【プロローグ全文公開】『サイコセラピーを独学する』
8月23日に、金剛出版より『サイコセラピーを独学する』(山口貴史 著)が出版されます。それにあたり、プロローグと第1章を全文公開します。
今回はプロローグを掲載し、後日第1章をアップする予定です。
大学/大学院卒業後、心理職が現場の中で手探りでなんとかやっていかざるをえない現状のなかで、リアリティショックと挫折の体験を経て、いかにしてサイコセラピーを主体的に学んでいくのかについて書きました。
苦しみ、さまよい、悩んでいる多くの心理職の方に読んでいただき、学習の主体性を取り戻すきっかけになったらと思っています。
プロローグ――迷いの森のセラピスト
迷いの森のセラピスト?
まるで迷いの森に入り込んでしまったみたいだ……。
心理士3年目の私は,心のなかでつぶやいた。駅のホームで待っている小田急線はなかなかやってこない。
「カウンセラーって話を聞くだけなんですか? 僕はアドバイスが欲しいんですけど」
ある男性クライエントとのやりとりが浮かんでくる。今日の昼間の出来事だ。
〈アドバイスが欲しいと思われているんですね〉
私は伝えてみた。
半分,納得しないだろうと思っているのに。
同世代の会社員であるその男性は,「はあ……」と眉をひそめた。彼の眉を見ていると,また中断してしまうような気がしてくる。中断恐怖症になりそうだ。
ようやく来た電車に乗り込みながら,大学院の授業を思い出す。「傾聴」が大切なんじゃなかったのか。
残念ながら,その病院で私の「心理療法」は通用していないようだった。
いや,その病院だけではない。
非常勤として掛け持ちしている別の病院でも,私の「心理療法」はうまくいっていない。
3カ月前の出来事が頭をよぎる。
ある女子高生のクライエントから「あの,先生はどこの出身なんですか?イントネーションがこっちの人じゃない気がして……」と聞かれた。
おびえた小動物のような彼女から唐突に発せられた質問に私は驚きつつも,〈出身地は言わないようにしているんです〉と答えた。
そんなことを言うとまた心を閉ざしてしまうかもしれない,と半分思いながら。
「そうですか……」
彼女は悲しげな目をしながら微笑んだ。
翌回,無断キャンセルとなり,そのまま中断してしまった。
車窓から見える大きな川を眺めながら,「大学院でそんなこと習ってないし」とつぶやく。
「だったら職場で教えてもらえばいい」と言われるかもしれない。
でも,教えてくれる人なんていない。だって,一人職場だから。
何を,どうしたら,よかったのだろう。
「傾聴」は悪いものではないはずだ。でも,場合によっては役に立たないのかもしれない。
「自己開示」は良くないもののはずだ。でも,場合によっては役立つこともあるのかもしれない。
考えれば考えるほど,心理療法がわからなくなっていく。
遅刻と椅子
どうやら,私はずっと前から森に迷い込んでいたらしい。
でも,なぜ,いつから,こんなことになってしまっていたのだろうか?
