体が自然に回復していったように思います。母親も、入院中にそばにいてくれましたが、病院がちゃんとわたしの治療にあたってくれている、というので安心したのか、学校のことやこれからのことを話題にすることなく、隣で穏やかに読書をして、いっしょに時間を過ごしてくれました。やはり、そういう、こころ安らぐ雰囲気があると、からだの緊張もほどけて、回復しやすくなるように思います。あくまで、わたし一個人の経験にすぎず、みんなに同じようにあてはまることではないので、ご参考程度で留めておいてほしいのですが…。

 一方で、危険なのは、「こうすれば絶対だいじょうぶです!」「わたしたちに、お任せください!」と、自信満々に、成功例をどんどん持ち出して、すごく頼りになりそうな支援団体です。いわゆる、不登校ビジネス、「引き出し屋」などです。
 そうですね…、このように言うと、申し訳ないのですが、「子どもがひきこもりになって、不安でいっぱい…」というような、そういう心が不安定な状態は、もっとも悪徳商法に引っかかりやすい、危険な状態です。そういう、不安な時に、「絶対なおる!」と力強く断言し、とても真摯に、親切に説明をし、実際に立ち直った子どもたちの生き生きした活動の様子をみせてくれる…というような、そういう頼もしい人たちに、こころを掴まれてしまうこともあるかと思います。無理もありません。なかには、ほんとうに親切で、いい人たちもいます。
 しかし、やはり、たいせつなのは、自分の子どもに合うかどうか、ですので、成功した80%の子どもたちがいくら生き生きして、きらきらしていたとしても、自分の子どもが合うかどうかは別の話です。成功例以外の、あまりその支援が合わなかった子どもたちの様子を聞いてみて、「脱走して保護された」とか、「ひどい体罰があり、病気やケガの際に病院に連れて行ってもらえない、保護者に連絡がいかない」などの、そういう悪いうわさがないかどうかを、念入りに確認してください。そういう悲しいニュースは、今でもたびたび耳にします。

 しかし、さすがに、そのような悪質な支援は極端な例だとして…。最近では、不登校の子どもも楽しく学べる、オンラインスクール、とか、通信制高校、とか、カリキュラムを工夫したり、先生や同級生との関係性を工夫した、そういうフリースクールが巷にたくさんあふれていますね。
 でも、それも、話し始めると長くなりそうなので…。今日のところは、このくらいにさせてください。

 今日も、長くなってしまいましたが、読んでくださってありがとうございます。わたしの経験が、すこしでもK君のおかあさまのお役に立てたなら…そして、みなさまのお役に立てたなら、幸いです。
 悩みの尽きない人生ですが、それもまた、味わいのひとつとして、ゆっくり休んで、美味しいものを食べて、だれかといっしょにのんびり過ごしたりして…今日一日を、しあわせに過ごしてほしいです。
 それでは、また、お手紙送らせていただきます。
 どうぞ、お元気でお過ごしください。

                           20XX年X月X日
                        やまのうえのきのこ

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