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涸れ谷に水が溢れ:聖書をめぐる旅 11/7

11/7(日) 
3人の王が困り果てたときに、エリシャが提案したことは、人間的には意外なことだったかもしれません。
詩編は、神様が私たちの「味方」であることを語っています。

列王記下3章 

11ヨシャファトが、「ここには我々が主の御旨を尋ねることのできる主の預言者はいないのですか」と尋ねると、イスラエルの王の家臣の一人が、「ここには、エリヤの手に水を注いでいた、シャファトの子エリシャがいます」と答えた。

→列王記は王が次々と(列のように)出てくるので、列王記というのですね。ここでは、モアブの王に敵対するためにイスラエルの王とユダの王、そしてエドムの王の3人が出発しますが、部隊の家畜のための水が底をつきます。その時、神様の御旨を聞くことのできる預言者をもとめ、エリヤの弟子エリシャの名前が出てきます。

14エリシャは言った。「わたしの仕えている万軍の主は生きておられる。わたしは、ユダの王ヨシャファトに敬意を抱いていなければ、あなたには目もくれず、まして会いもしなかった。 15今、楽を奏する者を連れて来なさい。」

→エリシャの指示は「楽を奏する者を連れてきなさい」でした。
サウル王が悪霊に悩まされたときに、用いられたのもダビデのハープでしたし、牢屋に入れられたパウロとシラスが賛美した時に大地震が起こったことなど、神様にとっての音楽、賛美というものは重要な武器のように思います。

楽を奏する者が演奏をすると、主の御手がエリシャに臨み、 16彼は言った。「主はこう言われる。『この涸れ谷に次々と堀を造りなさい。』 17主がこう言われるからである。『風もなく、雨もないのに、この涸れ谷に水が溢れ、あなたたちは家畜や荷役の動物と共にそれを飲む。』

→砂漠に大河を流される主の働きの前に、楽を奏するという霊的な呼び水が大切だと思わされました。さあ、霊的な呼び水を必要とされている方は、ぜひ次のHPの賛美をお聞きください。


参考資料:札幌グッドアワー教会HP「私たちの礼拝賛美の録音」


詩編56編

3陥れようとする者が
絶えることなくわたしを踏みにじります。
高くいます方よ
多くの者がわたしに戦いを挑みます。
4恐れをいだくとき
わたしはあなたに依り頼みます。
5神の御言葉を賛美します。
神に依り頼めば恐れはありません。
肉にすぎない者が
わたしに何をなしえましょう。
10神を呼べば、敵は必ず退き
神はわたしの味方だとわたしは悟るでしょう。
11神の御言葉を賛美します。
主の御言葉を賛美します。
12神に依り頼めば恐れはありません。
人間がわたしに何をなしえましょう。

→ダビデがガトでペリシテ人にとらえられた時の詩です。
ふしぎなシンクロで列王記下の楽を奏することと、神の御言葉を賛美する
ということが重なっているようです。
 ところで、私たちを困らせる人物、境遇、状況の背後には敵である悪魔の存在があります。私たちの力には限界がありますが。
「神はわたしの味方」
という素晴らしい信仰告白がここにあります。
神様に祈り、御子であるイエスキリストの中にあって、私たちは
敵の攻撃に対して常に勝利を得ることができます。
私たちの目的は、キリストにあって神様の栄光のために働くことです。
感謝しかありません。

参考資料:牧師の書斎より

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