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神々に捧げられるチーズ。そして、Book-keepingが生まれた。キンステッド『チーズと文明』を読む(2)「文明のゆりかご チーズと宗教」

今回は、この本の第2章を読みます。

摘 読。

舞台としてのメソポタミア、シュメール。

創世記において、アブラハムは南部メソポタミアのウルという都市で生まれたとされている。創世記において、アブラハムは「主」と「天使」にパンや柔らかな子牛の肉、カード(フレッシュチーズ)、ミルクを並べて歓待した。ここからは、この時すでにチーズが宗教儀式に欠かせない、神の栄光を讃えるにふさわしい食べ物であると認識されていたことがわかる。

ウルは紀元前3000年ごろのメソポタミア文明の中心に位置していた大都市で、チーズやバターの生産地であったことも知られる。この紀元前3000年代の初め頃、チグリス・ユーフラテス川の南側、ウバイドの地で、それまでは小規模の灌漑に頼っていた村落から都市へと変貌するという「都市革命」が起きた。これがシュメール文明の始まりである。

この世界最初の巨大な複合都市は、高度に洗練された中央集権的管理統治システムのもとに、社会的にも経済的にも階層化した社会を構成し、建築をはじめとする技術、宗教概念や共同体での儀式、書記言語の発明など、多くの革新が出現した。これは、二次産品革命の産物でもあった。家畜の利用方法が革命的な変化を遂げ、農作業や輸送の担い手としての家畜の新たな活用法が、はじめはメソポタミアで発展、実用化され、その後に近東全域、さらにはヨーロッパ全域へと広がっていった。

この二次産品革命は耕作地の拡大、そして農産物の産出量の増加をもたらした。さらに、収穫後の刈り株畑を養生させるために敵的に作付けを休む休耕地は羊やヤギの豊かな放牧場となった。そのおかげで、土地は豊かな肥やしを得ることになった。この季節移動による遊牧によって、羊の飼育は盛んになり、羊毛や織物、ミルクの生産が増加した。その保存のために、チーズやバター、水牛バターのギーが生産されるようになった。

時を同じくして、ウバイド文化においては村に神殿が建てられ始めた。紀元前4000年ごろには、地域の神殿は明らかに経済的機能をも帯びるようになった。各地の神殿は、増加してきた余剰穀物や、のちには羊毛の織物のための貯蔵庫として利用され、そうした産物の監督所としての機能も果たすようになる。これらは遠隔地との交易に用いられ、他の土地で産み出される建築用の材木や石材、黒曜石、ガラス質の火山性クリスタルなど、不足している資源と交換された。

こういった蓄積のうえにできたのがウルクという都市である。現存する最古の文芸作品『ギルガメシュ叙事詩』が生まれたのは、ここでの初期王朝時代である。

乳製品を要求する女神、イナンナ。

このウルクでは、空の神アンと天の女王イナンナのそれぞれに捧げられた日達の大きな神殿が聳え立っていた。ウルクには高度な経済が発達しており、中央集権の法制と行政があり、非宗教的なエリート集団が神殿のヒエラルキーと密接な協力関係の下に階層社会を支配していた。この影響力は周辺の地域にもおよび、農産物のかたちで重税を取り立てていた。

このウルクにおいて信奉された2柱の神のうち、宵と明けの明星のかたちをとった天の女王イナンナが神殿の中心に祀られていた。イナンナは豊穣と性愛、季節と収穫の女神であり、共同の余剰農産物を収納していた穀物蔵の守り神であった。このイナンナは羊飼いのドゥムジと結婚することになるのだが、ドゥムジは新鮮なミルクとクリーム、それとチーズをイナンナに提供し、イナンナは王となるドゥムジの穀物蔵の守りと繁栄を約束するという神話がある。この聖なる結婚の儀式を、女性神官が代理となって毎年、儀式(個人的推測だが、芸能のかたちを採っていたのであろう)としておこなうことで、イナンナからその年の恩恵が約束されると、人々は信じていた。これは国王と女神が特別な関係にあること、国王が神に近い存在であることを人々に認識させた。そして、人々の国王への帰依にもつながっていく。このイナンナは、変遷を重ねてギリシアにおけるアフロディーテとなり、ローマの神殿でも受け入れられた。

工場、もしくは企業としてのイナンナの神殿。

イナンナが羊の乳から作り出されるものを供物として求めたことは、神殿の上級神官たちがチーズやバターを日々の供え物とするきっかけになっただけでなく、メソポタミア文明の広域経済にとっても重要な意味を持った。神殿では乳製品の管理が必要となり、その過程で羊毛製品の生産も管理するようになった。羊毛の品種改良も進み、ウルクの線日製品は有名となって、広域交易網ができていくと、貴重な輸出品として取引されるようになる。これは、ウルクの印章にも示されている。

かくして、紀元前3000年代には神殿が羊毛と繊維製品の製造を管理する力を得ていた。ウルクと姉妹都市には莫大な富が集まり、イナンナの神話は支配層が羊の生産の管理を強化する口実に利用された*。

