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いっちょまえの枇杷に育てるために。 ー 千葉のおいしいを大切にする ー

南房総では、4月から6月にかけて旬を迎える果物があります。それは枇杷です。南房総で収穫される枇杷は、「房州びわ」として名高くブランド品でもあります。

南房総の枇杷は、歴史も長く約270年もの歴史があります。そして毎年のように皇室に献上されており、その味わいは初夏にふさわしい爽やかな風味を感じることができる果物でもあります。

私たちも房州びわの販売に関して携わっていることもあり、南房総の房州びわの農家さんにお話を聞く機会だったり、農業体験で実際に袋がけや箱作りなどお手伝いしていたりもします。

その中でも特にお世話になっているのが、川名びわ園さんです。今回は、この初夏に向けての準備と、川名びわ園さんの枇杷作りへの取り組み方など深掘りしてみようとお伺いし話を聞いてきました。今年の贈り物など考えている方のご参考にでもなればと思いますので、最後までお付き合いいただけると幸いです。

動機。

川名さんの枇杷は、ここ数年で言えば千葉県の枇杷の共進会において、優秀な成績を納められていることは、冒頭でも触れました。ただその品質の良さはここ数年の話ではなく、それは昭和57年いまから遡ること40年ほども前。

皇室に献上された「献上びわ」の農家さんでもある。

今回うかがったこの日は、天皇陛下の誕生日という事もあったためか、川名さんのお宅に到着するや否や「皇室献上の記念碑、見ていきますか。」と、案内された。

とても昭和の時代から、ここにあるような記念碑とは思えないくらい、大切にされているのが見てとれた。

皇室献上の記念碑。

川名さんの年齢から逆算すると約40年も前となると、川名さん自体は30代半ばであっただろう。その頃から、枇杷の栽培についてどのような取り組みをされていたのか。また、目指す動機があったのか。

記念碑を見て、ますます興味が湧いてきた。

話を伺っていくと、川名さんが房州びわの作り手になったのは、元々お父さんから引き継ぐのを、どこか当たり前のように思うところがあったからのようにも感じました。

子供の頃から枇杷の栽培を手伝い、いつの間にか枇杷農家に。そんな至極当たり前の成り行きって、特に昭和の時代であれば今と違い当然という期待感が周りや家族からもあったのではないかと思ってしまう。

そんな枇杷の栽培に携わりながら育った川名さんでも、農家になりたてのころは熊本県の甘夏やミカンなど、柑橘系の育て方も学び枇杷だけでなく多くの果樹を育てようとも思ったことがあったらしい。当時、1,200本ほどもミカン栽培も手がけ、生協さんや南房総の販路開拓など積極的に行なっていた時があったそう。

ただミカンの栽培は、当時から南房総でも盛んなところがあり、供給が増えれば価格が安くなり、加えて一つ一つの重さに苦労をしたという。そんな苦労を体感していく中で、少し違和感を覚えたことが品質向上のきっかけに繋がっているとも語ってくれました。

それは、市場価格。

川名さんの手がける房州びわは、当時は市場に持っていくこともあり、他の農家さんの枇杷を目にすることがあったそう。その中で気になったのが、サイズ感だけでつけられてしまう価格。

房州びわの同じサイズというだけで、同じ枇杷として扱われ付けられていく価格に疑問をもち、ならば市場には出さずに、自分の手がけるモノに価値を感じ、しっかりと販売してくれるところに出品をしていこう。そう思ったそうだ。

その当時から、自分の作る枇杷にこだわりを持ち続けて作り続けた結果が、今でも通じる品質として、多くの方から評価していただけるきっかけになっているのだと感じた。

自然との共存。

1年に一度しか収穫できない枇杷は、いつ頃からその栽培を手がけていくのか。私は暗に「年明けてくらいからだろう。」そんなふうに勝手に想像していたのだが、聞いてみると晩秋の11月くらいから樹の剪定をはじめ、年末には少しづつではあるが温室栽培の枇杷の袋がけを始めるのだという。

袋がけの数は、温室栽培と露地栽培をあわせ約13万袋にもなるという。

一番ピークの時は、露地栽培で20万袋にものぼる数をこなしていたというから驚きでしかない。もしかしたら2019年の令和元年房総半島台風という被害がなければ、今よりもう少し多く手がけていたかもしれない。

あの台風のことは、今でも覚えている。特に千葉県の農家さんにしてみれば、南だろうが東だろうが北だろうが、多くの被害が出たことを記憶している。

あのような自然災害をもろに食いながらも、今も房州びわを栽培し続けていることには、本当に頭が下がる。それは、その当時で枇杷の農家さんをやめてしまう人も多かったからだ。当時の様子のご参考までに。

そして、この翌年の年明けに来たパンデミック。もはや台風の被害を受けた農家さんからすれば、以前とは違う風景が目の前に一気に広がったのではないだろうか。と考えさせられてしまう。

さらにここ数年では、温暖化の影響で温室栽培の枇杷の管理にも変化が出てきたり、昨年の雨が少ない年は6月に収穫期を迎える枇杷にとっては、色味もよく好都合ではあったとおっしゃっていたが、年々変わる変化に育て方も変えなければいけないのは想像に容易いだろう。