私の出身大学院はいわゆる力動系の力が強く,心理療法やカウンセリングの「決まりごと」を強く教えられる伝統があった。
たとえば,「面接は50分ちょうどで終えなければいけない」「治療者は絶対に遅刻してはいけない」「治療者は自己開示をしてはいけない」といった具合に。
今から思えば,当時の教官たちはそこまで強く言っていなかったようにも思う。おそらく,こうした言葉にはかなりの脚色が入っていることだろう。
でも,当時の私はこのように受け取っていたのだ。
修士2年生のときのことだ。
大学院付属の相談室で担当していたクライエントが遅刻してきたことがあった。はじめて経験する遅刻に混乱した私は,相談室の隣にある「院生室」(大学院生の溜まり場)にいた先輩に助けを求めた。
「どうしたらいいですか!?」
私の話をじっと聞く先輩。30秒ほど考え込んでから,静かにこう言った。
「そこの椅子に座って,クライエントが来ないということがどういう風に自分に感じられるのかを考えなさい」
私はそこの椅子にじっと座って考えた。
「なるほど,クライエントが来ないということが……なるほど,なるほど……」
でも,何も浮かんでこなかった。
「全然来ないなあ」「ケースが中断したらどうしよう」くらいしか。
その先輩は,「逆転移」がどういうものかを伝えようとしてくれたのだろう。しかし,無知な私には,「儀式」だけがインストールされた。
「クライエントが遅刻したら,椅子に座ってじっと考える」
その後の数年間,私はクライエントが遅刻するたびに椅子に座るようになった。冗談みたいな話だけど,本当の話だ。
大学院を修了してからは,紆余曲折あって精神分析にのめり込んでいった。
今では,本来の精神分析は教条的なものではないとわかる。
でも,当時の私はまるで絶対的な宗教を信仰するかのように精神分析に没入していた。気づいたら,生まれたての雛鳥のような大学院時代の刷り込みと相まって,精神分析原理主義者になっていた。
「自己開示は何があってもしてはならない」「助言なんてとんでもない」
そんな「教え」が染みついた。
勘違い的な刷り込みと厳格な教えを身にまとった私は,それからどうなったか――
見事に現場で通用しなかった。私の心理療法には「何か」が足りなかったのだ。でも,その「何か」が私にはさっぱりわからなかった。
でも,「何か」を追求するなんて発想はなかった。ただただ「教え」を守ることに必死だった。
なぜなら,私のなかの“臨床心理学先生”や“精神分析先生”は,「本物の臨床家とはかくあるべし!」と手厳しく糾弾したからだ。たまに,険しい表情をした大家から「そんなんじゃいかん!」と怒鳴られるような気分になる
ことすらあった。
教えを守り儀式を続けていたのは,「迷子になんてなっていない」と思いたかった私なりの抵抗だったのかもしれない,とも思う。
呪いから解放され,迷子になる
たしか,臨床現場に出て5年ほど経った頃のことだ。
あるとき,二人のクライエントから立て続けにこんなことを言われた。
「先生の頭のなかの理論ではなくて,私を見てください」
「(精神分析的心理療法ではなく)私が求めているのはアドバイスなんです。そんなことは求めていません」
この言葉に,私は打ちのめされた。
もちろん,当時の私の力量不足,とりわけクライエントのニーズやモチベーションのアセスメントが不十分であったことは否めない。
けれど,技術的な問題だけとは到底思えなかった。何か根本的な間違いを犯しているような感覚があった。
大げさではなく,私は足元から崩れるような気持ちになり,これまでやってきたことは何の意味もなかったのではないか,と絶望的な気持ちになった。
クライエントの言葉を反芻するなかで,私が「当たり前」と思っていたものは,実は当たり前ではないのかもしれないと思いはじめた。私のなかの「臨床家というものはこうあるべきだ」に対して,「それってなんでなの?」「どういう根拠なの?」と自分に問うてみても,答えに窮してしまったのだ。
つまり,「こうあるべき」という格言のようなものはあっても,それがなぜそうあるべきなのかをよくわかっていなかった,ということだ。「どうして50分00秒に面接を終えないといけないのか?」と聞かれても,「終えなければならないから」としか答えられなかった。
私は,自分のなかで勝手に膨らませた「教え」を教条的に守ろうとしていただけで,知らぬ間に外の世界から切り離された孤島の住民になっていたのだ。
こんな風にして,クライエントの言葉が私の教条主義を壊してくれた。
今考えると,それはとても幸運な体験だったのかもしれない。
でも,単純に喜ぶことはできなかった。呪いが解かれ,すがりつく教条をなくした私は,正真正銘の迷子になってしまったからだ……
迷子の人,迷子じゃない人
こうして,私は迷子になった。
