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「謝らなくていいよ」、という呪い。

コロナ禍でテキストコミュニケーションが多くなってからというものの、「メッセージにおける謝罪」に対して世間がより厳しくなったように知人と電話していると感じる。

かくいう自分も、その節は大学生でバイトで働くようになってから感じていて、未だにこうした小さなすれ違いに逡巡することが多い。


「すみません、こちらについてなのですが〜〜」
「申し訳ないです、この部分について〜〜」


社交辞令などではなく、本心から「相手の時間を奪ってしまって申し訳ない」と思って、こうした言葉を文頭につけてメッセージを送ることが自分は多い。

元々の性格として相手の心情を気にしがちな部分はあるが、それを差し引いたとしても、論理的にも情緒的にも考えて「自分に引け目を感じる点を持っているがために相手の時間(=寿命)を奪っている」のは失礼に当たると感じるし、謝らないと余計にそれが気にかかったままで逆にストレスは増幅し、仕事の効率は落ちる一方である。

最終的に、この状況がお互いにとって非生産的であることは言うまでもない。


そうした心の澱を消したくて「すみません」という第一声が口を突くのだが、大抵のケースで返ってくる言葉は


「謝らなくて良いよ」
「“ごめんなさい”より、“ありがとう”の多い方が良いよ」


だ。


こうした返事を聞く度に、これらの言葉が「暴力的な返事」になりうる危険性をどこまで考えて彼らは口にしているのだろうか?

と、つい疑問に思ってしまう。


片方が深く考えた結果として「謝りたい」と思った気持ちを考慮せず、一方的に「不要である」と言われ、場合によっては「感謝」を強要される

相手のことを真剣に考えた人間からすれば、何とも形容し難い気持ち悪さだけが残っていく。


もちろん前提として、人間の価値観は生まれや家庭環境、育った文化によって形成されるので、「どっちが良い・悪い」の二元論に終始するのは、価値観に余白がない無粋な話だ。

だが、周囲がこの問題で悩む姿や声を聞いて、「対話」を通じた企業ブランドの言語化(理念/MVV策定)や組織マネジメント、ライティングを生業としている自分としては、こうした「爪弾きにされやすい小さな声」について何か述べた方が良いなと感じ、突発的にキーボードを叩いている。


話を元に戻す。

「謝罪必要側」の心理構造は先ほど述べた通りだが、逆に「謝罪不要側」の心持ちはどうなのだろうか?

自分は彼らと対岸にいる人間なので、直接聞いたことがある。

社会人1〜2年目の時、

「僕は本気であなたの時間を奪ってしまっていることに対して謝りたいんですけど、なぜこの場面において謝ってはいけないんですか?」

と上司に聞いたら、

「いやいや、謝られたらこっちが悪いことしたみたいじゃん?」
「謝る時間があるなら、仕事を前に進めろよ」
「“指摘してくれてありがとうございます”って言うのが、社会人の常識だよ」

と返ってきて、当時の自分は相手の言っていることが全く理解できず、ひどく驚いたのを記憶している。

(不思議なことに「分かりました!」と言って謝らないでいると、なぜか後から「謝って欲しくないって訳じゃないんだよ!」「ちゃんと反省してる?」と詰められたので、「社会は理不尽だなぁ......」と思った新卒の頃が懐かしい)


ただ、今考えれば言いたいことは分からないこともない。

あれから数年経っていく中で、

「そんなに謝ることもないんじゃない?」

「責任はアナタだけじゃなくて自分もそうだし、その他関わっている全員が取るものだから、そこまで自罰的にならなくても良いよ」

と、感じる経験も多くしてきた。


こうして感性の対岸を数年間ほど、どんぶらどんぶら行ったり来たりする中で、「どうしてこの構造が起こりうるのか?」に気がついた。

この「“謝罪必要側”と“謝罪不要側”が互いに銃を撃ち合う構造」が生まれるのは、



1つの事象に対し、お互い付け合った
“感情のラベルの裏側”を見ないから」



という、シンプルな理由からである。

要するに「人の感情の意図・背景を深く聞いていない」のだ。

この話は当たり前に聞こえるが、現場の蓋をパカっと開いてみれば、目先の業務に忙殺されて相手の話を聞くことを面倒に思ったり、相手を「異文化で育った人間」として捉えるマインドセットを持っていない人がいたり、そもそも他人に1mmも興味の無いような人が社会には蔓延っている。

そのため彼らからすれば、この「シンプルな課題」の解決は「複雑極まりない課題」のように感じられるケースも多い。

なので、今思えば過去の自分も新卒1〜2年目とはいえ、上司のラベルの裏側に何が書いてあったのかまで踏み込んで考えられていなかった知的怠惰な人間だったなと振り返って思う。


ただ、ここで面白いのが「これは“課題の表層”であって“深層(=原因)”ではない」ということだ。

そこで「この構造を引き起こしている原因は何なのか?」を考えると、さらに根深い組織課題が見えてくる。

まず一般的に考えれば、上司の仕事に「メンバー(部下)のやる気を出させる環境づくり・マネジメントの職務」が含まれていたのなら、ここで相手の意見の背景を聞けないのは本来マズい。

