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9月28日 月曜日

チケット屋さんでレターパックを買う。15円くらい安くなるだけだが、チリも積もればなんとやら。

ピューロランドの入場券が980円で売られていた。行く予定なんてないのに欲しくなる。破格。

チケット屋さんの「ドキュメント72時間」を観たい。売る事情、買う事情、どっちもおもしろそう。

夫が愛用していた焼き鳥屋さんが閉店してしまうということで、営業開始時間の直後に訪問(夫はコロナ怖い怖いマンである)。とてもおいしかった。

焼き鳥に加え、アボカドとチキンのサラダがたいそう美味だった。

アボカドは熟れ加減の管理、デカイ種、ヌルヌル感の克服など、難所ばかりの食材だ。切るだけで精いっぱい。

アボカドなんて外食で楽しむに限る。

9月29日 火曜日

ポッドキャストを録りたかったのだがカラオケに行きたい気分ではなく、閑散とした早朝ジョナサンを利用。

夫の昼ごはん準備のため帰宅し、午後はブログ記事を書く。「理想と現実のギャップ」のことをたくさん考えた。

昨日からまたメンタルの調子が下がりつつある気配を感じていたが、記事を書きながらセルフカウンセリングができた気がする。欲を言えば多くの方に読んでいただけるとうれしいです。

30~40分くらいすると集中力が切れがち。休憩代わりに細切れでドキュメンタリー映画『なぜ君は総理大臣になれないのか』を観る。なかなか映画館に行けないいま、オンライン上映は本当にありがたい(10月2日まで。上映自体は継続中)。

政治はゴシップ以外に興味がなく、国会でいま何が話し合われているのかも把握できていないくらいだが、小川淳也氏というひとりのプレーヤーに密着することで、これまで考えたことのなかった切り口で政治のことを考えた。

党に所属するということ。政治家という仕事のこと。選挙活動というキャンペーンのこと。観てよかった。

ついでに小池百合子という生き物のことも考えた。10分だけ彼女になってみたい。あの眼から世界は、人は、どう見えているのだろう。

やっぱり、『女帝』読もう。

9月30日 水曜日

着付け教室に行く。まだ下手だけど、ひととおり着られるようになってきた。磯野フネさんばりに和服をカジュアルに着こなせるようになりたい。

もんのすごく誤解たっぷりの表現になってしまうけれど、私にとっては着物って不慣れすぎて、コスプレに近い。だから楽しいのだと思う。

実はむかし、オタク友だちが多かったこともあってコスプレには憧れていた。好きなビジュアル系バンドの格好もしてみたかった。でもいかんせん、私はガタイがよかったのだ。「痩せたらやってみよう」と思いつつ、華奢人間になる日はついにやってこなかった。

着物はその点、デブにやさしい。足太女にやさしい。胸無女にきわめてやさしい。

むかし叶わなかった夢をいま取り返そうとしているのかもしれない。

10月1日 木曜日

昼の部の閉店間際に行ったので、片付け中のマスターが「仕事の調子はどう?」と声をかけてくれた。

ただでさえ熱がこもりやすい調理場で、マスクをしながら立ち続けるマスターに、「仕事もせず主婦としてノラリクラリやってます」とは言えなかった。

今日わたしが銀座に行った理由なんて、ペチャパイ用下着の新調(なかなか売っていないんだ!)と美容院だし。

「まあ、ぼちぼちです」

そんな情けない私に「来てくれてありがとう」とやさしい声をかけてくれるマスター。

「夜のお仕事」の人口が減っているために、夜の部のお客さんが減っているとのこと。銀座でこんなに安くておいしいとんかつを食べられるのは不二さんだけなので、よかったら足を運んでみてください。

10月2日 金曜日

カウンセリングの日。

最近のお悩みテーマである「理想と現実のギャップ」を切り口に、自分の状況を整理していった。ものすごく考えた。

私の「理想」には2つのタイプがある。

ひとつは純粋な「こんなふうになりたいなあ」というもの。

もうひとつは「こうあるべき、こうせねばならない」というもの。

後者の力はかなり強大で、ピュアな「こんなふうになりたいなあ」にも顔を出してくる。「そんなふうになりたいなら、こういうことをせねばならない!」という具合。

「ああ、また”べき思考”に陥っているな」なんて考える暇もなく、「理想」を掲げたら最後、瞬時に「こうあるべき!」と言いながら鞭を振り回してくる。逃れられない。私は「妖怪べきねば」の奴隷なのだ。

なんでそうなってしまうのか、ということを考えていく。

猛烈な自己肯定感の低さ。「背伸びをしなければこちらを振り向いてもらえない」という感覚。

これは育ってきた家庭環境が多少なりとも影響しているのではないか、という話になった。

私には弟がいるが、「母は弟のことが大好きである」と思っている。

母は私のことも大事にしてくれている。無理やりそう思い込もうとせずとも、誰の目にも明らかにわかるくらい、兄弟2人ともを大事にしてくれている。

けれど物心ついたころから(弟とは4つ離れているので、もしかしたら弟が家にやってきたときからずっと)、「母にとって、弟のほうがチャーミングで心くすぐる存在である」と思ってきた。

