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盆踊りとくじ引き(2023.08.14)

妻の地元で盆踊り大会があり、参加した。

コロナがあり、実に4年ぶりの盆踊り大会だった。普段はお年寄りばかりの町だが、日本中あちらこちらから帰省してきた人たちが参加してくれたおかげで、若い人たちもちらほらとあり、にわかに活気を帯びた盆踊り大会だった。

最初はおっかなびっくりだった長女(3歳)も次第に雰囲気に慣れて、終盤になると自分なりに楽しそうに踊っていた。うちわを両手に持って。

次男(2歳)は勝手が分からないのか、終始妻に抱っこされたままだった。そして私が抱っこしようとするとこれを全力で拒否した。そのせいで妻は疲弊し、逆に私は下手なりに自由に踊る事が出来た。

会場は廃校になった小学校のグラウンド。かつてこの町で暮らした人々と、今も居続ける人々。そして亡くなった人々が櫓を囲んで輪になって、束の間笑って踊っているみたいだった。

大会の最後にはくじ引きがあった。入場時に全員に配布されたうちわには全てに番号が振られており、これを用いてくじ引き抽選会があるのだ。

当選番号は全部で200番くらいまであり、当たりくじは全部合わせたら100本くらいはあった。

言っても我が家は家族が5人もいるので、当たる確率は高かった。当然何かしら当たるだろうと思っていた。しかし、待てど暮らせど当たらない。

実行委員のおじいちゃん(というか実行委員は全員おじいちゃんとおばあちゃんだ)が次々に番号を読み上げる。傍らにいる義妹家族は4人中3人が当たり、そのうちひとつは一等だったのにもかかわらず、我が家はひとつも当たらない。

しかし、うちわをもらっていたのにくじ引きを待たずに帰ってしまった人が何人かいて、くじ引きにアディショナルタイム的なくじが発生した。しかもラスト残された「特別賞」で。

私は「これはきた」と思った。まだ手元には当たりを引いていない5枚のうちわがある。ここは我が家が特別賞を引いて締めでしょう。何せなくじ引きの商品を買い揃えたのは義母だし、何と言っても妻の実家は今年初盆だったのだ。これで当たらないとしたら嘘である。

しかし、おそらく神は不在だった。我が家にはついに何一つ当たらなかった。商品のクレラップ(赤くて短い方)も、キュキュットすらも当たらなかった。目の前では一等商品である組み立て式踏み台(お年寄りにはありがたいやつだ)を誇らしげに抱える甥っ子がが我が世の春とばかりに喜んでいた。

つくづくくじ運がないなと思った。「そういうとこだよな」と妻と言った。実を言うと、これは予想された結果だった。我が家は、というか私は、死ぬほどくじ運がないのだ。

この前買ったホームランバー(10本入り)のセットは全部外れたし、近所のガソリンスタンドで給油した時に回るスロットも常に5等のトイレットペーパーしか当たらない。もちろん宝くじなんて当たるはずもないし、当たったものと言えばずいぶん前に行きつけのイタリアンレストランで行われたビンゴ大会での大人のおもちゃくらいだ(そしてそれは当たったせいであらぬ疑いをかけられた)。

私は妻や家族にくじ運の悪さをポジティブな方向に説明した。「いずれビッカビカの一等賞が当たるはずだ。そうに決まっている」と。

しかし帰りの車の中で妻は言った。「邪念があるからいかんのよ。神社やお寺にいつも金運アップをお祈りしてるようじゃダメなんよ」と。

くじ運の悪さ、引きの悪さにうんざりした我が家。妻の実家から別府までの長い道のり、妻と私はほぼ一言も口を聞かなかった。

別大国道から見た別府の灯りはいつになく寂しげに見えた。


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