なぜなら、部下にはそこまで考える職務的責任(もしくは思考のスキルセット/マインド)がまだ無いのだから。

※ただし「職務内容を言語化しない思想」で設計された組織であれば、話は別。


自分のケースに立ち戻って考えると、「では、かつての上司が職務を全う出来なかったから悪かったのだろうか?」という考えが脳裏を一瞬よぎるが、


答えは「NO」である。


というのも、より俯瞰して考えれば、「そもそも、“相手の話の意図を深く聞かない環境・文化”をつくっているのは社長だから」だ。

宗教の教えを守る敬虔な信者を見れば分かるように、

クラスの空気をつくっているのが誰かを見れば分かるように、

親の姿を見て育つ子どもの行動を見れば分かるように、

「組織の文化はトップの思想が根元」であることは火を見るよりも明らかで、このことはワンピースのルフィの姿からも、近所の公園で周りの子を従えているガキ大将的な幼稚園児の様子をベンチから観察していても分かることである。

なので、組織で考えた場合、この課題の大元は「この文化・環境をつくってしまった or つくり切れていないトップ」であると考えられる。

※ただし、上記を知った上で「相手の話を深く聞くことを放棄する理念・組織方針」である場合の企業のトップは何も悪くない。
なぜなら「つくりたい環境がそもそも違う」なら、むしろ上記の文化づくりは「組織にとって邪魔」になってしまうからだ。


ここまで来ると「謝罪必要側」「謝罪不要側」の甲乙共に「じゃあ、どうすれば良いのか?」という話になるが、原因がシンプルなように、解決策もシンプルそのものだと考える。

それは下記2つの方法で、

①「なぜ相手がそう思うのか?」を深く聞く時間をつくる(短期施策)
②そもそもの環境設計として「相手の話の意図をしっかり聞く文化・環境」をつくる(中長期施策)

細かく付随する課題を一旦思考から省けば、これだけの話だと思う。
(※「対話の技術」は今回の話とは別論になるが、山のように出ている対話系の本から学んだり、研修に行ったり、お金を払ってコーチングやカウンセリングを自身で体験してセッション相手の言動・行動を考察してコピーすればある程度は身に付く)。


①は明日からでもできる。

「対話する時間がありません」ならば時間をつくれば良いだけなので、タスク整理から始めて、早く処理する方法を考えたり、業務をアウトソースするなどすればクリアできる。

(※とはいえ、これは書いていて笑っちゃうほどに超ド正論である。
ド正論を全員ができるほど人間全員がマッチョに出来ている訳ではないので、これを目先でどうこうするのが無理だと感じる場合、さらに上の上司や他部署で協力してくれそうな人、はたまた外部パートナーなどを巻き込んで「個人の“出来ない思いこみの枷”を外す(「精神的認知の歪み」も含む)」or「事業・組織設計の上流部分にあるボトルネックの解決」をしていく必要があり、その場合はまた別の視座から課題を特定しなければならない)


②の中長期的施策を王道で進めるとしたら、まず経営層と自分が対話する必要がある。

前提として、「上記の課題と原因について話をし、巻き込んでいく必要がある」とこちらが思っていても、そもそも所属企業がオーナー企業であるならば「社長の意向・思想が第一に尊重される」のは当然なので、こうした「思想のすれ違い」に万事尽くしても我慢ならない場合は転職・独立する方が良い。

(※先述の通り「そんな対話の時間なんていらない」というのも1つの価値観だから、課題から引き起こされるリスク説明や解決したいこちらの思いを説明したとして、それでもなお、それを拒む信念の人は「それよりも優先して守るべき思想」があるはずなので、それを否定してはいけないし、むしろこちら側がそれこそ対話して意図を聞き出さないといけない)



と、ベラベラ喋っているけれど、

①にしろ②にしろ、どちらも結局は「じっくり話そう」という、ただそれだけのことだと思う。


話を表層に戻すと「謝罪必要側」と「謝罪不要側」の銃撃戦はこうしたところから生まれているんだろうなぁ......と、コロナ禍のテキストメッセージについてあーだこーだ管を巻きながら友人と話しながら感じたことを、今回はnoteにしてみた。


というのも、この問題は会社組織だけでなく、学校でも、家庭でも、恋愛関係でも、どこででも発生しうる問題だと思ったからだ。


「私がせっかくこう思ったのに」

「言われなきゃそんなの分かる訳無いじゃん」


人間は家族含め、みんなどこまで言っても「他人」なので、技術がよっぽど進歩しない限り、100%は永遠に分かり合えない。

だから、こうしたすれ違いは大なり小なり、誰もが一度は悩まされる問題だと思う。

ただ幸い、その前提の上で人間は「分かり合えなくても、相互の意見を“分かち合う”こと」は出来るようになっているので、泥臭い対話をどれだけ出来るかが、仕事も恋愛も友達付き合いも、人間として他者と何かをする上で重要な要素になってくる。


と、思いつくままにバーっと書いたけれど、結局はシンプルに

「あなたの常識は私の非常識で、私の常識はあなたの非常識」

くらいを頭に浮かべて生きていれば、誰かの感情を供養する回数も減るのだろうなぁと思うので、会社でも家庭でもどこででも、些細なボタンのかけ違いで起こる銃撃戦が1回でも減れば嬉しい。

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