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黄泉比良坂は墳墓ハウツー物語

やまとみずほの国に生まれて  第六話

日本神話においては出雲の黄泉比良坂から日向の阿波岐原まで逃げるのだが阿波邪馬台国説はゆかりの地名が阿波に残るとして、神話の舞台は阿波であると主張する。イザナミは別名「阿波富士」地元民から「オコーツァン」と親しみを込めて呼ばれる高越山に葬られ、追いかけるイザナミやその軍団を追い返し、現在の阿南市にある橘湾まで逃げてから三貴神を生む禊を行う。

「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原」と現代語訳では訳されるが、原文では筑紫は竺紫であり単に尽きた地の意味で、また日向かいとは東の意味なので東に尽きた橘であると阿波説は解釈する。逃げる途中髪飾りから葡萄が生まれたり櫛から筍が生まれたりするが、それらゆかりの地として雄中面生実竹ヶ谷があり、さらに四方見坂の次に桃の木の実を投げた桃の木谷から道を塞いだ千引の岩まで有る。最後は小門神社をどみそぎ岩とてんこ盛りだ。

しかしこの解釈では神話の舞台が阿波になっただけだ。実話にすべく妄想すると直ぐ思いつくのは農業開拓ストーリーだが、「国道沿いの二階の部屋」で筍掘りを経験しているから、掘りやすくするには成長した竹を利用して、斜面を段々畑状にするのは知っているが、山葡萄はどこでも採れるだろうし何より徳島で桃はピンと来ないと思っていたら、桃は不老長寿をもたらすことから、腐敗を食い止めるために石室に塗る辰砂の象徴だと聞いて閃いた。

桃の木谷の後には魏志倭人伝に「其山有丹」と書かれた若杉山遺跡からさらには水銀朱生産の拠点地である加茂宮ノ前遺跡を辿る。イザナギはイザナミの変わり果てた姿を見て驚愕する。そこで変わらぬように辰砂を使うのだ。山葡萄と筍は死に化粧で、筍は高級料理亭で出される柔らかい5cm以下の大きさだろう。ここまで説明すれば千引の岩辰砂を塗った石板であることは容易に想像できるはずだ。即ち黄泉比良坂は墳墓埋葬マニュアルである。

しかしマニュアルを示すだけなら、イザナギとイザナミは戦争をする必要もないし、千人殺すなら千五百人生むなんて会話も生まれない。死者が変わるのが怖いのではない。変わらなければ今までのやさしいイザナミが、変わると祟ると考えるから慄く。日本では古来より祟りより怖いものはない。最も有名なのは菅原道真だ。太宰府に左遷され無念の死を迎えた後に京で落雷による火事が多発する。これを鎮めるため祀ったのが学問の神様の始まりだ。

祟りの怖さを語るためだけにこの道を辿るわけない?妄想せよ、妄想せよ。

#週刊少年マガジン原作大賞

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