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自分らしさと人間らしさ:聖書をめぐる旅 8/11

8/11(水) <示された聖書の場所→学び>
ミカという偶像のコレクターが登場します。最初から何かゆがんだ親子関係と、ゆがんだ正しさを感じてしまいます。ペトロの手紙Ⅱは、この世を去る前にペトロが書いた濃厚な内容になっています。

士師記17章 

5このミカという男は神殿をもっており、エフォドとテラフィムを造って、息子の一人の手を満たして自分の祭司にしていた。 6そのころイスラエルには王がなく、それぞれが自分の目に正しいとすることを行っていた。


このミカという人は、変わった人です。母の銀を盗んで隠し持ったり(のちに返し喜ばれます)、偶像を集めたりしています。ただ、見方によっては、本当の神様を求めつつ的外れなことをしていたようにも受け取れます。この時代、自分の目に正しいことを行っていたということが、混迷している状況です。自分らしさを求める現代も、似ているようにも思います。神様に対する人間らしさ、という視点に立ちたいと思います。


2ペトロ1章

3主イエスは、御自分の持つ神の力によって、命と信心とにかかわるすべてのものを、わたしたちに与えてくださいました。それは、わたしたちを御自身の栄光と力ある業とで召し出してくださった方を認識させることによるのです。


ペトロが天に召される前に書いたのがこの書です。たった1章を読んだだけでも、示唆に富む内容がつまっています。そして、命と信心にかかわるすべてのものが与えられていることが書いてあります。私たちの救い主なるイエスキリストを認識することが、命と信心にかかわるすべてということかと思います。この世も、自分の存在も偶然ではなく、創造主なる方、そして人間を罪から命がけで救ってくださる方がおられ、私たちを導いていることに気付くことが命と信心につながります。私たちは、一人ではない。そのことに感謝します。

夜が明け、明けの明星があなたがたの心の中に昇るときまで、暗い所に輝くともし火として、どうかこの預言の言葉に留意していてください。


ここでいう預言とは、キリストの来臨のことだと思います。「見よ、わたしはすぐに来る。わたしは、報いを携えて来て、それぞれの行いに応じて報いる。」という黙示録の御言葉に通じるものがあります。心の王座にキリストをお迎えした者は、暗闇を照らすともし火としての役割があることを再認識しました。

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