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荒れ野にて~聖書をめぐる旅 11/14

11/14(日)
 列王記下10章、イエフによりアハブの子孫、バアルの祭司たちが次々と殺されていきます。人の命がないがしろにされているようにも、見える箇所ですが、神様は何を望んでおられたのでしょうか?
 詩編63篇、荒れ野に導かれたダビデが見たものは何だったでしょうか?
 
列王記下10章


9翌朝、彼はそこに出て行って立ち、すべての民に言った。「あなたたちに罪はない。わたしは主君に対して謀反を起こし、彼を殺した。だが、この者たちすべてを打ち殺したのは誰か。 10ただ、このことだけは知っておくがいい。主がアハブの家に対してお告げになった主の言葉は一つも地に落ちることがない。主はその僕エリヤによってお告げになったことを実現された。」

→イエフは神様に油注がれ、聖絶を行ったと言えます。バアルに仕えた王
アハブの子孫70人の首を取り、それらを2つの山に積み上げて、人さらしにした時に語ったのが上の言葉です。
 自分は人間の王に対しては謀反人であるが、このことは神様がエリヤによって告げられたことであると。
イエフは、この後も作戦を練って、バアルの祭司を残らず倒してしまいます。
人間的にみると、人の命が大切にされていないように思える箇所でもあります。しかし、神様の視点から見ると、真の神を離れ人間をどんどん偶像に導く歩み(結果人間を地獄に追いやる)や、神の御心を行う人間を陥れるような人をそのままにしておくことはできないと判断されたのだと思います。
 世の終わりの大患難時代の7年間、人口の4分の1が失われる描写があります。しかし、大患難時代に入って救いに入る人たちはごくわずかです。昨日ではなく、今、そして今日、救いに預かるよう神様は緊急のメッセージを送られています。罪から救われて、神の元に立ち返りなさいと。
 


30主はイエフに言われた。「あなたはわたしの目にかなう正しいことをよく成し遂げ、わたしの心にあった事をことごとくアハブの家に対して行った。それゆえあなたの子孫は四代にわたってイスラエルの王座につく。」

詩編63編

ダビデがユダの荒れ野にいたとき。
3今、わたしは聖所であなたを仰ぎ望み
あなたの力と栄えを見ています。
4あなたの慈しみは命にもまさる恵み。
わたしの唇はあなたをほめたたえます。
5命のある限り、あなたをたたえ
手を高く上げ、御名によって祈ります。
6わたしの魂は満ち足りました
乳と髄のもてなしを受けたように。
わたしの唇は喜びの歌をうたい
わたしの口は賛美の声をあげます。

→ダビデが荒れ野に居たとき、何を見たのでしょうか?
草も、水も、建物も生き物もいない地が荒れ野です。
そこは祝福も命もまったく見当たらない不毛の地です。
神様は、私たちをときどき、この荒れ野に導かれることがあります。
この世の栄華や、賑わい、チャンスのないところに追いやられた経験はあるでしょうか?
私はあります。
そこは、人生がこのままどこまでも転がり落ち続けるのではないかと、
とんでもない不安に襲われるところです。
しかし、ダビデはこの荒れ野で「聖所の神様を仰ぎ見ます」
この聖書箇所、荒れ野でダビデは神様を手をあげ、心の限り
賛美しています。
人生において、この世のものは過ぎ去るものです。しかし、
真の神様は永遠の方であり、この永遠の方が私たちを心から愛してくださっている方です。
荒れ野は、人間の目を開き、霊の世界即ち神様を見上げる場所なのかもしれません。今日、神様によって目が開かれ、今日神様の声に耳を傾けられますように。
神様は、神のひとり子イエスキリストを十字架につけるほどに、あなたを愛しています。

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