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ボランティアの極意。

16年前からなんやかんやでずっとボランティア
(お金をもらわない仕事)をやっているのですが。
ボランティアの醍醐味というのは、心細くなることだと
思うんですよ。

心がね、細~くなるの。

普段、私たちは当たり前の仕事をしているから
あんまり大きく期待をはずすこととか、
あんまり大きく大変な目に遭う事って
ないじゃないですか。

遭ったとしても報酬がもらえるしね。

でもね、ボランティア作業というのは本当に、
無償の愛がなければできない仕事なんです。

「簡単で誰でもできる拘束時間も短いボランティア」とか、そんなのだったら、やらない方がいいと思う。

だって、拘束時間が短いということは、
その現場で関われる人に、ほとんど顔も覚えてもらえずに
終わるということで。

ボランティアをやってて一番のプレゼントは、
すごい人に会うことだから。

むしろ、会社や学校にいてホスピタリティ(思いやり)に溢れる
素晴らしい上司や先輩がいて、素晴らしい仕事ができるのならば、
ボランティアなんかやらなくていいじゃないですか。(笑)
その環境、逃す必要ない!

でもボランティアをしてでもやらなければならないという
意義が自分の中にあって、それをやるのならば
それはもう、運命だと思ってやるしかないんだよね。

私が縄文イベントを最初にやった時は、
全国から三内丸山遺跡にボランティアさんが60名も集まってくれて、
自分は無償で6ヶ月間、ひたすら縄文イベントの
プロデュースをやっていたんだけど、

それで夢が叶うなら全然問題はなかった。
遺跡に火も焚いたし、竪穴式住居で豚汁も食べた。

でも、やってる間にあまりの拘束時間の長さに
「自分は一体、なぜこんなことをしているんだろう?」
という思いに囚われるてくるんですよ。

私が初めてやったボランティアは、
展覧会の巡回ボランティアで、会期は約2ヶ月だった。
2ヶ月間、週5で朝10時から午後4時とかまで
ずっと巡回のボランティアをしていると、時間はたくさんあるので

それはそれは、自分を問うわけです。

お金も入ってこないし、体は疲れてくるしで
どんどん心細くなっていくのね。
でも、それは普段、心が太っているということだから。

心が細くなると、ほんのちょっとのことでも
例えば、空が晴れてるだけでも奇跡に見えたり、
雨が降っただけでも、神の仕業に思えたりする。

それで、そんな修羅場を一緒に乗り越えた仲間は、

もう一生の宝物だよね。

本当に尊敬できる人や、普段なら会えないという人に
出会えたり、近くにいるだけでその存在を感じたり。
そういうことが、最後には思い出になって
残っていくのだと思う。

ボランティアって、本当にお金にならない上に
交通費も宿泊費も自分で支払わなきゃいけないから

やれば確実に貧乏になります。

それでもやってしまうのは
確実に、会えば力になる人に、

出会って来たからだと思う。

これはなかなかに、有り難いことだと思うのです。(^ー^)

ドグドグ。

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