yamasakimariko

現在子育て、仕事、両親のサポートを同時進行中。生きるってを噛み締めています。

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最近の記事

今日という一日は、彼女が生きたかった未来

7月に亡くなった親友が家族に残したノートの一部を見せてもらった。 痛み、時間との闘いの中で、残された力を振り絞ったのだろう、達筆な彼女のやや乱れた筆跡の長文を、噛みしめるように読み、目に焼き付けた。 彼女の心を暖め続けた幼い頃への追憶、控えめな彼女らしい人生回顧、そして自分がいない未来を生きる娘へ、母としての言葉。 書かれたノートからの教えと、私が知る親友を書き記すことで、今日彼女を偲びたい。 1. 承認の体験は生涯心を温め続ける 2. 未来はこないかもしれない

    • 重荷を下ろしたら、慈しみ深き幸せが待っていた~What A Friend We Have in Jesus~

      9月下旬、福岡で父を看取り、喪主として葬儀を行い、四十九日までの間、息子レイの小学校受験を諦め、脚が悪く認知症の母を引き取り、飛行機に乗せ、東京の自宅近くの介護施設に入居した。 四十九日間は本来手を合わせ、故人を偲ぶ期間というけれど、 もはや父には「やり遂げるから、見守っていて」偲ぶよりお願いする日々だ。 父が何よりも大事にし、心配もしていたレイと母のことだから、きっと供養になっているだろう。 父を亡くし、母の病気が進行し、息子の受験を断念。 ここだけ見るとなんとも悲しい

      • 死は人生の敗北ではない、生涯の完成である。

        9月22日早朝、最愛の父が旅立った。 切除不能の膵癌で余命9ヶ月と診断されてから2年10ヶ月、私と6歳の息子レイにとって、かけがえのない、いのちの授業となった。 一、軽やかに、諦めない 食事、運動を見直し、遺伝子パネル検査、自分のがん細胞を生検してワクチンを生成する免疫医療も取り入れた。ここの主治医とスタッフは、する治療は最先端でも、歯のクリーニングに来ているかのような軽やかさがあり、父にがんの治療を施しながら、がんで生活を埋め尽くさない、貴重なメンターとなった。 父の

        • 取り繕わない生き方

          仕事で心配事があり、相談という自己開示が苦手な私は6歳の息子レイに聞いてみた。 ママお仕事で失敗しちゃったんだ、周りに味方が居なくなる気がして落ち込んでる。      ママどうすればいいかな?          レイが何か失敗しちゃったらどうする?    味方のお友達が居なくなっちゃったらどうする? にこにしながら聞いていたレイの答えはこうだった。 『失敗していいんだよ。これからをうまくできるようにがんばるんだよ。そうしていたらお友達も味方してくれるよ』 本当にそうだ

        今日という一日は、彼女が生きたかった未来

          生命の授業

          わたしには6歳の息子がいて 彼には81歳のじぃじがいる、つまりわたしの父。 産後の孤独な子育てが怖かったのと、 結婚も出産もだいぶ待たせのに、一切急かさなかった両親に恩返しがしたくて、出産直前から息子が2歳になるまでの間東京に呼んで同じマンションの上下階で暮らした。 この2年のプチ同居は私にとっても息子にとっても両親にとってもかけがえのない時間となった。 オギャーと誕生した3分後に抱っこして、 じぃじだよ、ばぁばですよ、一気に祖父性祖母性が開花した。 短い育休期間は朝食

          生命の授業

          雨の午後、親友は慈しみの泉という名の仏になった。

          昨日親友が旅立った。            がんの再発から3年7ヶ月、壮絶な闘病を経ての旅立ちだった。 娘一人残すわけにはいかない。 地方都市のエスタブリッシュな医者なんかより、ずっとずっと賢くて、自分で勉強して治療法を提案し、セカンドオピニオンも怠らない。    腹水抜いた後、自分で運転して娘の待つ家に帰る。医者も憚るほど積極的な治療を最後までした。緩和のかの字も聞き入れなかった。 すべては娘のために生きるため。 オペ、抗がん剤、新薬、免疫療法、フルコースでやり尽くして最

          雨の午後、親友は慈しみの泉という名の仏になった。