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LocalizeとCultivate。ブローデル『物質文明・経済・資本主義』を読む(6)

ブローデル『物質文明・経済・資本主義』の読書会第5回のメモ。今回から「日用の糧」の章。このうち、今回は米ととうもろこし、そしてその他の栽培植物。

摘 読。

稲 / 米。
米は小麦を含めて、他の多くの栽培植物と同じく、中央アジアの乾燥した谷間に起源がある。しかし、人の食物として普及するようになったのは、小麦よりも3000年もあとのことであった。水稲はまずインドで定着したのち、陸路または海路を経て、華南に辿り着いた。この地で稲作が盛んになるにつれて、中国における文明の地は華北だけでなく、華南にもあらわれたわけである。そして、そこからアジアの各地、もちろん日本も含むわけだが、広まっていった。

稲が育つ水田は面積比率的には、それほど大きいものではない。しかし、その肥沃な土地が途方もなく、よく利用されていた。稲は、小麦以上に労働・人的資本の集中とその場その場での注意深い応用を必要とした。水田のために大運河が引かれ、過剰な設備が整えられるとともに、村落の密集・人口の大幅な増加が惹き起こされた。それとともに、社会的規律も強まっていったわけである。

稲の場合、灌漑などの水をめぐる技術で収穫度合いが高まったことのみならず、二期作や三期作、三毛作などに成功したことで、多くの人口を支える穀物となった。これは、同時に厳密な農事暦を生み出すことになる。カンボジアでは、さまざまな言葉、諺に稲作の暦が滲み出ている。

※ ちなみに、雷を「稲妻」と呼ぶのは、雷が雨を呼び、それによって稲が実っていくことを、雷は稲の夫(昔は、男性の配偶者も「つま」と呼んだ)と呼んだことに由来するという話を聞いたことがある。

この二期作や三期作を可能にしたのは、稲の生育の速さである。さらに二毛作や三毛作まで可能になるとなれば、小麦の場合に比べても同じ土地の広さからの収量は、当然ながら大きくなる。稲作文明において、菜食が中心となったのは、このような収量の大きさからくる栄養摂取の多さによる。ここまで重要な地位を占めてくると、米は価格の変動を左右するのみならず、日本のように通貨そのものになることも起こってくる。

稲の生産性の高さは、結果的にヨーロッパほどの山岳地帯の活用に至らなかったという帰結をも導きだした。新たな領域の開拓は、山岳地帯ではなく、都市の方向であった。というのも、人間の排泄物や街路の泥が肥料となったからである。稲作の成功が、農村と都市との「においたつ」共生関係をもたらしたわけである。その後、日本においては農機具や肥料のさらなる進展があった。これは、米の商業作物化をもたらし、副次的栽培も飛躍した。米は現物年貢として半分ほどが徴収されたのに対して、副次的に栽培された新たな作物に関しては金納が認められた。ここから農村世界が近代経済につながる糸口が生まれた。

このようにみてみても、稲は小麦同様に、きわめて複雑な性格を持つ作物であることがわかる。

とうもろこし。
とうもろこしは、インカ、マヤ、そしてアステカといった諸文明を支えた。このとうもろこしという作物は、ひじょうにわずかな努力だけで収穫ができた。それゆえに、とうもろこしを主に栽培していたメキシコの人々は、暇であった。その結果、ブローデル曰く、農村の閑暇は巨大なピラミッドや城壁などのさまざまな建築物のための工事へと利用されることになった。

ところが、このとうもろこしによる食事というのは、きわめて簡素なものであった。加えるとしても、ジャガイモくらいのものであった。

しかも、とうもろこしはアンデス山地においては寒さゆえに中腹くらいまででしか育たない。それゆえに高山に住む民族たちは、家畜を連れて移動しながら、高山で採掘した岩塩でもって貨幣を獲得し、とうもろこしや蒸留酒などを求めて、騾馬とともに移動したのであった。

