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がん様々 8 とんかつパワーが教えてくれた三大栄養素で副作用対策

がん患者による、がん患者のための、
がん治療対策マニュアル


2章  抗がん剤治療開始

10 AC療法 第2回目 抗がん剤治療は豚カツで迎え撃つ

2回目の抗がん剤治療日がやってきました。
桜の季節。いよいよ「とんかつパワー」の登場です。

1回目の身動きがとれなくなるほどのひどい吐き気状態には陥らず、動き、食べられる程度の吐き気までに軽減されました。あの初回の吐き気と比べたら、2割ほどに感じられるくらいです。
必ず服用する制吐剤にプラスして、いつ服用してもよい制吐剤も服用したのに、なぜとんかつ効果と言い切れるかと言いますと、3回目からは必ず服用する制吐剤以外は服用せず、栄養の摂り方でコントロールできていたからです。
いつ服用してもよい制吐剤については後にお話しますが、2回目はその副作用に陥ったのでした。

このとんかつパワーの摂り方のポイントは、「抗がん剤投与の3〜4時間前に食べること」です。正確に3〜4時間前でなくても良いのですが、抗がん剤投与により消化機能低下が起きるので、投与がはじまる頃までに吸収しやすい状態にまで持っていきたいのです。

抗がん剤投与直後から、副作用による胃腸機能の低下があらわれます。粘膜もやられるのですね。消化もスローペースになり、栄養が血中に乗るまでに時間がかかるのです。そうなると、兵隊へのガソリン供給が追いつかず、副作用を引き起こしやすくなります。抗がん剤が投与される直前までに、ガソリンを血中に過剰供給しておかなければ、普通に生きていくためのエネルギーをさっさと使われてしまうのです。そしてより多くの副作用へ導かれます。

D先生が、耳寄り情報をお話をしてくださいました。
血液検査をするときに、必ずと言っていいほど「アルブミン」の数値が出ると思うのですが、このアルブミン値が低い人は、抗がん剤の副作用がおきやすくなるそうです。
アルブミン数値を上げるには、タンパク質摂取が必須となります。

慣れて軽くなることはない抗がん剤副作用。抗がん剤副作用対策の大きな発見となった「三大栄養素を食べる」をマスターしたことにより、この後の抗がん剤治療は回を重ねる毎に楽になっていきます。

現在は工夫が増え、このようなモノも食べてます


ところが、です。2回目の治療は、消化不良がどの回よりも強く起きたのです。
吐き気は軽減されたのですが、消化機能低下が一番つらい状態に陥り、副作用が長引いたのです。
これが先ほど触れた、「いつ服用してもよい制吐剤」の副作用。抗がん剤の癖が把握し切れておらず、まだまだコントロールできていなかったのもありますが、「副作用+副作用」によるものだと感じています。抗がん剤の副作用+いつ服用してもよい制吐剤の副作用。副作用の上塗り状態です。副作用の共同作業は、身体に結構なダメージを与えてくれましたね。

処方されていたいつ服用してもよい制吐剤は抗ドパミン薬なので消化管運動亢進作用もあると思いますが、抗がん剤副作用による消化機能低下の機序との相性を想像すると、どうもしっくりきません。
このダブル副作用により、「消化機能低下」というテーマでいえば、この時が一番辛い回となりました。

この経験も、陥らなかったら分からなかったことです。何度も言うようですが、副作用対策は、私にとって本当に楽しい研究でした。
対ヒトと同じです。「キタキタ、来たよぉ」「そうおいでなさるか!」と、どう対応したらお互いにより良い関係になるかを考えるのが楽しかったのです。
ただ、抗がん剤は性格が不器用とでも言うのか、無差別に攻撃してきます。でも面倒臭い相手ではないのです。

そんなわけで、いつ服用してもよい制吐剤は3回目からは一切使用しませんでした。「だってホントに辛かったんだもん!」という理由で。
制吐剤の科学的根拠からするとどう考えられるのかは分かりません。使用する患者さんによって見解もそれぞれでしょう。制吐剤に期待する作用により機能は亢進されるので、私の機能低下とは別と捉えられるかもしれませんが、それとは別に起きる副作用があるのです。

さて、2回目1日目は無事に過ごしました。
抗がん剤治療の往路は普通の歩調で行けるのですが、復路は身体があらゆる機能低下を起こしはじめ、途端に筋肉が動かしにくくなります。そのために毎回、サポーターチームのどなたかが病院で合流してくれ、治療中のサポートをし、車で送ってくれていたのです。
一人暮らしの闘病は、皆さんの支えで成り立っていました。

抗がん剤治療初回は何が起きるか分からず、1人では何もできず、ただただ体力が消耗していき苦しみましたが、この回からはサポートと栄養のお蔭で、気楽度向上です。

2日目は、副作用の頭痛や動きづらさはありましたが、初回2日目の動けないほど体力が落ちたことから比べたら動きやすく、やはり初日の食の過ごし方が、その後の体調を大きく左右するのでしょう。初日は、目を瞑れない吐き気や頭が締め付けられるような辛さはまだあったし、坂道は息切れするけれど、劇的に回復です。

