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ダラダラ喋るな

どうも、センサールマンの山﨑仕事人でございます🐈
今日の記事は、「話してる言葉の内容そのものよりも姿勢の方が大事な時ってありますよね!」みたいな、だいたいそんな感じの内容です。

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話が長い

党首討論の番組を見てたんです(賢そうな入り!)。

番組の最後の方に終了時間が迫っていたため、司会者の方が「お一人ずつ短めにコメントをお願いします」とお願いをされていました。
が、多くの方が割と長々喋るんですね。
ある程度は仕方がないとは思うんですが、どう考えてもいらんだろレベルで長い方も。

なんでなんだろか?と不思議で仕方ありませんでした。

手段は言葉だけじゃない

あれやこれやと言いたいことが沢山あるのは分かるんです。
中途半端に伝わるのが嫌できちんと正確なメッセージを伝えたいと。
それはもちろん理解できます。

ただ、そんなことよりも「ちゃんと短く喋る」という姿勢そのものが何よりのメッセージになる(場合がある)という発想がないのかなぁと。
少なくとも僕なら「あ、この人はちゃんと人の話を聞いて周りを見てくれているんだな」って思います(実際に今回そういう方もいましたし)。
逆に短くとお願いされているのに長々と喋っちゃう人に対してどう感じるのかは言わずもがなです。

芸人でもいるんですよ。
15分間のトークコーナーで、演者が8人いるのに5分のトークを喋っちゃうみたいな人。
どういう計算をしたらそうなるのか分かりません。
その時点でトーク内容が面白かろうが僕はその芸人さんを嫌いですし、まぁそんな芸人はほとんど面白くないです。
逆に、その芸人の次に出番の回ってきた芸人がトークを30秒くらいでまとめてたら惚れ惚れしますね。

要するに「メッセージを伝えたり評価を上げたりする方法は言葉だけじゃないよ」ってことです。

政策=ネタ?

と言うか、政策なんて僕ら芸人で言えばネタみたいなもんで、「短く」あるいは「長く」の要望にはある程度応えらそうなもんなんですが違うんですかね?

ネタで言えば、同じネタをいろんな状況でやるうちに「持ち時間が2分の時はこんな感じ、4分の時はこんな感じ」と固まってきます。
そうしていると「絶対に必要な部分と、削っても大丈夫な部分と、残す&削る優先順位」が見えてくるので、例えばやったことのない3分でと要求されても2分と4分の応用でなんとかできるんです。
更に、2分より短い1分を要求されたら「それは絶対に無理だから別のネタにしよう」という判断もできます。
逆に、4分より長い5分でと言われたら、1分間ツカミや自己紹介で間を埋めるのか、あるいは2分ネタと別の3分ネタを合わせて5分にするのか、色々と考えれるわけです。

政策だって何度も喋ってるんでしょうし、そんな感じにならんもんなんでしょうか。
予めの準備まではなかったとしても、絶対に残さないといけない核の部分さえちゃんと把握できてればもう少しどうにかできそうなもんなんですけども。
100歩譲って最初の方の人は仕方ないとしても、せめて3人目以降くらいからは前の人が喋ってる間に「あそこを削って…こうまとめて…」と脳内整理をできたんじゃないかと。

1分程度のネタを要求された時に3分ネタをしたら怒られますで。
まぁ『政策=ネタみたいなもの』という捉え方自体が的外れと言われたらごめんなさいでしかありませんけども。

聞く側の気持ち

何にせよ、『話をする=話を聞く人(周りの人)の時間を使わせている』という意識があるかどうかだと思うんですよ。

ふわっちでライブ配信をしててコメント欄でそれを感じる時もあります。

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