【娯楽小説】小さな本屋 エクリルエマチエル〈一折目の物語〉エクリルエマチエルの秘密③
小さな本屋 エクリルエマチエル
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〈一折目の物語〉
エクリルエマチエルの秘密
① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧
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エクリルエマチエルの秘密③
クータが尻からどすんと落ちたのは、老人人形の頭のてっぺんでした。クータが手にしている糸は、たしかに老人の頭に植えつけられていたのです。見上げれば、はるか上空、たしかに梁のうえへ糸が伸びています。
「僕が落ちたところは、あんなに高かったのか」
そんなクータに、突然、うしろから話しかける者がいました。
「ほっほ。怪我はないかね?」
クータがはっとして振り向くと、そこには顔中まっしろい髭に埋もれた年老いた小人がいて、クータを見てにこにこ微笑んでいます。
「はいっ!だいじょうぶです。あなたは誰?」
はじめて会った相手にそうたずねたクータでしたが、実はその小人の声には聞きおぼえがありました。そう、あの老人人形の声です。年老いた小人は言いました。
「わしの名前はプランタン。みんなからは長老とも呼ばれておるよ。それと、これは君も気づいているじゃろうが、この人形の声をやっておる」
そういってプランタンは、じぶんの足元を指さして笑いました。
そして、こんどはプランタンがクータにたずねました。
「君の名は何というのかね?」
「僕はクータです」
「良い名前じゃ」
「そうかな?」
「ほっほ」
プランタンはそんなふうに、しばらく笑ってばかりいましたが、クータからしたら、いちばんかんじんなのは、じぶんがエクリルエマチエルの仲間に入れてもらえるかどうかです。プランタンは長老ということですから、新入りを店に入れるかどうか、その決定を下しているのでしょう。
やきもきしたクータはプランタンに聞きました。
「あの、プランタンさん。ぼくもエクリルエマチエルに入れてもらえますか?」
プランタンはうなずきながら答えます。
「君はこのひとつき、梁の上でいろんな仕事をがんばっていたね。それはわしも見ていたよ。ああいうなんでもないような仕事をきちんとする者は、どんな仕事をあずけても信頼できるものじゃ」
クータはうれしくなりました。長老であるプランタンは、クータの働きぶりをみていてくれたばかりか、信頼できるとまで言ってくれたのです。その口ぶりからしても、合格の判をおしてもらえそうな気配です。
「それじゃあ、ぼくも!」
しかし、はやるクータを制するように、プランタンはその暖かみのある声に一抹のきびしさをくわえ、こんなことを言いました。
「待ちなさい。まだ決まったわけではないよ。さいごにひとつ、たいせつな質問があるのじゃ」
クータは心して聞きます。
「たいせつな質問……それはなにですか?」
プランタンは、こほんと咳ばらいをひとつしてから言いました。
「君の好きな本は、どんな本かな?」
その言葉に、クータはぽかんとするばかりでなく、おもわず聞き返してしまいました。
「ぼくの好きな本?」
「そうじゃよ。それを聞きたいんじゃ」
クータは思いました。好きな本を聞くなんて、たいせつな質問というわりに、なんと簡単なものだろうかと。それなら誰だって答えられそうなものです。
クータはすぐにでも答えられると思って、あまり考えることなく、口を開きました。
「ぼくの好きな本はね……」
しかし、クータの開いた口は、その形のまま固まってしまいました。
「ぼくの好きな本ってなんだろう?」
次につづく言葉が思い浮かばなかったのです。
クータはほんとうに本が好きでした。絵本や図鑑など、小人用の小さい本をたくさん読みましたし、人間の本の破れたページなども拾ってきて、意味もわからず文字をながめたりもしました。しかし、いざプランタンに「どんな本が好きか」と聞かれたら、なんと答えたらよいか、困ってしまったのです。
クータは黙りこんでしまいました。でもこれはクータだけのことではないでしょう。どんなに本が好きな人だって、「どんな本が好きか」と質問されて、それにきっぱりと答えられる人は、そうめったにいるものではありません。
とほうに暮れるクータを、プランタンはすこし寂しそうな目で見つめていました。長くて白いまゆげに隠れていますが、その奥の瞳の色をうかがうならば、「むう。クータは、ほんとうに本が好きなのかな?」と疑っているようでした。
そのむかいで、クータはどうにか質問に答えようと、これまで読んだ本をかたっぱしから思いだしていました。その中に答えがあるかもしれないと考えたのです。蝶が空をとんで外国にいく絵本、鳥のあしあとがいっぱい載っている図鑑、小人が人間の家に忍びこむ物語。どれもこれも大好きな本ですが、それがどんな本で、どうしてじぶんが好きだったかなんて、いちども考えたことはありません。読んで面白かったというだけです。
でも、これに答えられないと、クータはエクリルエマチエルの仲間に入れてもらえないのです。時がたつにつれ、こころなしかプランタンは、もうクータのことは諦めてしまったみたいに、じぶんの耳をひっぱったり、背中をかこうと手をまわしたり、ちょっとたいくつそうにしています。
クータは焦りました。なんでもいいから、なにか答えないといけません。それは分かっているのですが、はたして本のどんなところが好きなのか、たとえばそれは、物語の筋書きなのか、ゆかいで美しい文章なのか、はたまた本の見た目なのか、かんがえればかんがえるほど、わからなくなるのです。どれも当たっているようで違ってる。そんな気がしました。
もう泣きそうになって、わっと逃げだしたくなったクータの頭には、これまでに読んだ本の場面がでたらめに、つぎからつぎへと押し寄せてきました。蝶が海を渡るところ、人間のまんじゅうの中で眠っていた小人がまんじゅうごと食べられたところ、さみしい怪獣がほらあなで泣いているところ。たのしいばかりではありませんが、そんな印象ぶかい場面がクータの頭によみがえります。
「ああ、なんとも忘れがたいページばかりだ」
そして不思議なことに、それらはぜんぜんちがう本の、ぜんぜんちがった場面なのに、それらを思いだしているとき、どれもがクータを似たような気持ちにしました。それは、こころがあたたかいような、でもそこに、すこしさみしさも混ざっているような、そんな不思議な気持ちです。
クータはふと目をつむって、その不思議な気持ちのことを思いました。
「この気持ち、なんというんだっけ?たのしいでもうれしいでもかなしいでもなくて、なにか呼び名があったような……」
その気持ちを、クータはまえに何度も感じたことがありました。ひさしぶりに埃まみれの本を棚から引っぱりだしたり、むかし読んだ本のことを布団のなかで思いだしたりするたびに、夕焼け色のインクをひとしずく水のうえに垂らしたみたいに、クータの心にその感じがぱっと広がるのでした。
そしてだんだん、その気持ちをあじわうことが、クータにとって、本を読むなによりの幸せだという気がしてきました。
「そうなんだ。ぼくはあの気持ちが好きなんだ。本を読んでいるときも楽しいけれど、あとから思いだしてあの気持ちになったとき、ぼくはとても幸せなんだ。ほんとうにあったことみたいで、忘れられなくて、あとから読みかえすと、うれしいこともかなしいこともひっくるめて、大切な思い出になっているんだ。ああ、あの気持ち、なんというんだっけ」
うんうん唸るクータがもういちど、蝶が海を渡る場面を思いだし、嗅いだはずのない潮の香りが鼻にふわっとよみがえったときでした。あの気持ちがクータの心にぱっと広がったかと思うと、突然ひらめいたみたいに、クータの口からこんな言葉が飛び出しました。
「そうだ!思いだした!それってみんな、なつかしい!」
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