枇杷を選ぶ目。

川名さんのハウスの近くに立ち寄ると、そこには枇杷の苗木などが立ち並んでいた。みてみると背丈ほどの高さしかない枇杷の苗木にも、すでに枇杷の実が小さいながらにもついているのがみてとれた。

「川名さん。この多くみのっている中から、一つだけ選んで袋がけするんですよね。良い実ってどこを見たらわかるんですか。」

以前、袋がけした時もそうだったが、はっきり言っていい枇杷の実というのがわからなかった。しかも露地の枇杷だと、霜にやられてしまっていると種の部分に黒ずみができ、それはもうダメな実なんだと教えてくれた。

中が黒ずんだ枇杷。

これは、枇杷の樹がどういったものなのか。来園してくれる方に簡単に説明できるように、軒先においた鉢植えに生えた枇杷の樹のもの。だから、あんまり手入れもしてないから、ほとんどが霜に当たってしまい、ダメになってしまうんだそう。

この地に住んでいて、常に目を見張っているからできるのかもしれない。そんな軽い気持ちをよそに、川名さんは枇杷の苗木を育てている場所に案内してくれた。

私自身、枇杷を販売し続けてきて枇杷の樹をどう育てて、収穫できるようになるまでにしているのか。恥ずかしながら、知らなかった。案内された場所は、温室栽培の枇杷ハウスのすぐ真横。そこには鉢に植えられた枇杷の苗木たちが、背丈ほどに可愛らしく育っていた。

私は、自分の背丈の3倍くらいにはなるであろう、鬱蒼と茂った枇杷の樹しか見たことがなかったので、「このくらいなら自分の家の庭に、おいてもいいかな。」なんて、少しミーハー気取りで苗木の写真を撮り続けた。

枇杷の苗木。

そして写真を撮り続けていると、近く背丈より少し大きくなった枇杷の苗木に、数多くの枇杷の実がつき始めていた。それを眺めていた川名さんが、

「これならまだ霜にやられてないと思う。」

とおもむろに、多くの中から一つだけ枇杷の実を選んだ。

霜にやられてない枇杷の実。

今、振り返ってもこの中のどの枇杷の実だったか記憶も定かではない。加えて言えば、どれかもわからない。川名さんは、そっとハサミを取り出し切ってみると、そこには本当に白い種の枇杷が現れました。

種の部分が白い枇杷。

「まじっすか。」

言葉がそれしか出てこなかったが、川名さんはどこか誇らしげだった。どうやったら、それができるようになるのか尋ねてみると、

「それは、経験だなぁ。はははっ。」

と軽く笑い飛ばされてしまった。この後も、霜にあたった枇杷と改めて比べてみたが、まったくわからなかった。長い年月もの間、枇杷に携わってきたであろう人には簡単なことなのだろうけど、これを90,000袋も見分けて袋がけするなんて、ほんと職人技だな。と思って黙り込んでしまうしかなかった。

ここにも職人技。

まだまだ寒さ感じる2月といえど、枇杷の農家さんたちはすでに山に入り露地栽培の枇杷の袋がけを実施していた。前回お伺いした際は、温室栽培のものを手がけている最中だったので、2ヶ月もかからず温室の約6万袋を終えていることになる。はやっ。

聞いていくと、その袋がけにも袋がけの仕方があって、しかも袋にも秘密があることを、今回はじめて知った。

以前農業体験で実施したときは、「袋がけなんて、かかっていれば大丈夫でしょ。」などと軽い気持ちでしかなかったが、改めて聞いてみると「雨水が切れやすいように。」とか、「風の影響を受けないように。」とか、その袋がけをする樹や場所によって変えていくことで、折角かけた袋が飛んでいかないよう工夫をしているのだそう。

何とも緻密な作業。しかも樹に登りながら。

そして袋にも研究の技術が施されていて、内側の黒味がかった暗い色味が、枇杷の実にある葉緑素を早い段階で抜いてくれるのだそう。この枇杷にある葉緑素が、後の黒ずみになるアザに繋がってしまうんだそうです。

「袋がけ」と言ってしまえば、素人ながら想像するのは「よい実を作るために取れなければ良い」みたいに安易に考えていましたが、袋がけにもまた農家さんの経験に基づく技術というものが詰まっていました。

また、川名さんは言いました。

「剪定にも剪定の仕方があって、枝が下に垂れ下がるようなイメージで剪定すると、霜の影響を外側の枝が防いでくれて、下側に良い実が実りやすいんですよ。」

とのこと。言葉で説明いただいたので、いざ温室栽培の樹をもとに自分なりの言葉で表現してみましたが、「うーん。ちょっと違うかなぁ」と苦笑い。やはりそこには、経験に変えがたい何か言葉では表現し切れない、川名さんなりの技術があり、それが毎年良い品質の枇杷に繋がっているんだろうなぁ。と思いました。

今年は、共進会に出す枇杷の選定やら、箱への詰め方やら、枇杷を徹底的に学ぼうと考えているので、私なりに品質の良い枇杷というものを言葉で表現できるように追求していきたいと思います。

引き続き、応援のほどよろしくお願いいたします。