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皮膚病を患う4人:聖書をめぐる旅 11/11

11/11(木)
神様のなさることは不思議です。この町に祝福の知らせをとどけたのは、町から追い出された皮膚病を患う4人でした。
詩編は、キリストの十字架上の言葉に通じるものがあります。 

列王記下7章 

3城門の入り口に重い皮膚病を患う者が四人いて、互いに言い合った。「どうしてわたしたちは死ぬまでここに座っていられようか。 4町に入ろうと言ってみたところで、町は飢饉に見舞われていて、わたしたちはそこで死ぬだけだし、ここに座っていても死ぬだけだ。そうならアラムの陣営に投降しよう。もし彼らが生かしてくれるなら、わたしたちは生き延びることができる。もしわたしたちを殺すなら、死ぬまでのことだ。」 5夕暮れに、彼らはアラムの陣営に行こうと立ち上がったが、アラムの陣営の外れまで来たところ、そこにはだれもいなかった。

→人が動くときというのは、現状をそのまま続けていても何も変わらないと悟ったときなのかもしれないと思いました。街の入り口で町にも入れず、皮膚病で死ぬ時を待つしかないと思った4人は、敵の陣営に投降することを実行します。しかし、このことがきっかけで神様が敵の軍隊を追い払ったことを知ることになります。神様は不思議な方で、人間的にはマイナスが多いような人をもつかって、祝福をもたらします。今までのことを続けて、変わらないと悟ることが、神の道に向かうきっかけになるかもしれません。

6主が戦車の音や軍馬の音や大軍の音をアラムの陣営に響き渡らせられたため、彼らは、「見よ、イスラエルの王が我々を攻めるためにヘト人の諸王やエジプトの諸王を買収したのだ」と言い合い、 7夕暮れに立って逃げ去った。彼らは天幕も馬もろばも捨て、陣営をそのままにして、命を惜しんで逃げ去った

詩編60編

12神よ、あなたは我らを突き放されたのか。
神よ、あなたは
我らと共に出陣してくださらないのか。
13どうか我らを助け、敵からお救いください。
人間の与える救いはむなしいものです。
14神と共に我らは力を振るいます。
神が敵を踏みにじってくださいます。

→キリストの十字架上の言葉を思い出します。
「わが神なぜ私をお見捨てになられたのですか?」
このダビデの詩は、見捨てられたように感じたことですが、
イエスキリストは、本当に神に見捨てられて、十字架につけられ、死んで、黄泉に下るということを経験されています。
キリスト(救い主)が神に見捨てられることをとおして、私たち人間が、神の救いにあずかることができる・・・というのが聖書の語る奥義です。
人間に何か修行することを求めるのではなく、キリストがなさったことを受け入れる(信じる)ことで救われるという、道が用意されています。

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