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このまま死にたくないもん

このエッセイは94歳の母と69歳の娘の4年間を振り返ったものです。私たち親子は「このまま死にたくないもん」と絶望からの脱出のために、高齢者には馴染みにくいSNSを使ってブログを発信をすることで、生きがいを得ることが出来ました。あなたもこのエッセイを読めばやる気と元気が湧いてきてきっと何かを始めたくなるはずです。


【1】このまま死にたくないもん

「このまま死にたくないもん」切羽詰まった言葉ですが、私は4年前定年退職を迎えた時に、こんな思いでした。職場での生活が終わっても、まだまだエネルギーが有り余っていた私は、「このまま死にたくないもん」と思ったのです。
1977年(昭和52年)に地方のテレビ局に入社して右肩上がりの業界と共に、仕事人生を過ごした私は、情報を伝えることが自分の使命だと思い、取材に出かけ、多くの人に出会って、仕事から様々な事を学んで人生の肥やしにする日常を送っていました。

ところが定年を迎えて、これまでとは全く違う閉ざされた社会に居ることになり、自分の中に燃え上がる発信したいと言うエネルギーや情熱をどうしていいか分からなくなったのです。

私の存在証明を何らかの形で残さなければ私は死んでしまうとさえ思っていました。泳ぎ続けていなければ死んでしまうマグロのような感覚です。マグロはエラから海水を取り込み、その中から酸素を吸って生きているとか。泳いでなければ窒息死するらしいのです。私もマグロみたいだなと感じていました。

定年したからと言って「私はこのまま死にたくない」定年を過ぎても生き生きと自分らしく社会の中で、私なりに輝いて生きていたいと思っていました。

それから4年経った今の私は、自分なりに輝いて自分の存在を記しながら生きています。


【2】きっかけはコロナ禍の定年だった

私が定年を迎えたのは2020年3月です。コロナ禍真っ只中で、送別会もままならない頃でした。世の中全てが閉塞的で、多くの皆さんと同じように私は暗闇の世界に閉じ込められた感覚でした。

本来だったらアナウンサーやディレクターの経験を生かして細々とでも、フリー活動をしていきたかったのですが、コロナ禍に加えて90歳になった高齢の母をサポートする必要があり、社会との繋がりがほとんど無くなり辛い毎日でした。

「このままでは私も母もダメになるから、何かアクションを起こして前向きに生きよう」と思い、たどり着いたのが親子でブログを発信することでした。

SNSに長けていたわけでもない私が、SNSの中でこれまでに培ったノウハウを生かしてみようと思ったのです。

マスメディアで私が常に意識していたのはどうすれば人に伝わりやすいかという事でした。分かりやすく伝達することには自信があったのです。人に何かを伝えることで私の中の燃えたぎるエネルギーを燃焼したいと思いました。

それまでは自分が十分に理解出来ていないSNSで発信することを躊躇していたのに、突然その中に飛び込むことに決めたのです。今ではいい決断をしたと自分を褒めてあげたいくらいです。

その世界に飛び込んだことで、高齢者二人の人生が大きく変わったからです。

【3】90歳から趣味を見つけた母

母はまさか90歳になってから新しい趣味が見つかり、それが生きがいになるとは思ってもいなかったでしょう。この4年間でイラストは母の生きがいになり、生活に無くてはならない存在になりました。

90歳までの母の趣味は俳句でした。45年以上親しんでいた俳句よりも心動かされるものに出会うとは、本人にとっても青天の霹靂だと思います。

ブログに個性を出したかった私は、母の俳句に頼ろうと思いました。旬をとらえた俳句をブログで紹介すれば、季節感とオリジナリティーが出ると思ったのです。

俳句を掲載することに母は前向きでした。俳句を世間に広めることは俳句王国愛媛にいる自分にとって望ましいと思ったのです。

しかしその俳句に自分のイラストを添えるとは考えていませんでした。

私は母が何十年も絵日記を書いていたのを見ていて、母のイラストに注目していました。決して上手くはありませんでしたが、味があったのです。母のイラストを見ているとその日の出来事が印象深く伝わってきました。

「お母さん、私たちのブログのイラストを描いてくれん、俳句とイラストのコラボ作品を創作して欲しいんよ、それと私が書く文章をイメージしたイラストも描いてくれんかなあ」そう言うと母はすぐさま、「あんた嫌よ、私のイラストなんか人に見せるもんじゃない、あんたが描いたらええがね」母はきっぱりノーと言いました。しかし私は引き下がらなかったのです。

