王様の肖像画

 一人の老画家が王様の即位五十周年を記念して肖像画を描くことになりました。
王様は『相手は世界的に有名な画家で、この上なく高額の報酬を支払う約束をしたのだから、さぞかし立派なものが出来るに違いない』と期待していました。
 ところが、五か月後。出来上がった肖像画を前にして、王様は絶句しました。そこに描かれていたのは、滑稽なほど無様な一人の醜い小男が、薄闇の中から、じぃっとこちらを見ている陰惨な姿だったのでした。
 王様は全身をわなわなと振るわせて激怒しました。
「侮辱だ!」
「屈辱だ!」
「名誉棄損だ!」
「ヘイトだ!」 
「不敬罪だ!」 
「いいや、これはもう、国家反逆罪だ!」
「けしからん! 実にけしからん! あいつは隠しているが、私に恨みのある一族の出だったに違いない。だから中傷目的でこんな絵を描いたに違いない。実にけしからん輩だ。何が『芸術家』だ。何が『芸術』だ。何が『当代随一の絵描き』だ。なにが『大家』だ。こんなもの、ただの嫌がらせではないか。どいつもこいつも『芸術』だの『表現の自由』だのと、『自由』だ『権利』だと言えば何をやっても許されると思っているのか? そんなもの大間違いだと思い知らせてやる! 何? 約束の代金だ? そんなもの払うものか! 自分を侮辱する絵に金を払うバカがどこにいる!」

 王様は怒りに任せて「こんな絵を描いた奴は公開処刑にしてやる!」と言い出しましたが、さすがにそれはと周囲の説得にあい、老画家は、国外追放処分になりました。

 老画家が追放される日。すべてを間近で見ていた王様の家族たち、側近たちは、国境まで老画家を見送りに行きました。なぜなら、みんな申し訳ない気持ちで一杯だったのでした。
 なぜなら老画家は評判通り優秀だったのです。肖像画は実によく描けていたのです。老画家は一枚のキャンバスに、実に見事に『真実』を描いていたのです。そう、あの陰惨な姿は、まさに王様の『真実の姿』そのものだったのです。

 王様の家族たちと側近たちは、この肖像画から学びました。芸術は美しいものなのだと思っていました。『美』を追及するものだと思っていました。みんなを楽しませるもの、みんなを心地よくさせるものだと思っていました。
 でもそれは違ったのです。芸術は『美』を追及するものではなく、みんなを楽しくさせるものでもなく、心地よくさせるものでもなく、『真実』を追及するものだったのです。

 芸術作品とは、『美』に酔いしれる場所ではなく、『真実』と向き合う苛烈な場所だったのです。

 芸術作品とは、『真実』を露呈せしめ結晶化させたものだったのです。
 そのことを、あの一枚の肖像画から学んだのでした。

 その頃、王様は一人中庭で、その忌々しい肖像画と向き合っていました。「処分しておけ」と命じたのに、どいつもこいつも役立たずで「まさに生き写しのごとくで畏れ多くて破くことも燃やすことも出来ませんでした」と言うものだから、結局自分の手で処分することになったのでした。

 改めて見ても、そこに描かれているのは、王の威厳などない、無様で惨めな年老いた小男でした。王様は顔をしかめ手に持った松明の炎をキャンバスへと燃え移らせました。するとキャンパスは瞬く間に赤く激しく燃え上がりました。
 王様は炎に包まれながら恨めしそうに「じぃっ」とこちらを見つめてくる自分自身の姿から、堪らず目を逸らしました。

 『真実』は時に、あまりにも醜悪で、あまりにも残酷なのでした。

参考文献
『芸術の哲学』渡邊二郎

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