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【娯楽小説】小さな本屋 エクリルエマチエル〈一折目の物語〉エクリルエマチエルの秘密⑦

小さな本屋 エクリルエマチエル

扉(概要・目次)

 この作品では、各エピソードを本作りの用語にちなんで、おりと表記しています(一おり目の物語など)。
 エピソード(おり)は複数の記事に分割されていて、最初の記事が①です。また、一部の記事を有料販売します。

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〈一折目の物語〉
エクリルエマチエルの秘密
      ⑦ 

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エクリルエマチエルの秘密⑦

 ペルエに説明してもらって、ようやくクータにも、この部屋で本が作られる工程が見えてきました。しかし、それは本の作り方を知っただけ。これからクータはどこでどう働けばいいのでしょう。さっき先輩の小人に「邪魔するな」と言われましたし、たしかにクータはどこにいっても役に立たないのです。クータはもういちど悲しくなって言いました。
「教えてくれて、ありがとうございます。でもぼく、どこでなにをすればいいのか。仕事して手伝いたいけど、何もできないし……」
 そのときでした。クータの足もとのほうから、体が跳ねあがるほどの怒鳴り声がしたのです。
「おい!新入り!」
そこにいたのは、さっきクータを怒った先輩の小人でした。
「おまえ、なにサボってるんだ!!」
クータは言いました。
「え、でもさっき邪魔だからすっこんでろって……」
「ばかやろう!だからってサボっていいわけないだろ!早く降りてこい!」
「ひっ!」
クータは戸惑いました。降りなくてはいけないけど怖いし、降りなかったら、もっと怒られるのは明らかです。
 そんなクータを横目に見ながら、ペルエはぐびぐび酒を飲み、それから「うひひ」と笑いました。でもそれは、クータを祝福している笑いでした。ペルエはクータの肩に手をかけて言いました。
「ほら。初仕事だぜ」
クータは、はっとしました。ペルエはそんなクータの背中をばしんと叩き、「おめでとう」というかわりに、ぐっと笑いました。

 駆け足で下におりたクータにむかって、待ち構えていた先輩の小人は、口をへの字に折り曲げて聞きました。
「紙の裁断はできるか?」
「いいえ」
「糊づけはできるか?」
「いいえ」
「ヤスリは使えるか?」
「いいえ」
先輩はとうとう怒りました。
「なんだ!何もできないじゃないか!そんなら活字でも洗ってろ!」
「ひぃ!」
 クータは先輩に突き飛ばされるように、部屋の隅に連れていかれました。そこは印刷の部門の縄張りでしたが、クータが来たのはその壁ぎわ。そこには、水を張った桶が何個もならんでいます。そしてその脇に、金属の活字が山のように積みあがっているのでした。
「これを洗うんだ」
クータは活字というものを初めて間近に見ました。活字ひとつの大きさは、クータの両手にすっぽり乗るかどうかというものです。その大きさや形を何かにたとえるなら、厚切りの食パンくらいのものでしょう。ただ、それはもちろん金属でできていますし、底には「る」とか「月」などの文字が彫られていて、粘りのあるインクで黒く汚れているのでした。
「これが活字か……」

 本の文字というものは、この活字によって印刷されていると、クータはさっきペルエに教わりました。しかし、いざ現場に来てみると、その数の多さに驚かされます。
「とんでもない数がありますね」
クータはおもわずつぶやきました。すると、先輩の小人は、ちょっとうんざりした顔で、
「そうだ。1ページに数百文字あるんだからな。ああやって、みんなで活字を並べて、片っ端から打っていくんだ」
と言って、作業場のほうへ目をやりました。その目線のさきには、大きな紙のうえに活字を並べている小人や、それを巨大なトンカチでカンカン打つ小人がいます。みんな汗だくになりながら、しかし、バネが飛ぶみたいにぴょんぴょん動きまわっているのでした。
 先輩は言いました。
「印刷で汚れた活字はまた使う。だから、使い終わった活字をきれいに洗わないといけないんだ。それが、お前の仕事だ」
仕事という言葉に、クータはピッと背すじが伸びました。
「はいっ!わかりました!」
「洗い終えた活字は雑巾ぞうきんでふいて、壁ぎわにひっくり返して並べておくように。それから、洗うのはこれを使うんだ」
そういって、先輩の小人はたわしをひとつ、ポンとクータに渡しました。ちょっと汚れた、どこにでもあるたわしです。ですがクータには、手のうえに乗っけられたそのたわしが、とてもたわしとは思えないくらい、なんだがものすごく重たいもののように感じました。