あの時、私が引き下がっていたら今の私たちはいないでしょう。
「俳句をもっとアピールするために、お母さんのイラストはどうしても必要なんよ、俳句のイメージもイラストがあったら伝わりやすいと思うよ」と上手く説得できたことが本当に良かったです。
ブログのイラストを担当することが決まってから母は大きく変わりました。

奇跡のように進化を遂げたのです。

母は何をするにも前向きで、途中で投げ出すと言うことがありません。それは90歳を過ぎて出会ったイラストに対しても同じでした。より高みを目指して日々精進したのです。

嘘は描きたくない、人に見てもらって恥ずかしくないものを描きたい。季節を意識したものを制作したい。母の創作意欲は衰えることがありませんでした。

彼女は毎日タイムリーなイラストを描くために新聞を隅々まで読んでテーマを探し、テレビのニュース映像や雑誌、配られてくるチラシにまで目を通すようになりました。

母の日常はこれまでとはガラリと変わり、思考がとてもクリアーになり、リビングで話す内容も違ってきました。
ブログの制作を始めて1ヶ月もしない内に、彼女はまるで画伯のような雰囲気になったのです。90歳を過ぎても好きなことに出会うと人は変わり、進化を遂げることを私は母を通じて知りました。

昨日の作品と今日の作品が違うのです。娘の私が見ていてもその変化が手に取るように分かりました。

母は負けず嫌いで、何より自分に負けたくない頑固な逞しい女性です。だからこそ彼女は自分の可能性に挑戦し続けているんだと思います。

朝起きて元気が無くてもイラストを描くことでエネルギーが沸いてくると言っています。その言葉を聞いて、二人でブログを始めたことが間違いなかったと私は確信しました。

【4】母と私が仲良しになった

母の後姿を見ながら生きてきた私はびっくりするくらい母と似ています。決めたことにまっしぐら、猪突猛進で途中で投げ出したり諦めたりしません。
目的に向かって前進あるのみです。そんなまっすぐな性格だから親子が上手くいっている時は問題ないのですが、お互いの気持ちがすれ違うと修復が難しくなります。

振り返ってみるとまだブログの発信を決めかねていた頃は、毎日小さなバトルを繰り返していました。ずっと同じ家に二人っきりでいると、不満の矛先がお互いに向かいます。ちょっとした心の行き違いで顔も見たくなくなるのです。
それは夕飯の料理の味付けの好き嫌いからでも起きていました。
母の健康を気遣って薄味にしていると「私はこんな味は嫌いなんよ」「なんで胡椒をきかせたん、私には胡椒は合わんのよ」そんな些細なことからいつの間にか大きなバトルになるのです。

何がバトルのきっかけになるかはわかりません。まるで薄氷の上で生活しているような冷たい戦争が続いていた時もありました。しかし私たちが二人でブログを発信するようになってからは、そんなバトルも少なくなりました。お互いが創作のパートナーになったからです。
私の書いた文章に合わせて母のイラストを描いてもらうために、コミュニケーションを深める必要がありました。それが私たち親子にはいい効果を生んだのです。

冷静に話し合わなければよりよい創作が出来ないので、お互いが仕事仲間か同志のような関係になっていきましたいつの間にか私の中には母への尊敬の気持ちも生まれてきたのです。
毎回、私の要望以上にぴったりのイラストを描いてくれる母を素晴らしいイラストレーターだと思うようになりました。

ブログを発信するようになってから1ヶ月も経たない内に、二人の距離は一気に近づいたのです。お互いの意見を主張し合っていても、それはブログをよくするための前向きな話し合いでこれまでのバトルとは違っていました。

私は母とこんな関係になるとは思ってもみませんでした。

イラストを愛している母は、自分のイラストをより良くアピールするために、持てる力を120%出そうとするクリエーターです。私は娘としてではなく、ブログの編集者として母の作品をよりよく伝えるために懸命な努力をします。最近は本当に不思議な関係性で親子がブログ発信をしているのです。

知らない人たちから見れば変わった親子に見えるかも知れませんが、私の一番の推しはいつの間にか母になりました。本当に不思議です。私は母のイラストの大ファンなのです。

きっと、ブログを始めてから母も私に対する見方が変わってきたと思います。
「自分を引き立ててくれるディレクターが気が付けば娘だった」そんな風に思い始めたのです。


【5】親子の本音ぞくぞく

私はブログを始めたことでこれまで知らなかった母の本音を聞くようになりました。投稿で真実を書くために私が母に様々な質問を投げかけたからです。これまで聞けなかった母の人生の多くの経験を聞くことになりました。