私は毎年欠かさず弟に誕生日プレゼントをわたしているが、弟を喜ばせるためではなく、母を喜ばせたいがために贈っているところがある。

私は母の考え方やセンスが好きだから、ぞんぶんに彼女のものさしを取り入れている。

でもそれは単純に「好きだから」ではなく、「こっちのことも気にかけてほしいから」だったのかもしれない。「共感できる存在(=背伸び)」になることで、弟に匹敵する存在になりたかったのかもしれない。

母がどうこうということではなく、私は勝手に弟と自分を比較して、自分を劣った存在だと捉えつづけた結果、自己肯定感がなくなってしまったようだ。

褒められても素直に受け取れず「どうせおべっかだ」「真に受けたらどこかで笑われる」なんて捉えてしまうのも、この流れだとうなずける。

夜はオンライン飲み会に参加する。

初めてお会いする人も多く、私のことを紹介してくださるかたがいらっしゃり、ありがたい。

その一方で「おもしろい電子書籍を書いている」「ブログやポッドキャストでたくさん情報発信している」などと、私の活動についてポジティブな色合いを交えながら紹介されることに、どこか居心地の悪さを感じた。端的に言えば不快であった。なぜなんだろう。下記のツイートにも関連することだろう。

だんだんムシャクシャした気持ちがつのってきて、乱暴なことも言ってしまった。

苦手だったオンライン飲み会にだんだん参加できるようになってきたのに、またちょっと、距離ができてしまった気がする。

せっかくなら、嫌われたくない。楽しい時間を過ごしたい。なのに自ら、場を壊すようなふるまいをしてしまう。

10月3日 土曜日

ひょんなことがきっかけで、夫と喧嘩する。

我が家は狭い(おそらくひとり暮らし用の広めの部屋)ので、自室というものがない。同じ空間にいたくないときは家を飛び出ていくしかない。

喫茶店に行き、ノートにガリガリと書き込みながら、先日のカウンセリングの話をまとめなおしていた。少し頭がスッキリする。

仲直り代わりに外食に付き合ってもらう。自分で作らなくていい夕飯とは、なんとよいものなのだろう。

しかし帰宅してからどんどんムシャクシャした気持ちが高まっていき、ストックしていたふかし芋を一気食いし、ハイボールをがぶがぶ飲んでしまった。おいしいかどうかはどうでもよく、考えたくなくて飲み食いする。胃が苦しくなる感覚がちょうどいい。まったく快適ではないのに、そうならないと安心しない。

自分が経済的に自立できていないのがいけないのだ、と思った。情けなくてたまらない。働こうとすると義務感につぶされそうになる。どうしてこんなにダメ人間になってしまったんだろう。

横になって泣いていたらいつの間にか寝てしまっていた。歯を磨いて眠り直す。胃が気持ち悪い。これでいい。

気づけばちょうど生理2週間前だった。

10月4日 日曜日

前日のことを夫に詫びる。

泣いたせいで目が開かない。気持ちが悪くて何も食べられない。

オンラインで話し合うイベントに参加するも、だんだんまたムシャクシャした気持ちになってきて、どんどん卑屈なことや乱暴なことを言ってしまう。そんな自分が嫌なのに、止まらない。

イベント後、今週分の料理を作りおきするために買い出しへ。それがまたむかついた。私は稼げないから、料理なんて大嫌いなことをしなければならないのだ。買い出しにも行かなければならないのだ。クソ!

乱暴にドアをしめてスーパーに行って帰ってくると、夫は外出していた。私と同じ空間にいたくなかったんだろう。あたりまえだ。

彼はコロナに恐怖感を抱いている。衛生面にとても気を遣っている。だから自ら出かけるなんて、私がよほど嫌だったのだ。そりゃそうだろうと思うとともに、昨日の今日で、本当に申し訳なく思う。

1週間くらい、ひとり旅に出たい。しかしその金はどうやって捻出すれば? また、稼げない自分への自己嫌悪が始まる。

しかし本当に旅に出たいなら、つべこべ言っていないで、金を稼ぐ行動をとるだろう。結局わたしはいつだって、本気というものがないのだ。そして自分を傷つけることで悦に入っているのだと思う。キモっ

シン・ゴジラで、ゴジラの体から四方八方に向かって紫色の光が発せられ、東京が壊滅させられるシーンがある。「むしゃくしゃした気持ち」におそわれ、「乱暴な言動をとってしまう」自分は、このシーンを他人事と思えないのだ。

きっと私の人間関係は、ゴジラに襲われた東京のように、燃えてボロボロになっていく。街は再生させられるかもしれないが、そこで暮らしていた人たちの命は、もう戻ってこない。

心療内科で「生理2週間前になったら飲む」と渡された薬があったのを思い出す。昨日から飲むべきだったのだ。今日から飲もう。

薬がすべてを解決するなんて思ったら大間違いだ。自分を本気で変えたいのかが、いま、自分に問われている。やっぱり、本気がためされている。

また暴れてしまいそうで、そうしたらきっとみんなに見限られてしまうと思うと、人に会うのが怖くなる。

今週は、じっとひとりで過ごしたほうがいいのかもしれない。SNSも、危険かも。

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