視覚障害者の僕が意外とモヤッとして困ること。とはいえ、やっぱり嬉しいと思えること。座席の譲り合いの話し

視覚障害者の僕が有難いことなんだけど、少しなんだか腑に落ちないモヤッとしていることの話しです。

バスや電車に乗る時による話しです。
それは、満席の時に座席を半強制的にお譲りしてもらう時。

僕は目が悪いわけで、体は元気なので座らずに立っておくのは問題ない。
でも、多くの方が視覚障害者と気づいた時は座席を譲ってくれる方が多い。
せっかくのご厚意なので、わざわざお断りするのもなんだか申し訳ないので、座らせてもらうことが多い。

でも、この『なんだか申し訳ない』気持ちが意外と罪悪感的にストレスになって心のダメージになっている。

空いてる座席を教えてもらうのは嬉しい。
でも、わざわざ座席を譲ってもらうのは、なんか申し訳ない気持ちになるんです。

もちろん、座席を譲る優しい世界ではあるけれど、


「目が見えない人=可哀そうな人」

席を譲らなきゃいけないと、思われている感じもする。

いちいち、そんなこと思ってないし、単純に急発進や急停止した時に危ないから、座ってもらう方がいい。
そんな判断で譲ってくれている人もいると思う。

まあまあ、そんな感じでいろんな思考が頭のなかを駆け巡る。

たしかに傍から見たら、白杖を持った人を立たせておくのは、晴眼者の人からしたら気になるから座らせる気持ちも分からなくもない。

だから、いったん、自分の気持ちや思考は置いといて、素直に座席を譲ってくれる行為に対して、感謝の気持ちを伝えて座られてもらうことにしている。

ここまでは、相手の方の気持ちがあるから、素直に受け入れられる。

ただモヤっとするのは、バスの運転手さんがご丁寧に

『どなたか、お座席をお譲り下さい』

的な車内アナウンスを促された時。

『あ~、わざわざそんなアナウンス言わなくてもいいのに💦』
と、心の中で思う。

このアナウンスをされると誰かしら、座っている方が半強制的に座席を譲ってもらうことになる。

これが、かなりモヤッとなって罪悪感。

運転手さんも事故のリスク管理から、なるべく座らせたい気持ちも分からなくもない。

でも、やっぱりこちらも座っている人を立たせてしまって申し訳ないという気持ちが強い。

イメージ的にはそんなに親しくもない近所の方から、高級なお土産などをもらってしまったみたいな気持ち。

この受けとる側の気持ちがなんとなく伝わってくれるといいのですが、そんな時、どう思いますか?

僕は、
『わざわざ、そんなに気を遣わなくてもいいのに。。。』
みたいな気持ちになってしまいます。

とはいえ、こういった自分のことを思ってしてくれた優しい気持ちや行動が嬉しい。

だからモヤッとして、いろいろ考えてしまうこともあるけど、
『素直に嬉しい気持ち』
を大切にしています。

いろんな罪悪感はあるけれど、お互いが素直な気持ちで感謝できる存在でいれたら、いいのかな?と。

そんなことを思っています。

ではでは、今回も最後までいただきありがとうございました。
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パラアスートだけなく、鍼灸マッサージやファスティングマイスター、健康美容食育士などの資格を持って活動しています。 健康が全てではないが、健康でなければ全てを失う。 健康をサポートする仕事に興味ある方はご連絡下さい。

視覚障害者(弱視)当事者です。 福岡県福岡市を拠点にブラインドランナーとして活動している山下慎治です。 日常の暮らしのなかで気づいたこと、…

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