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辞めることも前進

ルソー「生きるとは単に呼吸をすることではない。行動することだ」
山﨑仕事人「だよね」

どうも、センサールマンの山﨑仕事人です。
今回は27日に書いた記事の続きみたいな内容になります。
単体で読んでも大丈夫ですが先にそちらを読んでいただけるとたぶん楽しいです。

最近あれやこれやとやることを増やしまくっているせいでめちゃくちゃ忙しいです。
このままだと手が回りきらないし(現に手が止まっているものもある)、何より新しいことを始める余白がないので、そろそろ何かを「辞める」という作業をしなければいけません。

何かを「始める」のと同じくらい何かを「辞める」のも大事なことだと思っています。

「始める」のは前進で、「辞める」のは停滞だったり、むしろ後退だというイメージの人もいるかもしれません。
でもそんなことはなくて、そこにちゃんと意味と意思があれば「辞める」も立派な前進なんです。

次にやることが決まっていれば当然ですが、何も決まってなくても「これ違うなぁ」とか「やってる意味あるかなぁ?」で辞めたって十分な前進です。
違うと思っていることを違うと思ったままやり続ける方が完全なる停滞だし、それこそ後退している可能性だったあります。
辞めてみて、やっぱり意味を感じたら改めて始めることだってできますしね。

僕が以前初速していた吉本を辞めてフリーで活動をしていた時によく「なにしてるの?」と聞かれました。
この「なにしてるの?」は「なにかしたら?」っていう意味なんですね。
それに対して常々「いやいや、僕は“吉本を辞める”をしたんだけどなぁ…」って思ってました。
もっと言えばそもそも「“フリーで活動をする”をしてるんだけどなぁ…」なんですが(笑)。

動や行動だけではなくて作品でも「辞める」が大事になることはあります。

例えば、ネタ作りをしていて面白いボケを思い付いても、ネタ全体のバランスを考えた時にそのボケを「辞める」という選択が必要になることがあるんですね。
例えば、ライブの平場で自分が前に出ればウケるであろうことを思い付いても、その場面では後輩が目立った方が流れ的に良いであろうシーンであれば前に出るのを「辞める」必要があったりもします。

引き算の美学ですね。

この記事の最後を「というわけで今日は長文を書くのを辞めます!」で締めようかと思ったのですが、それを言うには思ったよりも長文になってしまいました…。
ままなりませんなぁ。

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