* このあたり、経営学あるいは経営史的にも興味深いところである。

これらの管理監督のために、書記言語が大きな役割を果たした。記録管理の負担が増えると、そのための記録方法は簡便を求める。そうして、湿った粘土板に記号を刻むやりかたの会計制度が発達した。これが楔形文字へと進化したのである。神官によって記録された書類はきわめて複雑で、イナンナの神殿の乳製品を供給する羊、ヤギ、牛の群れの記録が刻まれていた。神殿は家畜の世話を専門にしている羊飼いたちにイナンナの聖なる動物たちを委ね、年末位に全体の計算書を用意させたのであろう。粘土板には、成長した雄と雌の頭数、捧げものにした雄雌の頭数、年間に生産された乳製品の数量が記録されていた。シュメール人の神殿のいくつかでは、神官が自らミルクの製造とその加工にあたっていたこともあったらしい。実際に、それを示す石灰岩に刻まれたフリーズが発見されている。そこには、神殿での高度な乳製品製造技術のようすが残されている。

シュメール人のチーズ。

メソポタミアにおけるチーズは、どんなものだったのか。紀元前2100年ごろから2000年ごろのウル第三王朝時代には辞書が作られていたが、食物の章には800語の項目があり、そのうち18~20語ものチーズに関する用語が含まれている。チーズ、フレッシュチーズ、蜂蜜チーズ、辛子風味、濃厚チーズ、刺激のあるチーズ、白チーズなどなど。神殿の記録には、バターとチーズが同量、またはほぼ同量で生産されていたことが繰り返し出てくる。これは、同じミルクから同時に生産されていたことを示している。牛の場合はクリーム分が分離するが、羊やヤギの場合は分離しない。

これらのチーズとバターはシラという単位で生産量があらわされた。これは斜めに縁の開いた陶製の碗の容積の約1リットルに相当する。チーズもバターもこの碗に詰められて、使用されるまで粘土で封をして保存されていたのではないかと考えられている。さらに神殿へのチーズの納品をニドゥという単位で記録しているのもある。これは陶製の壺であろうと推定される。

こういったチーズは神々や女神たちの聖なる食物だっただけでなく、命に限りある人間も食べてよい食品だった。シュメール人の都市では宗教関係者もそうでない人も食料は配給制で、配給にはチーズが含まれることがあった。また、白チーズや白チーズを材料として使ったフルーツケーキが王家の食品のリストに含まれていることから、支配者層もチーズを食べていたことがわかる。

ところが、チーズは取引の対象にはなっていない。これは傷みやすかったからであろう。したがって、チーズやその他の乳製品の消費は郊外の牧畜従事者の他は、主として支配者層と神殿の特権を持った労働者に限られていたと想定される。

メソポタミアの東西でのチーズ。

メソポタミアの西方、エジプトではチーズの痕跡が残っている一方、西方のインダス渓谷にもチーズは伝播していた。インダスでは牛と水牛がミルクと肉を採るため、さらに荷車などを引かせるために使用され、もっとも重要な家畜となっていた。羊やヤギも飼育されていた。ハラッパ文明(紀元前2000年ごろ)においてはチーズが製造されていたという痕跡は見つかっておらず、そのあとのヒンドゥー・ヴェーダの聖典において初めてみられる。ヴェーダはアーリア人によって紀元前1500年ごろから何世紀にもわたって編集が続けられた記録である。アーリア人はイランや南部中央アジアからインダス渓谷へとやってきた遊牧民であった。そのヴェーダ聖典にはミルクやギー、カードに関する記述があちらこちらに見られる。そして、食料として、また宗教儀式での捧げものとしての重要性が強調されている。これは仏教やジャイナ教の聖典でも繰り返し説かれている。

しかし、インドにおいて熟成チーズは作られなかった。そこには、牛が崇敬される存在であったゆえに動物性のレンネットが発達しなかったという文化的な背景や、熟成を「統制された腐敗」と考えると清浄をこととした食思想に合わなかったという理由が考えられる。実際に、保存技術が発達していない当時において、技術的にも難しかったのであろう。さらにその東の中国では、そもそも乳製品が食事の中心にくること自体がなかった。

私 見。

いつもどおり、摘読といいながら長くなったが、個人的にはイナンナの神殿がまさにBetriebとして機能していくさまが、まことに興味深かった。

ちなみに、メソポタミアの簿記会計については、日本でも研究はいくつかある。

古いところでは、
酒井文雄[1965]「古代メソポタミアの商業簿記」『關西大學商學論集』第10巻第3-5号

こちらはWebでは読めなさそうだが、新しいものとして
工藤栄一郎[2021]「古代メソポタミア会計研究の意義と可能性」『京都大学經濟論叢』第195巻第2号

などがある。他にもある。簿記・会計史の土方久による6連論攷のうちのIIとIIIにおいてメソポタミア会計について詳しい言及がある。

余談にはなるが、こういった“地味”ともいえる研究が日本語で読めるというのは、ありがたい限りである。簿記史・会計史・会計学史といった領域もやはり大事だと思う。我が身に引きつけているところはあるが(笑)

本章を読んでいると、チーズの製法についても触れられているが、個人的には農耕牧畜とそこからの余剰収穫であったり、余剰収穫を獲得するための知識であったり、農業生産が現代における経営や経済のベースとなっていることをあらためて思い知らされる。上述の記録=Book-keepingとしての簿記や生産さらには労務をめぐる管理とともに、最初は素朴な信仰であったかもしれないイナンナという存在が、人々を働かせるための象徴シンボルになっていったというのも興味深い。

さらに、これはブローデルを読んでいるときにも出てきたが、休耕地という発想が稲作文明とは異なっている点もおもしろい。土地を休ませて、次に備えるという発想は稲作文明には稀薄なのかもしれない。

何でもかんでも古代と現代を結びつけることには賛成ではないが、古層が現代に漾い、映っているというのもまた現実の一端であるようにも思う。

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