3日目には食事量が80%、初回からは考えられない量です。しかし、この2回目は、食べられる量の度を超えていましたね。
「とにかく食べないと!」という、誰かに与えられたわけでもない使命をまっとうするかの如く、食べることに執着していました。それくらい、栄養を摂ったときの身体や副作用に対する反応に感動したのです。

ひとまずやってみる、過剰であれば減らせばよいのです。研究とは、そのように調整されて成果に辿り着くものなのでしょう。
微量からはじめ増やしていくという手もあったのでしょうが、抗がん剤の代謝量から想像すると、微量では楽への道は少し長くなったことでしょう。
おかげでこの回で2〜3キロ太り、未だに半分しか戻せていません。

いよいよ翌日は大阪日帰り旅です。
前日までの様子から想像される自分に「挑みましたねぇ」と言いたいです。
何事も、してみないと何が起きるか本当のところは知れませんからね。想像で心配し何もしない、は私にはなかなか難しい行為なのです。
転んでもタダでは起きません(笑)この経験が何かに活かされるのが本望です。

4日目。この日初めてウィッグを付けました。ウィッグは、人毛でショートカットのものを1つ作りました。インターネットで3万円弱のものを買い、行きつけの美容院で私に合うショートカットにしていただいて結構気に入っていたのですが、使用したのはこの時1回のみでした。

理由が何であれ、頭が締め付けられると、血流不足になるのか、頭痛が起きやすくなります。ウィッグももれなくその状態になり辛かったのです。髪の毛がないのでまずウィッグを固定するためのネットを被り、ウィッグを被ります。そのダブルの被り物が、締め付けに加えて頭だけサウナに入っているような状態になるほど暑くなり、とにかく違和感しかありませんでした。

被り物に慣れていそうな時代物の役者さんは辛くないのだろうか…そうは言っていられないとは思いますが、頭にかかるストレスに、被り物の仕事をされている方への見方が変わりました。どのような筋肉状態か気になります。

ウィッグの代わりに、ニット帽を被ったりしていたのですが、もっと楽な方法がスカーフでした。スカーフは色や柄を、お洋服や季節に合わせたりできるのでとても楽しく、抜けが止まってからはほぼスカーフ生活でしたね。


購入したり頂いたりで、計20枚以上のスカーフに色々な帽子を被るスタイルが私の定番となりました。室内では帽子は被らず、スカーフのみで過ごしていたのですが、スカーフを取れば坊主頭とは、よっぽど抗がん剤副作用に身近な人でないと想像できなかったと思います。
坊主頭、楽です。髪の毛が残り1割になってもシャンプ&トリートメントをしていました。

6日目には副作用+副作用の体感が強くなってきましたね。仕事復帰の日は、動けば動くほど楽になる、というのが通常のはずだったのです。
前日は倦怠感0だったのが、この日は再登場しています。

この日のメモを読み、“抗がん剤とは”をいろいろと経験したからこそ分かることですが、勝手に胃薬を飲んでいたことに少々ゾッしました。それなりに楽になった感じはありましたが、思っていたよりも効果はなく、反対に「薬の飲み合わせ的にヤバいのかも…」と少々焦ったのを覚えています。
まだまだ抗がん剤の姿が見えていなかったのですね。医師への確認は必要だったでしょう。知らないってすごいことです。恐れを知らない無知さを感じます。

そして7日目、夜の施術の予約をキャンセルさせていただきました。
夜にはひどい倦怠感で、徒歩で電車に乗って帰宅することを想像しただけで無理だと分かり、タクシーで帰宅後、コートを来たまま床に倒れ込み、動けずにそのまま寝てしまいました。

「治療の影響で予約のキャンセルをする」ことは、私にとって大変勇気のいることでした。それでもはじめてキャンセルを選んだこの時、身体は悲鳴をあげていたのです。やってやれないことはない、くらいの気力でカバーできるレベルではありましたが、それをしたら必ずや身体がもたなくなることを感じ取っていたのです。
今キャンセルを選択しなければ長引き、そのほうがお客様にご迷惑をお掛けする、と思えたとき、身体の声に素直になれました。

「身体の声に素直になる」。大切なことを何となく理解するのではなく本当に理解するということを、また1つ知りました。それは今でも意識しています。

私の記憶の中で、抗がん剤治療では2回目の7日目が、初回の初日に次いで2番目に辛い日になりました。
胃腸機能の副作用症状が長引き、一週間ほど経つと手の平を返したようにケロッと楽になるはずが、一週間目が一番辛い症状を現すことになったのです。

この経験により、この後の治療をさらに元気に乗り越える術(すべ)を身に付けていきました。
抗がん剤とどう向き合ったらよいかを心底知れた夜でした。
そして、乳がんが発覚してから初めて「私は病気なんだね」と感じた夜でもありました。病気ってこういうこと、なんですね。

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