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ウェルカム移住者!創業約100年、一ノ瀬瓦工業の成り立ちと求める人材。Uターンのきっかけとは!?

最近15キロ痩せてから絶賛リバウンド中で、かつ、老眼に気付いてハズキルーペを探してる山梨移住計画の宮沢(VEJ)です。ハズキルーペってお尻でバイーンってやって壊れないんですよね?すごいなぁ。買ったら誰かバイーンやってくれないかな。。。

さて、今回は、山梨の気になる移住者、Uターン者にインタビューする企画わたくし第1回目は、1915年創業、約100年以上”瓦”を取り扱うプロ集団「一ノ瀬瓦工業」の五代目一ノ瀬 靖博さんにお話を伺いに行ってきました。
靖博さん(通称ヤスさん)は、地元の山梨から上京して家業を継ぐためにUターンしました。
ヤスさんとは、焚火DXという味噌屋、庭師、瓦屋、醸造家、VJで結成された(謎)ユニットのメンバーとして、一緒に活動しています(遊んでるだけ。。)。

歴史ある瓦屋でありながら、icci KAWARA PRODUCTS、marimo café & dining、icci KAWARA COFFEE LABOなど他業種の事業を展開する「一ノ瀬瓦工業」に迫ります。

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『当時はお施主さんが業者を選定し、窯元を訪ね瓦屋根を依頼する形』

一ノ瀬瓦工業は山梨県笛吹市、土が良く取れるこの地で瓦屋をスタートしました。今年で創業105年、ヤスさんは5代目となります。
今で言えば、家を建てる場合は工務店などにまるっとお願いしますが、当時はお施主さんが業者を選定していたそうです。瓦屋根をお願いする場合は、窯元を訪ねる。そして、窯元が瓦を焼いて生産販売だけをするときもあれば、専属の葺き(ふき)師さんが屋根を葺き工事もする。そのようなスタイルだったとか。
今は、近所の人から修理や葺き替えの話がたまにあるけど、新築でお施主さんから直接屋根を依頼されることは100%無く、工務店から仕事が来るという流れだそうです。

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『給料ってどうやって払われているか?っていうのが家業だからこそわからなかった』

ヤスさんが東京から山梨へUターンで家業に入ったのは22歳の頃です。
その頃は今よりも会社の勢いもあり、大きな家も建てていましたが、バブルが弾けて徐々に景気が落ち込んでいったそうです。そして、家業あるあるなのかは分かりませんが、ヤスさんはこんなことを言っています。

「給料ってどうやって払われているか?っていうのが家業だからこそわからなかった。お小遣いと給料の線引きがわからず、なんとなくもらえてるなっていう感覚だった」

そしてついに、ヤスさんに給料が払えないレベルまで業績が落ち込みます。
当時、ヤスさんは給料が払われないことに「なんでだよ!」って怒り狂ったといいます。そりゃお金がないからに決まっているわけですが、そうして、会社がピンチに直面して、「これは仕事を取ってこないといけない」と実感したそうです。

先代は屋根に上がってなんぼの職人さん。”良い仕事をすれば仕事がくる”という方針とぶつかりながら、ヤスさんは、仕事を取ってくるべく、いわゆる”営業”が始まります。

当時どんな営業をしたかというと、まずは新聞の折り込み、そしてお金を借りて看板を作り。
そして、工務店へ土下座営業。しかしながら、厳しい縦社会でズブズブの関係がはびこる建築業界では、飛び込みだと門前払いだったのだとか。そんな時でもヤスさんはこう言ったそうです。

「うちはピンチをチャンスにことごとく変えてきた会社だ」

出ました!ヤスの名言!Mrポジティブは、果敢に営業を続けます。

その営業から数年後、今度は建築業界全体が徐々に景気が悪くなり、競争社会に巻き込まれていくことになります。そうすると、工務店と業者の今までの関係では成り立たなくなり、工務店も監督も融通の利く業者を探すことになったそうです。
そこで、ついに土下座営業の効果が発揮します。
ヤスさんは逆に声をかけてもらい、頑張って切り詰めて仕事を増やしていったのです。そうして再び家業が回り始めます。
その頃、ヤスさんは25歳。こんなことを言っていたそうです。