当時の私は,迷子現象は精神分析などの力動的な心理療法の文化圏でのみ起こるものだと考えていた。お作法に厳しい世界だからこそ,起こる現象だと思っていたからだ(誤解のないように伝えておくと,お作法を学ぶことは大切なことではある)。
けれども,そうでもないのかもしれない,と思い直すことになった。
迷子になった当時,私はたまたま認知行動療法を専門とする同世代の同僚と出会った。私とは随分と異なる文化圏で育った彼女は,私ほど「枠」を守ることへの強迫さはなかった。
しかし,彼女もまた苦しんでいた。
大学院やその後の教育で学んできた認知行動療法を実際の現場で用いようとしても,うまく導入できなかったり,中断したりしていたのだ。教育と現場のあいだのギャップに戸惑っているようだった。
彼女は何とかして現状を打破しようともがいていたけれど,どうやら私と同じく迷子になっているようだった。
いや,迷子になっているのは私や彼女だけではなかった。
「なんだか自分がやっていることが段々とわからなくなってきた」と嘆く先輩もいた。先輩は急激に変化する心理臨床の世界に戸惑っているようだった。
私のような教条主義に陥っていない世代,つまり学派的心理療法の教育が色濃かった2000年代よりも後に大学院を修了した若手はどうだろう。もはや個人心理療法重視の価値観からは抜け出しているように見えるけれど,若手たちも「実際の現場では,どうしたらいいのかわからなくなる」と混乱していた。
でも,迷子の人ばかりではなかった。「迷子じゃない人」たちもいたのだ。
彼らは,教条主義にとらわれているようにも,教育と現場のギャップに悩んでいるようにも見えなかった。私がいつまでも越えられない壁をスルッと越えるかのように,心理療法を学んでいた。足取りは軽やかで,孤島感もなかった。
どうしたら,あんな風に学べるのだろう。私には見当もつかなかった。
心理療法を〈独学〉する
この本は,心理療法の迷いの森をさまようセラピストに向けて書かれている。
心理療法がよくわからなくなってきた,一生懸命学んでいるのになぜか現場で通用しない,心理療法をどう学んだらいいかわからない。
そうしたことに日々悩みながら臨床をしている人たちのことだ。経験年数は問わない。先に述べたように,若手だって中堅だって迷子になる。
とはいえこの本は,まだ心理療法を実践していない大学生や大学院生にとっても役に立つと思っている。これから足を踏み入れる心理療法の迷いの森は,いったいどのようなもので,どんな困難が待っているのかを前もって知ることは,大まかな地図を手にすることでもある。
といっても,「心理療法の道は険しくて,難しいものだ」と脅したいわけではない。むしろ,逆だ。誤解を恐れずに言えば,心理療法は面白い。この本を読んでそのことを感じ取ってもらえるとうれしい。
本書では,心理療法「迷子」からの脱却を目指す。そのためには,心理療法の「学び方」について考えてみることが大切だ。
これまで,心理療法は大学院教育で大まかな基礎を学び,大学院を修了してからは研修やスーパービジョンといった個々の努力に委ねられてきた(私自身もそうして学んできた)。こうした学び方は,学派的な心理療法が求められていた時代背景を踏まえると,おおむね適切だったのかもしれない。
しかし,時代は変わった。
現場でひとつの学派的心理療法だけを求められることはない。ひとつの学派的な心理療法だけを学んでいても,現場で陥る迷子から抜け出すことはできない。私や友人,先輩や後輩のように。
それに,こんな疑問も浮かぶ。「高学歴低収入」と揶揄され,国家資格ができようが一向に待遇改善しない私たち心理職が,自らの生活を犠牲にしながら身の丈に合わないコストをかけて心理療法の研鑽を続けることが適切なのか,と。
迷子から抜け出すためには,今の時代の「現実」に合わせた新しい学び方
が必要だ。
私が言いたいのは,研修や訓練は必要ないということではない。そうではなくて,心理職が置かれた現実を踏まえたうえで,心理療法の学び方についていま一度じっくりと考えてみる必要があるということだ。
言うなれば,地に足のついた心理療法の学習論である。
その学習方法のひとつとして,本書では〈独学〉を提案する。
独学の一般的なイメージは,たくさんの本を読み込み,ひとりで黙々と勉強する孤高の学習者といったものだろう。しかし,本書で提唱する〈独学〉はそういったものではない。
ここで言う〈独学〉とは,心理療法を学ぶ際に,自習,研修,スーパービジョンなどを主体的に並列化し,選択していく学習スタイルを指す。
かつての学習スタイルが訂正を迫られている転換期におけるブリコラージュ的実地学習だ。
心理療法「迷子」から脱却するために〈独学〉する―この本はきっとその助けになるはずだ。
書籍情報
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