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「よく働いてきたから体力はある」についての地域リハビリテーション的雑感

今日はリハビリテーションの話。

現在、病院でリハビリをする患者さんは高齢者が大多数である。
さらに当地域の高齢患者さんは、専業・兼業にかかわらず普段から農作業をしている人が多い。

病院でのリハビリの時間は、療法士と患者さんが1対1で過ごす。2人で1時間前後の時間を過ごす間、いろんな話をする。そして特に理学療法・作業療法では運動療法を主体とするため、体力が大きく影響する。
自ずと、どんな運動や仕事をしていたかという話題が出る。

その方たちは言う。
「よく働いてきたから体力には自信がある」と。

その通りだと思う。
そこにはリスペクトしかない。
そんな会話の時間は、これまでの日本を支えてきてくれた先輩たちの足跡に思いを馳せる時間でもある。

思いを馳せると同時に言葉を分解して聴いている。
人生の先輩たちの言葉に間違いはない。
「よく働いてきた」し、「体力には自信がある」。

自信があるのと体力が実際あるのとは別だ。

「かつてよく働いてきた」人たちは、当時はきっと確かに体力はあったと思う。でも現時点で体力がないことが多い。
一線を退しりぞかれて、悠々自適に暮らしたり病に伏したりする中で、体力は低下する(※)。やめてから時間が経っている。自信と実際は必ずしも一致しない。

※ここでいう「体力」は、運動生理学など専門的な意味での「体力」ではなく、身体機能一般の「体力」として使う。

かつて体力のあった方たちは時間経過の中で体力が低下し、だからこそ必然や偶然で入院して医学的リハビリテーションの対象になっている。

さらに、現役で働いている高齢の方でも、季節性のある職業の人は自信と実際の体力は一致しにくい。特に農作業は、繁忙期にはしっかり体を使って働いても農閑期に家でじっと過ごす機会が多いと、体力は維持しにくい。

季節だけではない。ある一日を切り取ってみても、夏場の涼しい朝・夕に作業をして、日中は家で不動の状態で過ごしてしまえば、長期的には体力は維持しにくい。

結局、その方本人の主観をリスペクトしつつ、一方で実際はそうとは限らないと俯瞰しながら、患者さんの生活機能の改善に向けて関わっている。

そしてこれらは、こと病院(医学的リハビリテーション)だけの話ではない。地域在住の人たちにも体力に自信を持つ高齢の方々がいる。

実際に現役を続けていて体力が伴っている人もいれば、自信だけあるもののそれを発揮する場がないがために、現時点の自分の体力を認識出来ていない人もいる。病院なら外部(療法士や看護師など)からの指摘が入るが、独居だと指摘されることがなかったり。

周囲のご家族や関わっている専門職・行政職の人たちは、ご本人の生活歴や病歴を総合的に情報収集した上で、本当に「体力がある」かどうかを見極めたい。


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