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雨の午後、親友は慈しみの泉という名の仏になった。

昨日親友が旅立った。            がんの再発から3年7ヶ月、壮絶な闘病を経ての旅立ちだった。
娘一人残すわけにはいかない。
地方都市のエスタブリッシュな医者なんかより、ずっとずっと賢くて、自分で勉強して治療法を提案し、セカンドオピニオンも怠らない。    腹水抜いた後、自分で運転して娘の待つ家に帰る。医者も憚るほど積極的な治療を最後までした。緩和のかの字も聞き入れなかった。
すべては娘のために生きるため。

オペ、抗がん剤、新薬、免疫療法、フルコースでやり尽くして最後、動脈に直接抗がん剤を入れた。
キツくないわけがない。しかし彼女にとって副作用はクリティカルでない。重要なのはガンを叩くかどうか、それだけ。
痛いとかきついとか関係なく、叩けるだけ叩く。自分の病気についてはどこまでも厳しく、挑戦し続けた。

その片方で彼女は常に隣人を愛し、手を差し伸べた。

彼女のプレゼントはいつもユニークで、
あなた仕事が忙しそうだから、と半端なく酸っぱい梅干しを作ってくれたり、紫蘇もっと食べたほうがいいよ、紫蘇の葉でも実でもなく、苗ごと持ってきたこともあった。
手紙もたくさんくれた。ありがとうが溢れていた。

私がキャパオーバーになりかけた時、彼女が代わりに母を病院につれていき、おしゃべりし、ランチして、母は何ヶ月も見せていなかった満面の笑顔を取り戻した。脳外科医との面談ではプロ級ののメモをのこしてくれた。きっと勉強していったのだろう。

父の様子をお菓子片手にさりげなく見に行ってくれたり、人に対してはどこまでも控えめで優しい彼女のことが、父も母も大好きだった。

そんなふうに旅立ちの一ヶ月前まで、いつも人のために行動した。              彼女の優しさに甘え、私が彼女の命を削ったかもしれない。この気持ちを一生背負っていく。  ごめんねばかりいっては彼女に失礼だから、それ以上にありがとうをいう。

子供が小さいのにがんになって可哀想とも
お母さんがいなくなって子供が可哀想とも言いたくない。
極僅かの友人以外に病気を伏せていたことを
相談できなくて可哀想とは言いたくない。
可哀想だと泣かれ、しっかりしてねと娘や母が同情される人生なんてまっぴらなはずだ。    

いつも凛として、それが彼女の生き様だ。   旅立ちだってそうありたいはず。

よくがんばりました、力いっぱい生きたよね、
かっこよかったよ、賢かった、強かった、勇敢だったね、優しかった、綺麗だった。      最高の女性、最高の友人、最高の母、最高の娘。貴方が残した娘も最高の娘だよ。
たくさんの愛をありがとう。         勇気を教えてくれてありがとう。  

できれば、旅立ちの瞬間に抱きしめて、この言葉を言いたかった。              叶わなかった分、慈しみの泉と書いて慈泉という名の仏様になった彼女に毎日いう。

身体は満身創痍だったけど心はがんに勝ったよ。疲れただろうからゆっくりお休み、      またね、お疲れ様。


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