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小麦(というか、主穀物)こそが、王。ブローデル『物質文明・経済・資本主義』を読む(5)

ブローデル『物質文明・経済・資本主義』の読書会第5回のメモ。今回から「日用の糧」の章。このうち、今回は小麦。

まず、ここでのブローデルの観点を確認しておこう。ブローデルは、人間の食物がその社会的地位や、その人をとりまく文明・文化について証言するものだという。そして、歴史を眺めていくとき、大きな2つの革命があると指摘する。それが「旧石器時代に始まる〈動物蛋白質への飢え〉」と「新石器時代の農業革命」である。ここで採りあげられるのは、後者の農業である。そのなかでも、3つの穀物、小麦、米、そしてトウモロコシが対象となる。

小麦および雑穀

小麦はヨーロッパを出発点として遠方においても数々の土地を征服した主穀物の一つである。ただ、実際には、小麦とその他の雑穀という視点が必要になる。というのも、小麦の収穫率はきわめて悪かったからだ。パンにできる小麦とライ麦のほかに、大麦や燕麦、そば、栗といった雑穀が栽培された。後者はヨーロッパにおける人々(とりわけ、貧しい人々)の空腹を満たすものであった。この他にも、米や豆類も補助穀物として栽培され、食に供された。

小麦の輪作

また、この小麦というやつは、同じ畑地で二年続けて作れば、必ずひどい損害を生じさせるものであった。それゆえに、場所を変えて順繰りにつくらなければならなかった。南方では二拍子、北方では三拍子の輪作がなされた。この休耕地の土壌は地味を養うさまざまな塩を豊かに回復することができた。その土壌に肥料を施し、鋤返しをすると、より十分な回復がもたらされた。当然ながら、土地がもたらす実り豊かさは、きわめて重要な意味を持つ。それゆえ「複雑な体系をなす関係・習慣が組織だてられ、その体系がきわめて緊密だったので、亀裂の生じようがない」とまでいわれることになったわけである。同時に、低地の肥沃な土地は、貧しい土地の労働力に門戸を開きもした。

このように、西ヨーロッパ文明を決定したのは、小麦と牧草であった。究極的には肉とエネルギーとの補給源である家畜が人間生活に割り込んできたことで、西ヨーロッパの活力ある創造性がもたらされた。経済学の始祖の一人といっていいケネーが、この点に注目していたのは慧眼であるといっていいだろう。

小麦の収穫率の低さと国際通商

小麦という穀物は、許しがたいほどに収穫率が低い。ブローデルは、この点を種々の統計を用いて説明しているが、これは省略しよう。ただ、きわめて貧相なものであるとはいえ、収穫率は緩慢かつ継続的に進歩していった。そのなかで、農村は都市への食糧供給地として位置づけられるようになる。農民たちは、都市の常設市場で小麦を売るように強制されていた。ただ、このような局地的交換は、凶作が起こると一気に都市を飢饉の恐怖に陥れた。それゆえ、諸都市は特に恵まれた穀倉地帯に頼らざるを得なくなった。ここに国境を超えた大規模な通商が生まれる。ここで留意しておかなければならないのは、穀倉地帯に住む農民たちが豊かになったということではない。地主としての貴族たちは、きわめてしまり屋的な生活を送っており、農場で働く農民たちはより厳しい生活を強いられていた。そして、都市部においては、小麦が貴重なものであったがゆえに、そして肥大した都市の食糧需要に対応できなかったがゆえに、数多くの不正や汚職が繰り返されることになった。したがって、都市であれ、農村であれ、多くの人々は極貧の生活を送らなければならなかったのである。暴動、そして革命が生じたのも、やはり食べ物の恨みであった。

私 見

こうしてざっと読んでみるだけでも、穀物生産がわれわれの生活のきわめて微細な部分にまで影響を及ぼしていることがわかる。ドイツでは、実り豊かさとしての生産性(特に、技術的生産性のことをしばしばさす)に該当する言葉として、Ergiebigkeitというのがある。経営学でも折々みられる。生産性と訳されるわけだが、実り豊かさという概念イメージを持つことは、けっこう重要な視点であろうと思う。というのも、収穫をもたらすところの土地をいかにして実り豊かなものとして整えておくかが、経済活動の成果獲得にとってcriticalになってくるからである。ブローデルが、この節でケネーを引き合いに出しているのは、まさに食という物質文明が交換や流通・通商としての経済に影響を及ぼし、及ぼされることを示そうとするがゆえだともいえよう。

さて、いまわれわれはちゃんと〈休耕地〉を確保し、養えているだろうか。何かを生み出す時期と、そのための”休耕”して次に備える時期、このリズムが重要であるように思うのだが。ちなみに、稲作の場合は休耕が必要ないらしいことがちらりと見えた(笑)

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