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いかなごの「くぎ煮」資料室

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神戸名産いかなごの「くぎ煮」の歴史、発祥、その他の資料をまとめています。
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#ビジネス

いかなごの「くぎ煮」その1〜そもそも「イカナゴ」とは〜

先日のnoteで書いた「伍魚福の社員像」の中で「くぎ煮の育成強化」という文言が出てきます。 …

「くぎ煮」の名前の由来と発祥の地(魚谷常吉著「滋味風土記」からの考察)〜いかなご…

昭和10年(1935年)発行の「滋味風土記」(じみふどき)という書籍に「くぎ煮」のルーツらしき…

伍魚福と「くぎ煮」の出会い・会長・山中勉の回想〜いかなごの「くぎ煮」その4〜

伍魚福が「くぎ煮」を初めて作ったわけではありません。 それでも「くぎ煮」が看板商品になっ…

初期の「くぎ煮」育成の取り組み・会長・山中勉の回想〜いかなごの「くぎ煮」その5〜

1971年(昭和46年)に神戸土産として商品化し、国鉄の三ノ宮駅で販売を始めましたが、駅を利用…

「くぎ煮」は伍魚福の登録商標〜いかなごの「くぎ煮」その6〜

昨日の名誉会長の回想の最後に「くぎ煮」の商標についての記述がありました。 「くぎ煮」とい…

いかなごのくぎ煮振興協会と「くぎ煮」の定義〜いかなごの「くぎ煮」その7〜

地域の食文化いかなごの「くぎ煮」。 その商標をお預かりしている以上、「くぎ煮」の商標の利…

「くぎ煮」のパッケージ化と全国での販売(1985年の包装工場)〜いかなごの「くぎ煮」その8〜

1971年(昭和46年)から伍魚福は「くぎ煮」をパッケージ化し、国鉄の駅売店や空港で販売しました。 その後、中元や歳暮向けのギフトセットも作成、全国の酒類・食品問屋さんを通じて、酒販店や百貨店に向けて販売しました。 私が入社した1995年(平成7年)、当時の大倉常務と同行し、東京に本社のある全国規模の酒問屋さん(日本酒類販売さん)を訪問した際、担当の営業部長に「昔、伍魚福さんのくぎ煮ギフトを酒屋さんにたくさん売ったよ」と言われたことが印象に残っています。 そんな歴史・つなが

JR新神戸駅での「くぎ煮フェア」〜いかなごの「くぎ煮」その9〜

私が入社した、翌年、1996年(平成8年)のくぎ煮シーズン。 神戸の表玄関、JR新神戸駅で「くぎ…

いかなごのくぎ煮コンテスト〜いかなごの「くぎ煮」その10〜

1995年(平成7年)の阪神淡路大震災からの復興のため、神戸市長田区のJR新長田駅南地区のまち…

いかなごのくぎ煮文学賞〜いかなごの「くぎ煮」その11〜

2012年(平成24年)2月。 神戸ながたTMOさんとの打ち合わせを行った結果、その年の「いかなご…

くぎ煮文学賞特別審査委員長三田完先生とのご縁〜いかなごの「くぎ煮」その12〜

いかなごのくぎ煮文学賞はその後2020年(令和2年)で第9回となりました。 年々応募作品数も増…

いかなごのくぎ煮文学賞・作品の数々〜いかなごの「くぎ煮」その13〜

2012年(平成24年)にスタートした「いかなごのくぎ煮文学賞」ですが、本年2020年、第9回を迎…

「いかなごのうた」くぎ煮文学賞の作品から〜いかなごの「くぎ煮」その14〜

最近、いかなごのくぎ煮文学賞に関連して、またひとつうれしいことがありました。 それがこち…

「いかなごのくぎ煮発祥の地」石碑建立・いかなご漁と駒林神社〜いかなごの「くぎ煮」その15〜

2013年(平成25年)8月、神戸商工会議所西神戸支部で開催される「長田活性化研究会」の暑気払いがありました。 そこでご一緒した地元駒林神社(こまがばやしじんじゃ)の禰宜(当時、現在は宮司)の中山直紀さんと二人で二次会に。 そこでかなりお酒を飲んで楽しい時間を過ごしました。 翌日、中山さんから電話がありました。 「昨日の石碑の件で、宮司(当時・中山さんのお父上)が話したいと言ってるので、神社まで来てくれませんか」 とのことでした。 そんな話をしたような、していないような(