※ とうもろこしに関するブローデルの記述は少ない。この点、ブローデルの関心の薄さを感じさせる。

18世紀の食品革命。
18世紀になると、主たる穀物だけでなく、さまざまな栽培作物が育てられるようになる。とはいえ、これらはもっと早くから伝わってはいた。しかし、こういった食物への嫌悪感は強く、なかなか根づかなかった。根づくようになったのは、新しい栽培作物によって食糧生産の増大が可能になったためであろう。

たとえば、とうもろこしはヨーロッパにおいてもともと動物の飼料でもあった。とうもろこしは生産性が高いために、次第に農民の食べ物の主たる地位を占めるようになる。これは、同時に小麦が商業作物となることを可能にした。

それよりも浸透が遅かったのが、ジャガイモである。アジアではほとんど受け入れられなかったジャガイモであるが、ヨーロッパではロッシャーが人口増大の原因とまで主張するほどに、革命的なレベルで浸透した。しかも、栄養価が高いとされ、18世紀末から19世紀にかけて、ヨーロッパにおいて全面的な勝利を収めることになった。加えて、ジャガイモには地域によって税が免除されるということがあったらしい。

※ ちなみに、日本ではジャガイモではなく、サツマイモ(甘藷)が江戸時代以降、徐々に普及した。サツマイモの場合も税を免除されることがあったらしい。明らかに救荒作物として位置づけられていた。

それにしても、人々が自分の国、自分の習慣、自分の日用の糧から出て、他人任せになれるものを食べさせられるたび、鋭い葛藤が生じた。その葛藤の歴史の帰結として、今のそれぞれの地域での食生活がある。

それ以外の土地では。
このように、小麦や稲、とうもろこしのように文明を支えた作物がある一方で、どちらかといえば原始的な農業によって支えられている地域もある。こういった土地では、以下の3つのような共通点があるとされる。

(1)古くからの特徴をそのまま維持している。
(2)均質的な全体を持つ。
(3)近来の混淆。

ただ、注意しなければならないのは、これらが原始的性格を持つからといって、活力を欠いているわけではないという点である。むしろ、独自の文化圏を構築しているとみるべきであろう。

ブローデルが最底辺と位置づけるのは、農業によらずに暮らしを立てている人々である。これらの人々は、採取・漁撈・狩猟で生計を立てている。この点、ブローデルの独自の(あるいは偏見をも含んだ)視座が垣間見えるようにも思う。ただ、ブローデルが文明を「耕すcultivate」と結びつけて捉えていることは明らかであろう。

私 見。

ブローデルの文明史観は、農業に深く根差していることがわかる。しかも、これはやむを得ないことであろうが、ヨーロッパを中心とした視座であることも窺われる。その点には、当然ながら批判もあり得よう。ただ、そこばかりを指摘したところで、あまり実りはない。

むしろ、農業という人間の生に直結する物質の歴史的動態を明らかにすることで、文明の転変を捉えていこうとするところに、やはり大きな示唆がある。そして、この農という営みは、いうまでもなくその土地々々の自然条件にも大きく作用される。それゆえ、いかに収量が多いとしても、その栽培作物がすぐに浸透するとは限らない。その浸透には、培われ、積み重ねられてきた生活的感性との整合性も影響する。

その点でも、ソーシャルイノベーションに関して、自然条件や文明的背景、生活的感性など、それぞれの地域的な特性を踏まえなければ、それがそれぞれの文明や文化に入り込んでいくのは難しいという点も、示唆として得ることができるだろう。

余談。私が好きな日本史の研究文献(新書だが)の一つに、桜井英治氏の『贈与の歴史学』がある。最近まで気づいていなかったのだが、桜井先生はブローデルのアプローチに依拠して、日本の中世における経済構造を明らかにしようとしている。日本の中世の経済関係の特質がわかるので、ひじょうにおもしろい。

まだ購入していないが、これも立ち読みしてすごくおもしろかった。




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