「アメリカに行って瓦屋根の仕事するような会社になる。ニッカポッカでニューヨーク歩くようになろうぜ!」

かっこよすぎでしょ。
夢は語らないより語るような社長の方が良いって思っていたそうです。
さすが。

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『なぜ、瓦屋さんがカフェを始めたのか?』

今回の取材で聞きたかったことの一つ、それは「なぜ、瓦屋さんがカフェを始めたのか?」ということ。
ヤスさんは、次のことから話し始めます。

「接待だの親分・子分みたいな付き合いで厳しい営業を続けてて、でもそれは嫌だった。傍らで、何か面白いことやってひと花咲かせたいと感じていた。そんなときに取引先が倒産して、100万以上の負債を抱えたんだよね。」

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「当時はかなりの損失だったからどうしようかと考えて。。それまでの自分で頭を下げて仕事を取る営業はやめたいなと、周りから「一之瀬さんにお願いしたい」と言われるような会社作りをしないとならないと思って、奥さんに「カフェやろう」と声をかけた。プロの料理人が見つかるまではオープンはしないと決めて準備だけを進めていたカフェだったが、ちょうどその取引先が倒産して途方に暮れてる数日後に、バンド友達だった現店長がFacebookに「今のお店(飲食)辞めます」っていう投稿していたのを見て、何度かスカウトして東京から移住してきてもらったんだよね。」

大きな損失を抱えながらの新事業はかなり勇気のいることだと誰しもが思いますが、それは社長であるヤスさんの「ピンチをチャンスに変える」精神がなせる業でしょう。

兎にも角にもそうしてmarimo café & diningが始まったそうです。

marimo café & dining 
https://www.instagram.com/marimo.cafe.dining/

『瓦屋さんだけやっていた時では出来ない宣伝がカフェがあることでできるようになった』

実際カフェが出来て8年が経過しました。どんな影響が現れましたか聞きました。

「8年経ってすごく変わった。ベースとして建築業界っていうコミュニティの狭いところから違うことをやることで外との繋がりができて広がるってことはわかってたのよ。それで、カフェが出来た時点で、より広がりが出て発信力もあがった。
瓦屋さんがやっているカフェっていうことでメディアでも取り上げてもらったり、雑誌に掲載して宣伝もしていった。瓦屋さんだけやっていた時では出来ない宣伝がカフェがあることでできるようになったから、認知度も上がったと思う。」

コミュニティの広がりが、自社の営業やPRの機会になっていったそうです。
しかしながら、それが実際、瓦屋としての仕事が増えていくことになったかというとそこはあまり大きな変化がなかったそうです。

『家建てる人も職人さんっていうのはクリエイターだと思うから、見積もり一つとっても一緒にみんなで話し合って一つの家をつくりあげていく』

そして、100周年を迎える一ノ瀬瓦工業は、ずっと温めていたプロダクト事業「icci KAWARA PRODUCTS」をクリエイターのハイロックさんと出会うことでスタートします。

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icci KAWARA PRODUCTS
https://icci-kawaraproducts.com/

また同じ頃、一ノ瀬瓦工業の伝統と対応能力の高さを買われて案件の繋がりから、ついにアメリカで仕事をするという夢が実現します。

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そうして、一ノ瀬瓦工業は認知度の広がりと共に、徐々に取引先から声がかかるようになり、今までの営業スタイルではなく、目標としていた”お客さんと50:50で仕事をする”ということを形にしていきます。

ヤスさんはこう言います。

「瓦屋さん自体がアートだと思っててそういう意味で趣味で絵も描いてきたしね。そういうアートっていうところで考えたときに、家建てる人も職人さんっていうのはクリエイターだと思うから、見積もり一つとっても一緒にみんなで話し合って一つの家をつくりあげていくっていうチーム作りをしていかないとって思った。」

そう、ヤスさんは絵がめちゃくちゃ上手いんです。

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▲東日本大震災 チャリティー絵画個展「~未来へ受け継ぐもの 記憶とともに~」

そもそも一ノ瀬瓦工業が、下請け業だけに収まらず、様々プロジェクトを展開するのは、PRや瓦を広めるという目的があれど、彼自身が経営者でありながら、アーティストでもあるからだと俺は思います。

そして2019年、瓦をもっと身近に感じてもらうためのプロジェクトとして、「icci KAWARA COFFEE LABO」というコーヒースタンドをオープンさせます。

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icci KAWARA COFFEE LABO
https://www.instagram.com/icci.kawara.coffee.labo/?hl=ja

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一ノ瀬瓦工業が求める人材についてのインタビュー

さて、ここまで一ノ瀬瓦工業の快進撃をお伝えしましたが、ここからは、一ノ瀬瓦工業が求める人材についてのお話。現在、一ノ瀬瓦工業は瓦職人さんを募集しているということで採用についてヤスさんにインタビューさせて頂きました。

宮沢:どんな人に来てもらいたいです?

