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博物館収蔵庫満杯問題の遠因

本記事は民俗学者・岸澤美希先生の記事(下記リンク参照)を読んでまとめたものである。

自分も元は博物館の中の人だったから、収蔵庫の問題はよくわかっている。
正直なところ、収蔵品の選択廃棄は最悪の場合必要だと思っていて、そのかわり廃棄するものは記録保存を徹底的にやれと以前Twitterおよびnoteに投稿した。消極的廃棄賛成派の自分が奈良県知事に対して怒っているのは、その文化財への解像度の低さが原因。「価値のないものまで収蔵〜」と言ってしまったからなのである。文化財の価値は、モノが古く、かつ希少になるにつれて自動的に付加されていく。極端な事をいうと古いモノは全て文化財であり、今あるモノも50年、100年経つと文化財になっていく。例えば、1950年代頃の初期家電はすでに文化財として収集対象になりつつある。博物館に収蔵されているのはその文化財の価値が「認められた」ということで、価値があるから収蔵しているのである。
ただ、博物館も無節操に資料を集めるわけにはいかないから、資料収集時の取捨選択は出てくる。しかし、それは「より収集する価値が高いモノ」をより出す作業であって、「価値のあるモノとないモノ」を分ける作業ではない。文化財は全て文化財としての価値を持つものであって、知事が言う「価値のないもの」は存在しない。

一方で、博物館の資料受け入れ体制に問題があったのも事実。記事中には「受け入れるだけ受け入れて、整理が追いついていない」という旨の記述があったが、これは奈良県立民俗博物館だけの問題ではないと思う。私の元勤務先も収蔵庫はほぼ満杯で、収蔵品の多くは民具(考古資料は基本的に文化財保護課が収蔵しているので少ない)。その収蔵数にも偏りがあって、いくら博物館資料は数が必要とはいえ、「こんなにいる?」と思ったほど収蔵されている民具もあった。収蔵資料台帳で調べると、正しい寄贈手続きを踏んでいない「幽霊資料」があって、博物館開館以前(私の元勤務先博物館は昭和50年代の開館)にかなりガバガバな受け入れ体制で資料を収集していたらしい。
発掘調査でも、本来刊行すべき報告書が出ていない「掘りっぱなし」の遺跡が時々あって、昭和時代はかなり大雑把だったんだなと痛感している。その頃に発掘調査や資料収集だけやって、報告書刊行や資料台帳の作成・登録を怠ってきたツケを、後任の学芸員が払わされているのである。
博物館資料の選択廃棄は、いずれどこの博物館も問題になると思うので、今のうちから業界全体で議論しておくべきだと思う(廃棄の対象になるのはまず民具、次に活用機会のないC〜D級の出土遺物だと思う)。

文化財は全て守れは原則だが理想でもあり、どこかで折り合いはつけなければならないと思う。ただそれを決めるのは学芸員の仕事だ。

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