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「パンはパンでも食べられないパンはな〜んだ」の正解を聞いた話

「パンはパンでも食べられないパンはな〜んだ?」と聞かれたらなんて答えるだろうか。

友だちの子どもに聞かれて「う〜ん、分かんないなぁ」と答えると、ムスッとした顔でどこかに行ってしまった。

その子は母親にも同じ質問を投げかけていて、パンダかなぁと右手を顎辺りに置きながら母親が答えたら、満足げな顔をして「ぶぶぅ〜フライパンでした!」と言っていた。

なぞなぞであれば、パンダもフライパンも正解なのではなかろうか。

なぞなぞの概念も分からなくなってしまったし、子どもに聞かれてどのように答えていいかも分からなくなっていた。


会社終わりに先輩たちに誘われて呑みに行った日があった。酔っ払った上司はお調子者で、ふざけたギャグを連発しては場を賑わせていた。

「お前なんか面白い話をしろよ」と難易度の高い問題を先輩から急に出題されて、頭が停止する。普段から飲み会に慣れていない僕は話のストックが無いから話題をふられてもどうしていいか分からない。

それでもこの呑みの場でスベりたくは無いというちっぽけなプライドが働いて、変な話題を出してはいつも微妙な空気を作ってしまう。

今回は「鳩はたくさん見てきましたけど、ハトのヒナって見たことなく無いですか?」と周りに訴えたが「まあ、たしかに」と納得されて終わってしまった。

結果として、1飲み会に1場面しか自分が話す番が回ってこず、あとはお酒を呑みながらヘラヘラと笑っているだけの役目だ。

呑みたくもない酒を、呑むのが苦手な酒を喋らない気まずさを隠すための場繋ぎとして次から次へと呑み倒すので、すぐにトイレに行きたくなる。

けれど先輩たちの話を遮ってトイレに行くのはマズイと考えて、グッっと力を入れて我慢する。早く終われ、速く終われと心で祈りながら話を聞いて、やっとの思いでトイレに行くと信じられないくらい尿が続く。

膀胱に悪いから即刻やめた方が良い気遣いである。


トイレから戻ると先輩が「パンはパンでも食べられないパンの正解が分かった」と言っていた。僕にとっては今日1番の興味が持てた話題であった。

「正解はね、残飯。なんでかと言うと、食べられなかった結果残ったものを残飯と呼ぶから。食べられたら残飯にならないんだよ」

ほぉ、と妙に納得してしまった。確かに筋の通った解答になっている。痒いところに手が届くような、思いつくようで思いつかない絶妙な答え。

僕は今日1番の声をあげて「確かに!すごいです!!」とテンションがあがってしまった。先輩が少し引いたような気がする。

帰り道の僕も感心をしていた。「確かに、たしかになぁ、そうだよなぁ」と呟きながら歩いていた。


「パンはパンでも食べられないパンはな〜んだ?」

一度聞いたことを忘れてしまったのか友だちの子どもは性懲りも無く僕になぞなぞを問いかけた。

僕は得意げな顔をして「残飯!!」と答えた。

すると、ムスッとした顔で子どもはどこかに行ってしまった。

あの子が大きくなったときにふと今の出来事を思い出して「確かに、たしかになぁ、おじさんやるなぁ」と言ってくれる未来はあるだろうか。

翌日、友だちと飲みに行くことになり、自慢げに話してみた。

「パンはパンでも食べられないパンの正解は残飯なんだよ。なぜなら食べられない結果残飯になるから」

「まあ…たしかにな、そうかもな。ちょっとトイレ行ってくるわ」

飲み会での話題は尽きないほうがよい。いつどこで話をふられてもいいように、僕は頭の中の話のネタと書かれた引き出しにしっかりと詰め込んでおいたのだ。

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