今まで母が一度も口にすることがなかった戦争の話が聞けました。太平洋戦争の頃の松山での空襲の悲惨な話は貴重な証言でした。幼い頃死別した母親との思い出やその当時の寂しさ、青春の頃のエピソードや、父との新婚時代の話なども親子の垣根を越えて聞けたのです。

上司のパワハラが嫌で1日で職場に辞表を出した話が出た時は、母らしいと思いつつ笑ってしまいました。

ブログ発信のためだからこその本音トークで、親子のコミュニケーションが深まったのです。

私たちはブログ発信の中で音声配信にもチャレンジしています。毎日5分程度のフリートークを録音して発信するようになり、井戸端会議的な親子の会話をそのまま伝えています。母はその中でいろいろな話をします。

「実は今日、つまずきそうになって危なかったんよ」
「朝方、崖を逃げ惑う怖い夢を見てね、目覚めたんよ」
「昨日は夜何度も目が覚めて、大変じゃったわい」
母はフリートークの中だからこそ無防備に日常の出来事をエピソードとして話すのです。

私もまた、母の本音にストレートに反応して正直な気持ちを表現しています。
「お母さん、最近ちょっとしんどいんと違う、体調は大丈夫なんかなー」
すると母も素直に「だいぶようなったんよ、もう大丈夫だと思う、心配いらんけん」と答えるのです。
リスナーがスマホやパソコンの向こう側にいると思うだけで母が本心を話すのです。

音声収録の出だしはこんな感じです。
「フリートークでこんばんわ、69歳の娘と94歳のばあばが二人仲良くお伝えします、今日もよろしくお願いします」掛け合いで始まる定番のごあいさつが楽しみになりました。
母は今日は何を話そうかと自分なりにテーマを探してトークに臨んでいます。音声配信をすることも親子のコミュニケーションを深めることに役立っているのです。
ブログの発信は、お互いを知る大きなきっかけになりました。


【6】ファンが生まれたイラスト展

二人でブログ発信を始めて3年を迎える頃、母のイラストの進化が余りも目覚ましいので私はこれを多くの人に見ていただいて、皆さんにも高齢者の生きがいづくりのヒントにして欲しいと、母の初めての個展「ばあば夢のイラスト展」を開催することに決めました。

イラストに出会ってからの母の変化を自分の中だけで留めておくのはもったいない、「生きがいを見つけた高齢者の果てしない可能性を多くの人に伝えたい」と言う思いに駆られたのです。

一年前から展示会場を探し、展示方法をあれこれ考えて、たくさんの人たちの協力を得て市内のデパートで一週間開催しました。作品点数は母の年齢の数93点。描き始めてからこれまでの選りすぐりの作品や馴染みのある愛媛の風景を厳選しました。会場ではイラストの制作風景の映像を流し、これまで描いてきた絵日記も展示しました。会場の中は母のイラスト人生一色でした。

地元メディアや全国ネットの取材もあり、母のイラスト展はSNSを通じて世界に配信されました。母のこれまでの人生で一番輝いた日かも知れません。
会場には1,000人以上の方が訪れてくれて、多くの人が母からのメッセ―ジを受け取ってくれました。
「人は幾つからでも好きな事が見つかればそのことで進化できる」母の思いは多くの人に届いたと思います。

「私も、今日から何か始めようと思います」
「いくつからでも遅くないんですね、帰って母に伝えます」
「おばあちゃんが頑張っているんだから、私だってやりますよ」
など来場者から多くのメッセージを貰って母はより一層元気になりました。

誰かが後押しすればお年寄りもこうして輝けるんだと実感した一週間でした。そして個展の開催で母のイラスト熱に拍車がかかったのは言うまでもありません。

【7】家族の絆が深まった

敬老の日に合わせた母の個展には東京に住む妹夫婦や孫も駆けつけて、来場者のアテンドなどをサポートしてくれました。大学生の孫や妹の主人はおばあちゃんの作品展を見て、作品のクオリティーに圧倒されていました。
「ばあばは凄い」「ただ者じゃないね」そんな感想を話してくれました

私は妹と二人、会場で多くの来場者に作品展の開催意図や作品の裏話を解説して母のイラストの魅力をPRしました。
一週間立ちっぱなし、しゃべりっぱなしでしたが本当に充実した時間でした。足がパンパンにむくんでしまっていましたが、どうにか乗りきりました。