一ノ瀬さん:日本の文化が好きで、海外に発信したりとかそういう視点を持ってる人には来てもらいたいし、趣味然り、自分のスタイルがあったり、クリエイティブな感覚がある人に来てもらいたいっていうのはあるかな。

宮沢:欲張りますねw 一ノ瀬瓦工業で職人さんをやる魅力ってなんだと思います?

一ノ瀬さん:うちの会社に所属する一番の強みは面白いプロジェクトに携われるっていうことで。
海外のプロジェクトとか、今県外のプロジェクトとかも色々控えてるんだけど、何か発信したりそういう仕事が舞い込むような組織にいないとそれは、ちょっと技術を得たからって個人でやってても難しいと思う。
これは俺が思う魅力なんだけど、瓦がある屋根の上って、誰にも侵されない聖地なんだよね。その上で全部自分たちだけで表現が完結できる仕事って実は建築の中でも少ないんだよ。

宮沢:なるほどなるほど。そもそも瓦職人ってどうやってなるんですか??専門学校とか大学とかあります?

一ノ瀬さん:ないない。昔は、若い時の流れでやっている人の紹介で職人になるみたいな。。。ほら、フラフラしてる人っているじゃん、、

宮沢:フラフラしている人。。。瓦職人って難しい仕事ですか?単純に未経験の人がやるとして。

一ノ瀬さん:うん。難しいと思う。やっぱり3年くらいはやらないと右左はわからないと思う。

宮沢:そういう意味では出来るようになるまでは、ちゃんと面倒見てくれる感じです??それとも、俺の背中を見て覚えろスタイルですか?

一ノ瀬さん:しっかり手取り足取り教えますよ。昔みたいに黙ってても門下生が入ってきて、より分けして、お前ダメだから出てけとかそんな時代じゃないから、入ってきた子をしっかり育てるっていう感覚でやらないと率が悪い。

宮沢:それはいいですね。俺は会社だとかなり放置プレイですからw 参考書とかをスッと渡しちゃうだけみたいな。

一ノ瀬さん:ウチは瓦に関しては、俺がベースはちゃんと教えないといけないって思ってる。

宮沢:面白い人入ってきたら良いですね。別に山梨の人じゃなくても良いんですよね?

一ノ瀬さん:どちらかというと県外から来てくれた方がいいかなー。
別に、UターンでもIターンでも良いんだけど、外知ってる人っていうか、外から山梨見たみたいな感じの方がしっくり来るんじゃないかな。

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宮沢:ちょっと話変わりますが、ヤスさんは、なんでUターンしたんですか??

一ノ瀬さん:やっぱり頭の中に常に継がなきゃいけない的な感じが。音楽の専門学校に行ってて、卒業後もバンド活動を向こうでやってて、単純に言ったら才能ないな。って思ったから帰って来ただけなんだけど、俺の場合家業でそこが自分のアイデンティティが育まれた場所だから自分を表現しやすかった。

宮沢:例えば、今回の求人がきっかけで地元にUターンで帰る人っているかもしれないじゃないですか。東京じゃなくて地元に帰るなにかメリットみたいなことってあります?

一ノ瀬さん:東京に限らずこれは社会のルールだと思うんだけど、「何者」かにならないと優しくされないってことを東京にいる当時、仲間と話してたの。だから、どう「何者」かになるのかが大事だと思った。特に東京は何者かには優しいけど、何者でもない奴には冷たい所だから、まだ名前を覚えてもらってないのっぺらぼうみたいな個体を俺たちは覚えてもらうためにどうやって『個』にして行くかみたいなところでもがいていたんだよね。

宮沢なるほど。

一ノ瀬さん:その『個』が山梨だと表現しやすいっていうことがあるかな。「こういうことやってます。」って言えば、「あ、そういうことやってるんだね」ってなりやすいと思うんだよ。だから、地方でアイデンティティを表現して自分の『個』を売っていくってことができるのが田舎の良さかなと。I・Uターンのメリットはそこだと思う。

