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12/7 日記2つ

メーデー!メーデー!

 最近のnoteではレポートチックなことばかり書いていたので久しぶりに自分のために日記をつらつら書きたいと思い、午前2時にmacbookを開いている。

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 3ヶ月ほど前、ちょうど留学に来た初めの頃だろうか。日本でも大いに盛り上がった中秋の名月がここ台湾でも見れるという。VPNなしではまともに日本のトレンドも追えない私のTwitterにも、充分すぎるほどたくさんの名月の写真が入ってきた。

 「そっちでも月きれいなの?」

 通知で、「あ、今日は中秋月が見れる日なんだ。」と気づいた。それくらい、余裕がなかったのである。わざわざカフェを出て上を見ると、台風シーズンなので分厚い雲がギッチリと敷詰まっていた。

 ここからは月が見えない。それなのに月明かりで照明のスイッチを、それでいて手探りで探しているような日々を過ごしている。
「闇雲」という言葉が頭に浮かび、その言葉が内包しているマイナスイメージを手で必死に払いのける。そうすると、もやもやとしたそれが、臭豆腐の匂いとともに霧散していく。ような気がした。

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 夜、友達とご飯を食べに行った。日本人は自分含めて二人で、あとは全て日本語が母国語でない人。友達との会話は英語と中国語がごちゃごちゃに混ざっていて、そのカオスさにももう充分慣れた。

 ふと、この中では日本語という言語を持っているのが、二人だけということに対して、なんか素敵だな。と思った。二人だけしか知り得ない素敵な言葉がたくさんあって、それを隠し持っていて、ふとしたタイミングで二人しか知らない言葉を話す。実際はそんなロマンティックなことではないのかもしれないけど、”秘密の合言葉”みたいな感覚が久しぶりに蘇ってきた。

 小学生の頃、友達と発話しなくてもコミュニケーションが取れる方法をかんがえたときの記憶だ。
 左手が「アイウエオ」で、右手が「あかさたな」を表し、両手であげた指の本数で言葉が決まる。例えば、左手で3本の指を上げれば「ウ段」、右手で5本の指を上げたら「な段」になり、よって「ぬ」を表す。「35」「39」「41」なら、「塗り絵」になる。この方法を使って、授業中先生から隠れてこそこそと会話していた。

 食事会で感じた妙な既視感と、メロウで耽美な感覚は、あの頃の”秘密の合言葉”の記憶によって引き起こされたものだった。
難しい言葉たちで自分の身を必死に”武装”している今の私も、秘密の言葉で遊んでいたあの頃の私も、本質的には変わっていなかった。なんだか嬉しかった。

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あっ、ビデオになってた、って君の声の短い動画だ、海の

千種創一


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