見出し画像

伍魚福と「くぎ煮」の出会い・会長・山中勉の回想〜いかなごの「くぎ煮」その4〜

伍魚福が「くぎ煮」を初めて作ったわけではありません。
それでも「くぎ煮」が看板商品になったのは、初めて神戸の「お土産」としてパッケージ化して販売、売れる商品として育成したのが伍魚福だ、という自負があるからです。
1971年(昭和46年)、漁師の家庭料理として存在し、魚屋さんで量り売りの惣菜として売られていた「くぎ煮」当時の国鉄三ノ宮駅のキヨスクで販売し始めたのがきっかけです。
名誉会長の回想を文字起こししたものの中から「くぎ煮」の部分を紹介します。

「いかなごのくぎ煮」はこうして生まれた

昭和四十五年、鉄道弘済会(いまのキヨスク)との取引きが始まった。いわば、駅のおみやげショップである。
この鉄道弘済会とは、かねてから取引きがしたいと考えていた。
というのも、当時、名の知れた店は鉄道弘済会で商品を売っていたのである。
つまり、鉄道弘済会の店舗で販売されているということは、その商品が〝銘品〟であることの証しだったのである。一流ブランドであった。そんなイメージがあった。
それに場所が駅である。多くの人の目にとまり、宣伝効果も申し分ない。「伍魚福」の名前を直接アピールするには格好の場所だった。
なんとか、その仲間入りを果たしたかった。
そこで何を売り込むかを考え、「サザエの粕漬け」を作った。
日本一の酒どころである灘から酒の粕を仕入れ、香港のバイ貝を漬けこんだもので、これを丸い小さな桶に入れて、「酒蔵(さかぐら)」というブランドをつけた。
これを持ち込んで、取引きが始まったのである。
最初はいまひとつだったが、次第に売れるようになっていった。

そんなある日のこと。
「伍魚福さん。神戸の名産品といったら、お菓子ばっかりや。神戸といったら海がある。なにか海産物で、おみやげになるようなものを作ってくれませんか」
鉄道弘済会の方からこんな注文を受けた。
たしかに、神戸といえばお菓子である。
これはごもっとも、と思ったが、さて何があるかといえば、すぐに思い浮かばない。
そこで中央卸売市場に出かけた。海産物といえば、やはりここである。
(なんか、ええもん、ないかな・・・)
キョロキョロしながら歩いていると、ふと、あるものが目にとまった。
箱に無造作に入れてあるそれは、小魚のようだが、それにしては色が黒い。見慣れない代物である。
しばらくたたずみ、しゃがみこんで、しげしげと見つめた。
「これ、なんや?」
市場の人に声をかけると、
「いかなごのくぎにや」
と、頭上から声が落ちてきた。
「いかなごのくぎに?」
初めて聞く名前だった。
これがその後の伍魚福の看板商品となる「いかなごのくぎ煮」との出会いだった。

毎年早春に播磨灘から大阪湾にかけての海域で、いかなごの新子(シンコ、稚魚のこと)漁が解禁される。この新子を砂糖や醤油、みりん、生姜などで炊いたもので、できあがった形が釘に似ていることから、この名前がついた。

その起源ははっきりしないが、昭和十年に発刊された『滋味風土記』という、いわば当時のグルメ本のようなものに、「釘煎(くぎいり)」として紹介されている。

「【玉筋魚(いかなご)釘煎】(中略)然し初夏の候、玉筋魚が大きくなってから釘煎りにしたものは、玉筋魚料理の中で最も美味のものである。酒によし、飯によく、其の上保存が利くといふのが嬉しい。(中略)製法は至って簡単で、玉筋魚一升に対し生醤油五合砂糖五十匁で煮詰めればよい。要は玉筋魚の生きたのを選ぶだけである。従ってこの死に易い魚を材料とするのであるから、漁場でなければ出来ない料理で、若し入用ならば、兵庫の駒ケ林の漁業組合か、明石の垂水魚市場へ頼めば送ってくれる筈である。決して商人に頼まず、漁夫の手製のものを求めるやうにせねば、肉の引き締まった、底味のある本当の釘煎は得られない」

くぎ煮の説明から料理のしかた、さらに入手方法にいたるまで、なんとも懇切丁寧な説明に恐れ入るが、この記述から想像するに、そのころには、このあたりでは広く出回っていたと考えられる。
この「釘煎」が、いつしか「釘煮」に転化したのではないかと思われる。
この地域の人たちにとっては、べつに目新しいものではないのだが、私は京都生まれでもあり、それを知らなかった。
ちょっと食べさせてもらったら、なかなかうまいではないか。
「これや!。これ、ええわ。これ売ろう!」
ひらめいた気がした。
会社に戻って、勢い込んで言ったところ、ある社員が、
「社長、そんなもん、売れまへんで」
と、半ばあきれた顔で言う。
たしかに、このあたりでは珍しくもなんともないかもしれない。
しかし、神戸のおみやげとして駅で売るなら、いけるのではないかと思った。
これはカンである。
考えてみたら、神戸の銘品にしろ、大阪の銘品にしろ、アメリカ産の小麦とか、他地域の原料を使っているものが多い。
その点、この「いかなごのくぎ煮」は、正真正銘〝神戸の名産品〟ではないか。
それからである。
くぎ煮を炊いている淡路島の業者を訪ねたりして準備を進めた。
このあたりでは普通に食べられているが、この「いかなごのくぎ煮」を商品に仕上げ、広く販売したのは、おそらくうちが最初だと思う。昭和四十六年のことである。
こうして鉄道弘済会に卸し始めた。
もちろん、「神戸銘品」がうたい文句である。
ところが。
これが思ったように売れない。
自信をもってやったのに、完全にアテがはずれてしまった。
というのも、悲しいかな、「いかなごのくぎ煮」の知名度がないのである。
これでは誰も買わない。
(このままでは鉄道弘済会からノーと言われるかもしれん・・・)
不安になった私は、いろいろ対策をとった。
単品で売ろうと思うから無理なんだ、と、小鯛とセットにして箱に詰めてみたり、いろいろなものと組み合わせてパック商品を作ったりした。
思い切って、ラジオ宣伝もやった。
それでも、なかなか効果が出なかった。
「社長、売り上げよりも宣伝費のほうが多いですやん」
そう社員から文句を言われる始末だった。
それでも思うように売れない。
こんな状態が二、三年続いたと思う。

(明日のnoteにつづく)

最後までお読みいただきありがとうございました! 伍魚福の商品を見つけたら、是非手にとってみて下さい。社長のいうとおりになってないやないかーとか、使いづらいわー、とか率直なコメントをいただけるとうれしいです。 https://twitter.com/yamanaka_kan