見出し画像

重荷を下ろしたら、慈しみ深き幸せが待っていた~What A Friend We Have in Jesus~


9月下旬、福岡で父を看取り、喪主として葬儀を行い、四十九日までの間、息子レイの小学校受験を諦め、脚が悪く認知症の母を引き取り、飛行機に乗せ、東京の自宅近くの介護施設に入居した。

四十九日間は本来手を合わせ、故人を偲ぶ期間というけれど、
もはや父には「やり遂げるから、見守っていて」偲ぶよりお願いする日々だ。
父が何よりも大事にし、心配もしていたレイと母のことだから、きっと供養になっているだろう。

父を亡くし、母の病気が進行し、息子の受験を断念。
ここだけ見るとなんとも悲しいnoteと思われるだろうが、私はご縁とお導きに感謝し、穏やかな幸せに包まれている。

すべては繋がり、お導きだと思う
以下3点について書き記したい。

1. 父を看取る
2. 息子の小学校受験をやめた
3. 残された母を東京につれてきた


1. 父を看取る

詳しくは過去の「死は人生の敗北ではない、生涯の完成である」を見てほしい。
発病から3年、完全燃焼した。流した涙は万感の思い、ノーサイドの涙だ。
主治医ともお互いの健闘を称えあい、讃美歌312番で送り出した。

讃美歌312番「いつくしみ深き」

原題はWhat A Friend We Have in Jesusという。
神は崇めるものではなく、心の中にいる友。
絶望においてもなお、歓びを見いだし、人の幸を歓ぶ。
キリスト教の考えのもと、死を残された者の絶望ではなく、故人の門出にできたことは本当に幸せだった。


2. 息子の小学校受験をやめた

年中で小学校受験を決めニ年、休日は幼児教室に通い、平日は自宅学習や口頭試問の練習に充ててきた。
父の様子を見に帰省してもドリルをやり、オンラインで絵画のレッスンをとった。
今年の春以降、父の病気が進行し、母の認知症が発症、二人とも介護が必要になったことと、レイの受験の追い込みが重なり、勉強に説明会に出願、私は完全にオーバーフローだった。


いい教育を受けさせたい、いい学校に行ってほしい、小学校受験は完全に親の意思だ。


父は常に私の意思を尊重し、やりたいことを応援してくれるのだが、小学校受験だけは諭された。
志望校がいかに素晴らしいか、恵まれた環境か、娘の力説を、そうなんだ、良い学校だね、にこやかに聞くものの、いつも最後は「レイ君は、自分がどうしたいかわかっている子だから、レイ君の気持ちを大事にしてね」父が私を尊重してくれたように、私にもまた、レイを尊重してほしいといった。

レイに聞くと「お友達と同じ学校にいって、サッカーチームにはいりたい」

建学の精神よりも大事なこと忘れていないか?

そうした思いがふつふつと湧いた。

9月22日、父が亡くなった日が志望校の出願日だった。
準備してあった願書をもち、飛行機に乗り、その願書は投函せずに捨てた。
子供の意志を大事にして、その父の導きのような気がして。

一人葬儀の準備や死後事務に追われるのを支えてくれたのが、お隣さん、お向いさん40年以上知るご近所さんと、幼稚園から中学まで一緒だった公立校幼なじみと、そのお母さんたちだった。

お年寄りが多い地元で深夜まで煌々と明かりが灯る自宅をみて、心配してご飯を持ってきて、代わりにゴミを捨て、ガレージを掃き、葬儀の受付や連絡係をかってでてくれ、8歳の子供にするようにおいで、と私をハグした。

いまでも時折実家に風を通し、残してある父の遺影や遺骨にお参りしてくれているのもご近所さんであり、幼なじみのお母さんだ。

一人東京に戻る日、タクシーの運転手さんから「後ろにご婦人方がいます.....」振り返ると、ご近所さんたちが表に出て手を振ってくれていた。


東京に戻り、すべての出願を放棄した。地域の人と繋がり、支え助けられ、帰る場所がある心強さ、その機会をレイから奪わずにいたい。これも父の導きだ。


3. 残された母を東京につれてきた

9月末、母の主治医からは「骨折が治り、退院した後も一人で暮らすのは無理でしょう」と告げられる。
この日から私のミッションは母が安心して暮らせる老人ホーム探しになった。
暇さえあればインスタ、フェイスブック、SNSばかりみていたのが「みんなの介護」老人ホームの検索サイトになった。

10月、奇跡的に東京の自宅近くの老人ホームに空きが出た。
自宅とレイが行くことになる公立小のちょうど間にあり、ここなら毎日だって顔出せる。レイも学校帰りに顔を出し、離れて暮らしている気すらしないだろう。また父の導きだと思った。

11月4日、母を迎えに行き、退院。父が眠る実家に一泊だけした。
ご近所さん、お友達、幼なじみのお母さんたちが集まってくれ、賑やかなお茶会をした。


認知症だからうまく会話がかみ合わないかも、そんなことは杞憂だった。
みな、母がいう少しずれたことは気づいていても気にしない、母が話す一言一言を歓び、手をとり懐かしみ、笑ってくれた。父の葬儀と同じく、悲しみよりも歓びが多い旅立ちの会になった。

「いつでも帰っておいで」「はい、元気になって帰ってきたいと思います」
しっかり答える母の言葉を聞いて実家を売却するのはもう少し後にしようと決めた。

翌日、タクシーで家を出る時、またみなさんが表に出てくれていた。

肩を抱き合い「元気でね」「きっと帰ってきて」「いってらっしゃい」母の故郷はここだ。

18歳で家を出て30年、私はあまり帰ってこなかったけど、父の看取りと母の旅立ちで30年の空白がうまった今、ご近所さんとのご縁を大事にし、ずっと繋がっていきたいと思う。

私に手を差し伸べてくれたようにまた、私も手を差し伸べる機会があればと願う。

望んだのは父の体調が良くなり、母の認知症と脚が治り、レイが私立小に合格し、入学式に呼ぶこと。それが親孝行と信じていたが、全てを同時に叶えるのは困難で、私は張り詰めていた。

辿り着いたのは、父は天国に旅立ち、母は東京の介護施設に入居し、レイは地元小に通う。
思い描いたものとは違うが、これがレイが望み、母が望み、父が望んでいたこと。

負えない重荷を降ろし、私は楽になった。

違う場所だが辿り着いたことに心から安堵した。

いつも変わらない愛を持って私を導いてくれる、
ご近所さんと父に委ね、楽になった。

負えないものを下ろし、導かれるままに進み家族の願いが叶い、今私は幸せだ。
歓びも悲しみも分かち合い、慈しみ合う幸せに包まれている。

~What A Friend We Have in Jesus~

神はいつも自分の胸にいる。幸せはすぐそこにある。友はいつも隣にいる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?