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文化と技術と経済と。そして、それを秩序化すること。キンステッド『チーズと文明』を読む(9)「新旧両世界のあいだ:原産地名称保護と安全性をめぐって」

今回は、この本の第9章を読みます。最終章。きわめて現代的なテーマですし、それだけでなく、独自の意味空間を構築したいと思っている企業者の方にとって、きわめて重要な論点ではないかと。

摘 読。

1994年に「関税及び貿易に関する一般協定」いわゆるGATTのもとでウルグアイ・ラウンドの議定書に調印がなされた。これによって世界貿易機関(WTO)が創設され、貿易に関する強制力を持った規定や基準を設定することができるようになった。

そのなかで議論となったのが、チーズであった。このチーズに関する知的財産権、とりわけ地理的表示(GI;原産地表示)の問題は、チーズの製造がもともとの地を離れて、例えばヨーロッパの各地からアメリカに移植されたりしていることから生じた。ここには、一般的な名称となっているものはGIから外されるという例外条項もある。それを決めるのは、加盟各国独自に委ねられていた。ここに発火点があった。

アメリカのチーズ製造業者からすれば、かなり以前に、つまり法的規制がない時代にヨーロッパ各地から持ち込まれ、製造され、なじみを得るようになっているのだから、チーズの地名的名称も一般名称であるという認識であった。これに対して、ヨーロッパの側からすると、「地の味」というのが食品の名称につながっている。それぞれの地域には独特の環境があり、それぞれの場所でつくられる食品の品質と特徴に特別な影響をおよぼしている。これは地元の人々が長い年月をかけて、その土地の環境に合わせて微調整を繰り返しながらつくりあげてきた伝統技術や製法と同様に、土壌、気候、地形といったさまざまな要因から地域ごとの差異が生じる。このように考えると、チーズの地名的名称は、その地のチーズの伝統をあらわすものであり、特殊性を示すものであるという認識に至る。これは、フランスにおけるワインの原産地呼称統制(AOC)が1919年に制定されたことに端を発している。このしくみを制度化したのが1992年にEUが制定した原産地名称保護(PDO)である。これは、伝統的製法によるチーズを保護するという側面を持つ。

さて、このような制度はウルグアイ・ラウンドの範囲内では、各国が独自に決めることであり、たとえばアメリカはEUにおける規制を無視することができる。ただ、EUはこの規制を全世界に拡げようとしている。実際、EU域内では原産地名称を保護するという欧州司法裁判所の判断が下されている。こうなると、チーズの伝統的名称はヨーロッパの原産地しか使えなくなる。

ところが、アメリカにとっても、こうした地名的名称はヨーロッパの遠い過去、伝統につながっているという証でもある。そして、アメリカに持ち込まれてから、さまざまな工夫や改良を経て、活力ある産業にしあげられてきた独自のものであった。アメリカの立場からすれば、ヨーロッパがチーズの地名的名称を排他的に使用できる正当性などないということになる。

ヨーロッパからすれば、先に触れたように、それぞれの土地の労働の風景や郷土の文化に根ざし、存在感を示している。これはその地方や国のアイデンティティにも寄与している。

こういった文化的な知的所有権を取り戻すことは、ヨーロッパにとって緊急性の高い課題なのである。そして、それは文化の問題にとどまらず、他のチーズとの差別化を明確にする経済的な側面も含んでいる。

さらに、そこに安全規制などの技術的な問題も入り込んでくる。ヨーロッパではチーズ製造に生乳を使うことに強いこだわりを持っているが、アメリカでは安全性の観点から生乳を排除する方向に動いている。アメリカにおける生乳チーズに関する規制は1949年に遡ることができる。モッツェレラ(モッツァレラ)やコテッジ、モンテリージャック、クリームチーズを含む10種のチーズは低温保持殺菌パスチャライズしたミルクを使用しなければならないとされている。これは、工場においてチーズを大量生産するというアメリカの状況に依存している面が大きい。工場での生産において食中毒を出せば、その損害はきわめて大きい。そのため、チーズの品質や均一性、安全性にとって安全基準は重要なものと認識されていた。

一方、1970年代から80年代初頭に、アメリカでも職人による小規模なチーズづくりが始まっていた。ここでは伝統的な製法にもとづいてチーズがつくられようとしていた。そこでは生乳も用いられていた。既存のチーズ製造業者は、こういった職人アルティザンによる伝統的製法を食中毒の猛襲への入り口として危険視した。そして、実際に1985年には大規模な食中毒も発生した。ここでは、不適切な低温保持殺菌と、生乳と低温保持殺菌乳を混合したことが原因である可能性が高いという。安全基準そのものは研究の進展によって変化しつつある部分もある。いずれにしても、生乳によるチーズ製造は禁止されるという動きは強かった。

この動きに対して、アメリカにおける職人的なチーズ製造者のみならず、ヨーロッパもまた危惧を抱いた。ただ、その際に国際食品規格が設定したコーデックスの文言から、低温保持殺菌と同レベルの公衆衛生保護を約束できる別の対策を組み合わせれば、アメリカ合衆国の必要条件を満たすことができるという等価性の原則を見出した。この等価性原則は、まずオーストラリアで適用された。ロックフォールチーズの場合にはいささか長い時間を要したが、これも結果として認められるに至った。

こういったチーズのみならず、多くの食品をめぐって生じているアメリカ合衆国とヨーロッパの差異は、技術を通じて安定的な大量生産を志向してきた前者と、伝統的な技法にもとづく生産に意義を見いだしてきた後者との差異であり、それにもとづく対立である。ただ、アメリカにおいても職人的なチーズ製造が復活しつつあること、さらにこれまでのアメリカ的な生産スタイル、消費スタイルに対する疑問視も増えつつある。そうなったとき、今まで最低コストで実施できていた生産を捨てて、高コストな生産に移行したとき、そのコストを誰が負担するのかと問題は残されるのである。

私 見。

最終章にきて、ルールメイキングの問題が採りあげられる。これは、きわめて重要な点である。ヨーロッパがルールメイキングにおいて、特に強みを持っていることはよく知られているところだろう。言うまでもないことだが、ヨーロッパが提示する方向性だけが善であるわけでも、正であるわけでもない。しかし、ヨーロッパがルールメイキングをしていこうとする際に、文化的側面や社会的側面、倫理的側面を、経済や技術といった側面とともに、きわめて重視していること、この点は仮にそれが建前であるとしても、ゆるがせにできないところだ。ヨーロッパの支配的論理だなどと吠えてみたところで、それこそ何とかの遠吠えであろう。

日本でも文化が大事だと宣う人は少なくない。しかし、そういった人たちの宣う“文化”の内実を聞くと、寒々しくなることも多い。まして、文化を「何かの役に立つ」という側面ばかりから捉えようとする言説などを耳に、また目にすると、発する言葉も失せてしまう。文化というのは、まさに土壌のようなもので、日常的な生活や関係性、技術、やり取り、そこから生み出されてくる経済的、倫理的、そして審美的といった価値観(values)として沈澱していく。

そうなると、さまざまな側面から、歴史的に醸成されてきた文化の、その醸成されてきたプロセスをていねいに解きほぐしていくという仕事が、まことに大事になる。同時に、それが技術や経済、さらにそれをルールメイキング(制度形成)にどうつながるのか、それを考えたうえで、どういう状態をめざしていきたいのか(これをソーシャルデザインといってもいいのかもしれない)を考え、実践していくこと、ここが鍵になってくるように思う。

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