最終日に妹と抱きあって涙した事が忘れられません。私たち姉妹にとっても最高の1週間でした。

母の個展が家族の絆をより一層強くしたのです


【8】大忙しの親子

母と私にとって、SNSでのブログ発信は日常のルーティンになっています。朝から夜までやることがたくさんあります。私が編集者としてブログを発信するのは朝です。二人が納得した創作を間違いのないように投稿します。私の文章投稿と母のイラストと俳句のコラボ作品、そしてその俳句を私が音声で解説したものを投稿しています。

職場で仕事をしていた頃と私の創作活動は大きく変わっていないと思います。より分かりやすく伝える努力を惜しむことはありません。

家事をしながら手抜きをしないで精一杯投稿していると、案外時間が経つものです。

母は私が朝の投稿を終えてリビングに降りていくと懸命にイラストを描いています。
「おはよう、いいの描けた」と聞くと、「あんた、ちょっと見てや、ええんが描けたよ」母が嬉しそうに筆ペンで色を加えています。顔を見ると笑顔がこぼれています。
描いた絵を私に見せて「あんた、目が凄くいい感じに描けたんよ」と、ご満悦です。彼女は黙々と楽しそうに描き続けます。

その日の発信が終わると、今度はこれからの創作について話し合います。
「次の俳句は何にするん」と聞くと母は「あんた、何か季節の情報はないかな、新聞持ってきてや、これからは何の花が咲くんじゃろか」そんな感じで情報収集するのです。

最近、インスタグラムを始めた私たちは、投稿するための動画を撮影します。母のイラストの制作風景を収録するのです。準備が出来るまで母は何度も自主トレーニングを続けています。

自分達なりの撮影ができるようにリビングをスタジオに電気スタンドなどを用意して撮影開始です。スマホのカメラを使って撮影するのは私です。

「はいレッツゴー、お母さん丁寧に、かつ時間内に描いてね」等とアドバイスをしながら収録が進みます。撮影し終わった映像に音楽や字幕をつけて完成です。そんな作業をしていると、あっという間に夕飯の準備の時間になります。

「お母さん、今夜は何が食べたい」と母にお伺いを立てるのですが、母は「あんたは、何を作るつもりなん、何でもええよ」と、答えてきます。

夕飯が終わって後片付けをしたら、すぐに「フリートークでこんばんわ」を収録してその日一日の出来事を楽しく掛け合います。

私たちの一日は本当にあっという間なのです。

【9】動けば世界が広がる

私と母は自分達のアンテナにビビッときたことはどんなことでも挑戦してきました。やるべきかどうかと悩んだ時は、とにかくやろうとポジティブに取り組んできたのです。そうすることで世界が広がりました。

最近、ブログ発信で書くことが好きになってきた私は、新聞の読者欄に投稿を始めました。これまでだったら私が新聞に投稿することなど考えも及びませんでしたが、母のイラスト展を見た人が、その感動を書いてくださったので、お返事のつもりで投稿した記事が採用されたのがきっかけでした。

それから気になることがあると自分の言葉で投稿するようになり、これまでにも何度か投稿が採用されました。

当たって砕けろで挑戦し続けることで、また新しい道が開けてくるのです。
私の記事が取り上げられると母がとても喜んでくれます。

投稿することで親孝行が出来ているようです。
私の友人や知人たちからも楽しみにしているとメッセージを貰うようになりました。

私たち親子は家庭と言う小さな空間にいながら、社会と繋がっていると言う実感があります。すべてはSNSを使ったブログ発信から始まりました。

ここ最近は「このまま死にたくないもん」と、思うことは無くなりました。それは私たちが思い切って、未知の世界に飛び込んだからです。
その事によって、私たちは充実した人生を手に入れることが出来ました。

【10】キラキラ親子のこれから

母は今日もリビングでイラストを描いています。
母に聞きました。
「お母さん、イラストに出会って良かったねー」すると母は
「ほんと楽しいよ、毎日することがあるし、みんなに喜んでもらえる、これもSNSを始めてイラストに出会ったおかげよ」その答えを聞いて私も大きく頷きました。

生き生きとした母の表情を見ていると、イラストが彼女に生きるエネルギーを与えてくれていると思います。90歳で出会ったイラストが母にとって何より一番好きなことだったのです。だからこそ毎日楽しく描き続けられるのです。

「私はこのままの毎日が出きるだけ長く続くことをお願いしたい」と母が言いました。

4年前「このまま死にたくないもん」と嘆いていた私たちは、もうここにはいません。一歩踏み出して本当に良かったと思っています。




最後までお読みいただいてありがとうございました。
たくさんある記事の中から、私たち親子の「やまだのよもだブログ」にたどり着いてご覧いただき心よりお礼申し上げます。
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