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【消費者の漂流】

百貨店が閉店する、馴染みのスーパーも閉店する。よく通った町の定食屋も閉店すると聞く。思い出もあり寂しさが募るものだ。しかし時代の流れだから仕方ない、と割り切るしかない。

私は店側の人間だったので(口には出さないまでも)心の中でこう呟いていた。

👤「店がなくなって困るなら、もっと買いに(食べに)行けば良かったんだ!こんな時ばかりインタビューでベソかいてんじゃねえよ💧」

👤「百貨店は時代遅れの業態だって?他人事だと思って言いたい放題の専門家w。じゃその後に入るカメラ屋が時代の最先端なのかい?」

👤「子供の頃、屋上の遊園地で遊んだ後、大食堂でお子様ランチを食べた思い出が〜」→もういいから!


馴染みの店があっても、他に良い店があればそちらに行くのはお客さんの自由だ。当然離れた客を取り戻せなければ、その店は衰退していく。潰れた暁(あかつき)には、また別の業者が入って、他店や他の業態から顧客を奪い取っていく。その繰り返し。

☝️これぞ我らが生きる「自由競争社会」であり、業界で『呉越同舟』を企むと、公取に摘発される。

弱肉強食の中では、弱いものは強いものにその座を譲り、退場しなければならない。私の会社(スーパー)も弱かったので退場することになった (笑)

お客さんは「寂しい・悲しい・想い出がいっぱい』と涙を流して悔やんでくれた。今でもまだそんな声が届く。

正直な話し、私はいつも「その割には買い物に来てくれなかったよな…」と思っていた(失礼🙏🏻)。でも口が裂けても言えないことだ。


少しして私が倒産の顛末を出版した時、なんのご縁か著名な哲学者(鷲田清一氏)が新聞に書評を書いてくれた。

そこには私の心を見透かしたようにこう書かれていた。

✅『商店は地域とともに生き残るもの!と奮闘してきたスーパーの社長。行間には巨大資本の攻勢と【消費者の漂流】への苦い思いがよぎる』

負け惜しみ、バレバレだった。消費者に悪気はない。

消費者とは、店に対して愛着も思い入れも感謝の気持ちもある。と同時に新しく・大きく・キラキラした店へも向かう。店や人間関係、時の流れを『漂流』するものなのである。

教科書には『変われる者(店)だけが生き残る』とは書いてあるけど、そんなに簡単に変われるもんじゃない(^^;

池袋の百貨店だって変われなかった。私の地元の商店街も難しいだろう。

それにしても『消費者の漂流』って凄い言葉だな。


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【私はこんな人間です】


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