見出し画像

瞑想 ドラッグ&ドロップアウト

日本の伝統的な作物であるアサは、陶酔作用の原因となるTHC(テトラヒドロカンナビノール)をほとんど含まないため、大量に服用しなければ、いわゆる「麻薬効果」は得られません。
一方でアサの原産地に近いインド産の印度大麻(カンナビスインディカ)には、日本産に比べ数十倍のTHCが含まれています。
インドの瞑想者たちは、三千数百年前のヴェーダ時代から、大麻をASC(変性意識状態)への導入用に使用していたようです。
 
『リグ・ヴェーダ』では高揚感をもたらす神々の飲料「ソーマ」が賛美され、『アタルヴァ・ヴェーダ』には不安を解消する神聖な植物として「バンガ」が登場しますが、これらは印度大麻のことではないか?と目されています。
ヒンドゥー教の主神のひとつシヴァ神は大麻が大好物で、雪をかぶったヒマラヤの山上で瞑想をしているとき、大麻の花を食べていたと言われます。
そのため現代のインドでも、大麻の花や葉を練って作られた「バングー」が、シヴァ神へのプラサード(お供物)として捧げられ、そのお下がりを信者たちで分け合う習慣が見られます。
 
アメリカでは1919年、第一次大戦の敵国だったドイツ系移民への牽制のため、「禁酒法」を成立させましたが、この法律はイタリア系マフィアなどの犯罪組織を蔓延らせる温床となり、1933年に廃止されました。
禁酒局副長官だったハリー・アンスリンガーは、新設された連邦麻薬局(FBN)に同局のエージェントたちを引き連れて移局し、初代長官として就任します。
アンスリンガーは禁酒法時代アルコールに代わって全米に普及した大麻と、それを持ち込んだメキシコ系移民の取り締まりに方向転換し、「Just say No! ただノーと言え!」反マリファナ・キャンペーンを展開しました。
このスローガンは、日本でも「ダメ。ゼッタイ。」として受け継がれています。
 
アメリカで嗜好用のカンナビスが禁止されただけでなく、医療用や産業用のヘンプにも重税が課された背景には、製薬・製紙・石油・化繊といった各業界のロビー活動があったようです。
汎用性の高いヘンプは、ヒトの暮らしに必要なありとあらゆる製品の材料となるため、他の産業界から見れば面白くない存在だったのでしょう。
第二次大戦後、進駐軍が日本のアサ文化を根こそぎ壊滅させた理由もここにあります。
 
1960年代には長引くベトナム戦争に対する反戦運動から、カリフォルニアの若者たちを中心に、カウンターカルチャーが起こりました。
彼らは既成の国家主義的社会体制や軍事覇権主義、キリスト教的家父長権威主義、差別的保守主義などに反発し、自然食や環境保護、動物愛護などを訴えて、東洋や第三世界の伝統文化を積極的に取り入れました。
日本やチベット、インドなどの禅僧やラマ僧、ヨギ、グルらを招き、大学内や街中、自然の中で瞑想やヨガ、各種の身体的精神的セッションを試みました。
 
サンフランシスコのヘイト・アシュベリー地区には、ビクトリア朝時代の住宅を鮮やかにペイントし直した街区があり、そこに長髪で髭を伸ばし浮浪者のような身なりをした若者たちが、次々と移り住んできて共同生活を始めました。
周りの住民は、彼らのことを「尻(ヒップ)のように汚い奴ら」との意味を込め、「ヒッピー」と呼びました。
ヒッピーたちは東洋志向で神秘主義に傾倒し、ゴールデンゲートパークの日本庭園などで、禅や瞑想をして過ごしていました。
既存の価値観や慣習に捉われることを嫌い、「争いをやめ、花を持ち、歌や音楽と共に生きよう!」と人々に呼びかける彼らは、「フラワーチルドレン」とも呼ばれました。
彼らに賛同する仲間は瞬く間に増え、「サマー・オブ・ラブ」と名づけられた1967年の夏には、10万人以上の若者がヘイト・アシュベリーを訪れたといいます。
全米のあちらこちらに、ヒッピーに傾倒した若者たちのコミューンが創られ、やがてこのムーブメントは世界中に拡散していきました。
 
保守社会からドロップアウトし、「ラブ&ピース」を合言葉とするヒッピーたちにとって、大麻(マリファナ)は必須アイテムでした。
また意識を拡大し、宗教的体験をインスタントに得られるLSDは、意識革命を志向する彼らの間で大人気となり、多くのアーティストやミュージシャンにも取り入れられて、サイケデリック・カルチャーを生み出しました。
サマー・オブ・ラブ・イヤーに発売された、ビートルズのアルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』は、全編がサイケデリックな音色で彩られ、この中に収録されている「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」の頭文字がLSDとなっているのは有名な話です。
 
しかし大麻やLSDを受け入れたのとは対照的に、コカインやヘロイン、アンフェタミンなどのハードドラッグは、中毒性が強く有害だとされ、ヒッピーたちの間では厭われていました。
資本主義的な産業社会からはドロップアウトした彼らですが、自然や宇宙と共にある生き物の一員としては、より良く健全に生きる人生を志向していました。
西欧的な道徳や価値観からの抑圧を感じ、そこから抜け出すための道具として、精神的緊張を解く大麻や、精神を拡張させるLSDを利用したのです。
 
ヒッピーたちは積極的にオルタナティブな世界を求め、そこに参入していきました。
インドのヨガやチベット仏教、日本の禅と出会った彼らは、生きるために必要な必要最小限のアイテムを背中のリュックに詰め込み、バックパッカーとなってアジア方面に旅立っていきました。
彼らが探し求めたのは、ヒトが数千年数万年かけて培い保ってきた、精神性の深みです。
次回はこの深淵な精神性について考えたいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?