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子育ての難しさ|自分のことなら悩む時間を持てるが子供の悩みには即答するしかないから難しい

自分が何かを悩んだ時は、その答えを出すまでに即答しなければならないということはあまりないだろう。


悩み時間があるわけだ。

じっくり悩んでから答えを出すことができる。


しかし、これが子供のことだったらどうだろうか?

例えば、子供に朝、「学校に行きたくない」と言われたら、その場で何かしらを答えなくてはならない。

子供はその「学校に行きたくない」というまでに悩んだはずだ。

それを親に言っていいのかどうか。

時間をかけて、前日から悩んでいたかもしれない。

でも、親は即答だ。ほぼ、その朝の時間で答えなくてはならない。

初日ならいいだろう。休んでも。

でもそれが毎朝続いたら?


「これ以上休ませたら、もう学校に行けなくなるんじゃないか」という判断を毎朝しなければならないのだ。


ある程度成長した子供も同じだ。

その相談は突然にやってくる。

「部活を辞めたいんだけど」

「家を出たいんだけど」

「高校を辞めたいんだけど」

「この大学を受けたいんだけど」

「会社を辞めたいんだけど」

「結婚したいんだけど」

「離婚したいんだけど」


その相談はいきなりにくる。


こっちの心構えはないうちにくる。


即答まではいかなくても、その相談に「YES気味」なのか「NO気味」なのか、それは初めの段階で示す必要がある。

その答えを親はその場で出す必要があるのだ。


話し合いで考えが変わることはあっても、初めの段階で出した「YES気味」か「NO気味」かは、そのあとで、子供を説得する時の大きなポイントになる。


ここがぶれていると、子供に意見をいう時にも全く心に響かない説得力のない親の意見になってしまうのだ。


こんな場面は今までも何度もあったなあと思い出す。


その度に、心がピンと震える。


自分のことならその選択が失敗でも自分が我慢すればいい。自分で取り戻せばいい。

でも、子供の人生だ。

子供がよりよい人生を歩めるように、親としてはできることなら正解に近い道を選べるようなアドバイスをしたい。


こんな重要なことなのに、その瞬間はいつも突然であり、即答だ。



特にシングルマザーである私は、誰にも相談はできない。

夫と悩みを共有することはできない。

いつも答えを一人で出してきた。

その答えに対する責任も全て背負う覚悟で。


だから子育ては難しい。


親は難しい。





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