宮沢:確かにそうかも知れない。田舎だと目立つし、顔を覚えてもらいやすいってことですよね。
でもさ、見てくれるが故に中途半端なこともできないってプレッシャーもあるけど。。。

一ノ瀬さん:それもあるよね。w
地方の方が物差しの精度は良くてハッキリしてるじゃん。例えば、五味ちゃんがミッチェ(宮沢)と仲良くて、そこに俺がこんちわーって行った時にさ、五味ちゃんがミッチェのことを俺に紹介してくれるかどうかって、これも物差しじゃん。何でもなければ挨拶で終わったりするけど、そこで紹介するね。ってなるのが物差しじゃん。このフィールドに立つかどうかっていうのが結構ハッキリした物差しだったりするから。

宮沢:それ、もしかして今すごい怖い話しました??w でも、分かるなぁ。

一ノ瀬さん:顔がハッキリ見えちゃってる分、その物差しもハッキリしちゃってて、自分の今やってることが外に対して、受け入れられてるかどうかの判断基準になるから田舎は分かり易い。田舎の方が色々濃いよ。
意外と移住するって言って、疲れちゃったからもう田舎でのんびりしたい。みたいな人って少ないと思うんだよね。

宮沢:のんびりできないっすもんね。

一ノ瀬さん:ここまでの人生で培ったものをもう一回整理して~みたいな人が移住してくる気がする。
だから、もうひと花咲かせたいじゃないけど、そういう人が欲しいよね。

宮沢:リタイヤしにくるんじゃなくて、もう一個別の角度で攻めてくる人の方が面白く活躍できるってことですかね。

一ノ瀬さん:まあリタイアで来る人はのんびりしてくれれば良いんだけど、さっき言ったみたいにもうちょっとね、ちゃんと見られるフィールドでもう一勝負みたいな所じゃないのかな。山梨って。

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宮沢:そしたらヤスさん、またバンドやるのどうです?これから。ハイライフ八ヶ岳(清里の音楽フェス)出ましょうよ。

一ノ瀬さん:ムリムリムリムリwww 何言ってんのw 俺たちなんてモンパチのコピーだから!

宮沢:うぉ!いいじゃないですか!東京で叶わなかった夢を今度山梨で叶えれば!

一ノ瀬さん:モンパチのコピーで出ちまうか。

一ノ瀬さんの奥さん:いいんじゃない?オヤジバンド。

宮沢:よし!出ましょう!そしたら、求人にバンドマンが来ちゃったりして。

一ノ瀬さん:あ、いいねバンドマン。

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以上です。

そう、”瓦”に限らず様々なプロジェクトをクリエイティブする集団「一ノ瀬瓦工業」が新しい人材を探しています。
我こそは!!という方は、下記まで連絡してみてください。

一ノ瀬瓦工業
〒406-0021 山梨県笛吹市石和町松本829-4
電話番号:055-262-2771

ちなみに俺は冒頭の通り、ハズキルーペを探しています。
瓦を世界へ広める、そんな大きな夢を見させてくれる一ノ瀬瓦工業のようなハズキルーペに出会いたいです。
もし良いハズキルーペに出会えたら、ヤスさんに瓦でバイーンやってもらおうと思います。


取材:宮沢喬  撮影:鈴木啓太

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一ノ瀬 靖博 YASUHIRO ICHINOSE
icci 代表 / kawara クリエイター

1976年山梨生まれ。22歳で1916年から続く一ノ瀬瓦工業に入社。瓦葺士として技術を磨きながら、瓦の新しい可能性を模索するために2007年にはイタリア、翌年にはオーストラリアに短期留学し、異文化を吸収する。2015年にはアメリカのイェール大学主導の日本建築プロジェクト”Japanese Tea Gate Project”に瓦葺士として参加。2017年にはカリフォルニアでの”天平山Project”にも参加する。瓦の新しい可能性をカタチにするべく「屋根の上からテノヒラの上に」をコンセプトとした瓦の新ブランド「icci KAWARA PRODUCTS」を「A BATHING APE」のグラフィックデザインでも知られるハイロック氏をアートディレクターとして迎え、2016年に第一弾始動。日本の伝統である瓦と、その瓦の常識を覆すクリエイションの両面を国内外へ向けて発信している

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