迷いのないバッチャ ☆うちのバッチャ全文公開中!☆
迷いのないバッチャ
バッチャと暮らしていて1番すごいと思うのは、バッチャには迷いがほとんどないのだなと感じる時です。
80年も生きていれば大体の迷いはなくなってしまうのか、とにかくバッチャの瞬間の判断にはすばらしいものがあります。
若いとどうしても人生経験が足りなくて、悩んでばかりいてしまいますね。悩むということは、どちらにしたらいいのかと「迷う」ことだと思うのです。
どうしたらいいのかと悩んでいるうちは、前に踏み出すことはできません。しかし、80年も生きているとあらゆることは経験済みになるのか、バッチャの判断力の早さたるや、カップ麺ができ上がるよりも早いぐらいです。
ある時、我が家の「買い物袋入れ」の中身が、こつ然と姿を消した時の話です。
「ここにあったスーパーの袋、どこにいったんですか?」
私が聞くと、バッチャが答えました。
「捨てたよ! あんなもの取っておいて、どすのよー?」
「エエッ、取っておいてどうするのって……ホラ、なんかあった時に便利じゃないですか! 漬け物をタッパーに入れた時に水が漏れないようにするとか!」
そう思うが故に、私はスーパーのビニール袋を捨てることができずにいたのでした。いつか必要になると思って貯めたビニール袋はお恥ずかしい話、100枚近くになっていました。その100枚近くのビニール袋を「ゴミ」として判断したバッチャは、迷わず燃えるゴミにその袋をまとめて出しました。忽然と消えたビニール袋を見て、私はあ然としました。
私もバッチャも若い頃には、貧しくて食べるものがなかったという共通の経験があります。(バッチャは戦争で、私はお笑い芸人を目指していて。)
しかし、そういった経験があろうとなかろうと最後に残るのは、性格だと思うのです。バッチャには捨てる時の迷いが一切 、ないのです。
しかしバッチャはお年寄りだというのに、ダシを取った後の昆布なんかは「面倒くせじゃー!」と言って、まっすぐゴミバケツに捨ててしまうんですね。
「こ……昆布があ!」と、毎回「ヒイー!」と心の中で叫びながら私はその昆布達を見送っております。
どうやらバッチャにとっての「まだ使えるもの」と、私にとっての「まだ使えるもの」が、根本的に違うみたいなのです。
バッチャにとってまだ使えるものの代表は、衣服です。ダンナのパジャマの股の部分がすり切れたら、バッチャは慌てず騒がず、股を繕って元のパジャマに戻します。しかし、どう見ても「股」の部分のつぎはぎは、目を引きますね。
バッチャは繕える限界までパジャマを繕い、本当にダメになったら、パジャマからボタンや布を取って、次のパジャマの繕い用に取っておくのです。
パジャマがすり切れたらバッチャが繕ってくれるのはもう目に見えているので。せめて、股だけはすり切らさないようにと思っています。
そんなバッチャの長年のパートナーであるジッチャは、ただいま90才であります。(2013年当時)
まだまだ介護は不要というように、ジッチャは自分でご飯を食べ、自分でトイレに行き、自分で散歩に出かける達者な人です。しかし、若い頃に比べるとジッチャも相当衰えてきているのか、バッチャに1日に何度も叱られる毎日です。
朝刊を取りに行くのを忘れたと言っては叱られ、物を出しっぱなしにしたと言っては叱られ……。若かりし頃に亭主関白だったジッチャは、人生の後半、立場が逆転して今では叱られてばかりいるのです。ジッチャはバッチャに叱られても、「はいはい~」とのんびり答え、叱られるに任せているようです。
「おジッチャ! おめ、なんぼまねのよ!(おじいちゃん、あなた、なんてダメなのよ!)」
と、バッチャは大声で叫びます。ジッチャは「ははは……」と笑いながら、直す素振りも見せません。怒鳴り声の絶えない毎日……。しかし、朝っぱらからこれだけ大きな声で叫んでいれば、健康にいいだろうなあと思えます。
バッチャはジッチャの4倍の速度で動き、家事と畑仕事をこなして毎日が忙しそうなのですが、ジッチャは一日中ソファに座ってほとんど動かず、日が昇ってから沈むまで窓の景色を眺めています。ジッチャはのんびり屋さんなのです。
ひょっとすると、バッチャはジッチャのことを、「捨てずに叱りながら取っておこう」と、ちゃんと心に決めているのかもしれません。
ドグドグ。
毎日、楽しい楽しい言ってると、暗示にかかって本当に楽しくなるから!!あなたのサポートのおかげで、世界はしあわせになるドグ~~~!!