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死は人生の敗北ではない、生涯の完成である。

9月22日早朝、最愛の父が旅立った。
切除不能の膵癌で余命9ヶ月と診断されてから2年10ヶ月、私と6歳の息子レイにとって、かけがえのない、いのちの授業となった。

一、軽やかに、諦めない

食事、運動を見直し、遺伝子パネル検査、自分のがん細胞を生検してワクチンを生成する免疫医療も取り入れた。ここの主治医とスタッフは、する治療は最先端でも、歯のクリーニングに来ているかのような軽やかさがあり、父にがんの治療を施しながら、がんで生活を埋め尽くさない、貴重なメンターとなった。

父の余命診断はホスピスと免疫療法の主治医で2ヶ月ずれていた。実際にはホスピスの見立て通りに早く亡くなったのだが、余命を意識しすぎず、人生二度目の東京オリンピックをテレビでみながらたわいもない話をしたのは、最後で最高の家族の団欒だ。

病には、深刻さや構えがつきまとう。そんな中、軽やかさや楽観は救いだ。


二、ささやかな楽しみを大切に

ラージボール卓球、プール、ほんの少しのお酒、そして何よりも孫のレイと遊ぶ時間を楽しんだ。

レイも少しずつ弱っていくおじいちゃんとの遊び方を覚えた。小さな頃は、おじいちゃんに絵本を読んでもらい、寝かしつけされていたのが、6歳になったレイはベッドサイドでおじいちゃんに絵本を読み聞かせ、眠るまでとんとんと胸を撫でる。二人の間にはいつも優しい時間が流れた。

手紙もたくさん書いた。絵だった手紙は文字になり、文章になり、最後は「じいじにあいたいな れい」返事は「おじいちゃんも、はやくなおしてレイくんとあそびたいな」二人は心友になった。


三、痛い、きついを我慢しない

診断直後からキリスト教の理念をもつ緩和病棟を訪ね、痛みと心のケアを専門家に託した。

その甲斐あってか入院は診断後の検査以外、輸血を一度と終末期のニ週間だけ。もちろんそこに至るまで、きつい、しんどいがなかったわけではないが、転移性の膵癌にしては体調のよい期間が長く続き、つくづく幸運だと思う。

夏以降、徐々に衰弱し、家でも寝ていることが増え、自宅での療養が難しくなり、外来と往診で信頼関係を築いていたホスピスへ入院した。

ホスピスの主治医は、痛みと心のケアをしながら、良くなるかも、治したい、という父の希望を汲み、免疫療法のクリニックと連携し、亡くなる6日前まで治療に通わせてくれた。     

医療用車両で慎重に運ばれながら父は久々に外の緑と風を感じ、「とても気持ちがいい」病室では得られない最後の夏を味わった。

主治医は数週間前に父君を自ら主治医として看取った経験から私にこう言った。

「親の看取りは最高の親孝行だよ」

この言葉にどれほど救われたことか。

治癒でなく、最高の看取りがゴールになった。 歳越せるといいねが、ひと月持たないかも、今週末かも、どんどん早まり、いよいよレイの面会許可がおり、「明日朝一のフライトで福岡行きます!」といった夜が開ける前、朝4時半に電話が鳴る。

「4時まですやすやとお休みになっていたのが、心臓と呼吸が少しずつ弱くなってきました。このまま旅立たれるでしょう。耳は最後まで聞こえるのでお話してください」

ビデオ通話に変えてもらい、レイを叩き起こした。レイにはジイジはそろそろ天国に行くんだ、安心してもらおうね、と話してあった。

「ジイジ、レイだよ。守ってくれてありがとう、レイが守ってあげる、大好きだよ、愛してるジイジ」

レイの声を聞きながら、4時58分、家族がビデオで見守る中、静かに、静かに息を引きとった。
病院でなければ気づけないほど安らかな臨終。 燃え尽きたロウソクが消える瞬間のように静かであった。

誰にも知らせないで、といわれていたが、
父のスマホをみると卓球仲間、同級生、ご近所さん、教員時代の教え子たちや同僚の先生方、友情の記録が溢れている。
父の意には背くが、知らせ、葬儀には多くの方がきてくれた。

・高校時代のあだ名は「はっちゃん」
・静かで優しくて信頼できる先生だった父
・卓球では強烈なバックハンドが武器
・親友との会話では徐々に覚悟を固めていた父
・後妻の息子で異母兄弟二人、その子供たちからも兄として慕われていた父
・私とレイが渡したお守りをすべて握りしめて入院した父 

葬儀で飾る多様な写真を探した。       1980年~2000年、背景はシルクロードやシンガポール、様々だけど被写体は同僚4人衆20年間変化なし。どんだけ仲良いんだ。

私の知る父と知らない父がいた。

一方、スマホの検索履歴は「リン酸コデイン」「エンドキサン」処方される薬の中身を調べていた。

「ホスピスとは」「ホスピス、平均費用、期間」見つけて胸が締め付けられた。人知れぬ葛藤もあっただろう。

それでも、人生に歓びをもたらしてくれた人たちに囲まれての旅立ちは悲しみよりも幸せが多い。

静かで穏やか。変化に抗わず、受容するが、静かな闘志が流れている。太陽ではなく、すべてを包み込む月のような人だった。

父のような静謐さと受容、静かな闘志を、太陽よりも月が好きなレイに受け継いでほしいと願う。

伴走する中で、いつしか生きることと死ぬことは同義になった。いのちを燃やし、天寿を全うすること。

「死は人生の敗北ではない、生涯の完成である」

これは看取りを担当してくれたホスピス、栄光病院の理念。看取りを通じ、私の道標となった。

中秋の名月、黄金の月に照らされながら父は天国に旅立つ。

満月の夜、父を思いながら、ちょっといいシャンパンをあけよう。

月に一度の楽しみで、いかにも私らしい父への供養じゃないか。

じぃじ、ありがとう。

お父さんの静謐さは私の平穏でした。

See you again.

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