 先輩が去り、クータはさっそく仕事に取りかかります。
「よし!やるぞ!」
活字は山のようにあります。とりあえずクータはそのひとつを持ちあげました。
「おもい!」
クータは両腕が肩からすっぽ抜けるかと思いました。活字は金属の塊ですから、子供からしたら運ぶだけで一大事いちだいじです。クータは腕をぷるぷるさせながら活字を運び、投げるように活字を桶にいれました。ざぶんと音がして、水が飛びちります。
「つめたい!」
 しかし、そんなことは言ってられません。クータは袖をまくりあげると、ぶんぶんと格好よく腕をまわしてから、さっそく活字を洗いはじめます。クータがたわしで活字の硬い表面をなぞると、シャッシャッと心地よい音がしました。そして、冷たい桶の水がさっと黒くなるのです。これはまぎれもなく、インクが落ちている証拠。クータはそれがたのしくて、シャッシャッシャッシャッと得意になって、活字の表面を力いっぱい磨きました。
 クータは、字の形もかんがえて、ちゃんとていねいに洗いました。というのも、その文字は「る」だったのです。さいごの丸いところにインクが溜まるであろうことは、名探偵でなくても予想できます。クータはその丸のなかに、たわしの先を突っ込んでぐるぐる回しました。こういう細かいところを知らんぷりする人もいますから、この点、クータの掃除の才能は、どうやら人並みにはあるようです。
「よし!」
活字はきれいになりました。クータはどういうわけか、じぶんまで風呂に入ったような、さっぱりした気分になりました。
 クータが洗い終えた活字を桶から取りあげると、活字の角から灰を溶いたような黒っぽいしずくがしたたります。それに、ふと見れば、クータの腕も桶に浸けていたところだけ、真っ黒に染まっているのでした。水や腕は汚れましたが、そのぶん活字の表面はぴかぴか鈍い光沢を放って輝いています。クータはそれを雑巾でふいて掃除を完了させると、まるで額に入った絵でも飾るみたいに、壁に「る」を立てかけました。

 やっとひとつ洗い終えたクータは「ふぅ」と一息つきました。しかし、積まれた活字の山はまだまだ高くそびえています。クータはそれからも、活字をひとつずつ、どんどん洗っていきました。クータは人間の文字をよく知りません。だからこの活字洗いは、クータにとって文字の勉強になりました。どの活字にも、それがなんと読む文字なのか、小人の言葉で記されていたからです。
 文字についてクータがなにより驚いたのは、活字には実にいろいろな種類があるということです。よく見かける「た」とか「す」だけでなく、「歳」とか「闇」みたいな文字もあり、こいつらは形が複雑ですから、洗うのがとても大変でした。それでもクータは、見たことない字をみつけると、なんだか隠された宝を探しあてた気分で爽快でした。「、」の活字を見たときなんて、「なんて変な字だ!」と笑ってしまいました。でも、「、」はたいへん洗いやすくて楽ですから、クータはこの字が好きになりました。
 クータは次から次へと出てくる文字を見ながら思いました。
「これが集まって文章になるのか」
先輩の小人は、本の1ページに数百の文字があると言いました。読むときはそんなもの1分もあれば読んでしまいますが、それを印刷するとなると、気が遠くなるほど大変なことです。文字を印刷するのに、活字にインクをつけて並べ、上から金槌で打ち、そしてそれを洗っているなんて、クータは想像したこともありません。クータはその作業の全貌を知って、本作りがいかに途方もないことであるか、その恐ろしさを垣間かいま見た気がしました。

 そんなことを考えながら、クータは活字を洗い続けました。いつしか汗がだらだらと垂れてきて、それを腕でぬぐうたび、顔にはインクまじりの水がつきます。クータの顔はいつの間にか真っ黒になってしまいました。
 ですが、クータの顔が黒くなるにつれ、だんだん活字は片づいていきます。あんなにうずたかく盛り上がっていた山も、あとはふもとに散らばっていた活字がいくつか転がっているだけです。
「よし、あらかた片づいたな」
クータはへとへとに疲れていました。でもクータは、ここで気を緩めてはいけないと思いました。なぜかというと、クータは人間のことわざを知っていたのです。
「百里をいくものは、九十里をなかばとする。終わりが近づいても安心しちゃいけない。さいごのひとつまで気はぬけない!」
 そう決意したクータでしたが、そのときふと見えた光景に、我が目を疑いました。印刷場所から数人の小人がこちらへやってきたのですが、彼らはみな、誕生日に食べる十段がさねのホットケーキみたいに、じぶんの頭より高く積みあげられた活字を、両手に持って運んでいるのです。そして彼らはクータの側にがらがらと、その活字を打ち捨てていきます。
「これも洗っといて」
小人たちはそう言い残して去っていきました。クータの側には再び活字の山ができています。活字は印刷に使ったものでしょう。字の面がインクで汚れていました。そしてそれは、今までクータが洗ったのと同じくらいの数があったのです。クータはくらっとして、意識が消えるような気がしました。クータがこれまでに終えた仕事は、ことわざではなく、ほんとうに道なかばだったのでした。

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つづく

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