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【娯楽小説】小さな本屋 エクリルエマチエル〈一折目の物語〉エクリルエマチエルの秘密②

小さな本屋 エクリルエマチエル

扉(概要・目次)

 この作品では、各エピソードを本作りの用語にちなんで、おりと表記しています(一おり目の物語など)。
 エピソード(おり)は複数の記事に分割されていて、最初の記事が①です。また、一部の記事を有料販売します。

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〈一折目の物語〉
エクリルエマチエルの秘密
 ②      

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エクリルエマチエルの秘密②

 客が帰った店の中で、例の老人は相変わらず中空を見つめながら椅子に座っていました。しかし老人は、とつぜん気が狂ったように頭を上下に揺さぶりはじめたかと思うと、首がもげて飛んでしまいそうなほど、何度も何度もお辞儀じぎをくりかえしました。この様子を見た人は誰だって、老人が悪霊に取りかれたと思ったことでしょう。
 しばらくしてお辞儀をぴたりとやめた老人の遥か頭上で、小さくも威勢のいい声がしました。
「なんておかしな動きだ!そんなんじゃ、また気味わるがられるぞ!」
それにこたえて、気弱な声がします。
「へ、へい……もいちど、やってみます」
すると、今度は一度だけ、老人はゆっくりお辞儀をしてから、また頭をもとの位置に戻しました。先ほどよりは、だんぜん自然なお辞儀です。ですが、そんな老人の頭をよく見てみると、てっぺんに逆立つ毛が一本生えていて、でもそれは髪の毛ではなくて、蜘蛛の糸のようにずっとずっと真上に向かってピンと張りながら、はりのほうへ伸びているのでした。

 梁の上には、もちろん人などいません。が、その細い糸をたどった先には、石油ランプのおぼろな明かりに照らされて、子ネズミくらいの生き物の影が、大中小と三つ並んでいるのでした。そのうちの、中くらいの影が言いました。
「これ以上なめらかな動きはできませんぜ。なんせ、一本の糸で操るんだから……」
それは小人でした。人間の形そっくりの、しかし、人間の親指ほどの大きさしかない小人だったのです。
 老人の頭から昇る糸は、今しゃべった中くらいの小人が握っています。その糸を持った者にむかって、体の大きな小人が言いました。
「うるさい!頭から何本も糸が生えてたら、あの爺さんが人形だって、客に気づかれるだろ!」
「そ、そうでやすね……」
やっぱり、あの老人は人形でした。そして、それを操っているのは、小人だったのです。しかも、小人はひとりではなく、梁の上に三人もいます。この店はなにか変だと思いましたが、やはりとんでもない秘密があったのです。

 三人のうちのもうひとりは、ひときわ小さな小人でした。それはまだ子供で、他の二人の背後に立ち尽くし、高いところが怖いのか、ぶるぶる震えているみたいです。その子は青いチェックの帽子をかぶり、同じ生地のチョッキを着ていてさわやかでしたが、ズボンは麻袋を切って作ったようなボロでした。
 その子供の小人にむかって、大きな小人が怒鳴りました。
「おいクータ!なにしてる!はやくランプに石油を足してこい!」
クータと呼ばれた子供の小人は、びくっとして答えました。
「はっ、はいっ!いってきます!」
クータは言ったそばから駆け出しました。小人たちは二本の梁が十字に交わるところにいたのですが、クータはそのうちの一本、部屋を縦に走る梁のうえを駆けぬけます。小人とは言え、細い梁の上を走るのですから、右に落ちても左に落ちてもクータの運命は死ぬばかり。とても危険です。

 すぐにクータは、部屋のちょうど真ん中あたりにたどり着きました。そこから真下に、例の石油ランプがぶら下がっていて、あいかわらず赤い炎をゆらめかせています。ですが、心なしか勢いが弱っているようで、火の中に影があるみたいに、ときどき黒っぽくくすぶるのでした。
 クータは梁に並べられていた石油缶のひとつをひもで縛って背中に担ぐと、ランプを吊るしている金属の紐につかまり、するすると下へおりました。ランプが近づくにつれ、下からの光がだんだん強くなり、まぶしさに目がくらみそうです。
「下をみない。下をみない」
このランプにはかさが取りつけられていましたので、おりてきたクータはその笠の上にぴょんと跳びうつりました。笠はせいぜい皿をひっくり返したくらいの大きさですが、小人にとっては十分な足場。ぱっと格好よく降りたって、やっとクータは下を見ました。ランプの下はひときわ明るく、床板の古い木目までくっきりと見えます。やっぱり高くて怖かったクータには、一瞬、その木目がぐるぐると渦巻いて、ぐんと近づいて見えました。
 それからクータは笠と火屋ほやのすきまに入りこむと、笠に取りつけられたロープをつたって下へおり、やっとのことで石油を入れるタンクにたどり着きました。
「よし」
クータは注ぎ口をまたぐようにタンクに腰かけ、ぐるぐる回してふたを開けると、ぽっかり口を開けたタンクの中へ、背負っていた石油缶からばしゃばしゃ、目にまでみるような匂いのする、きいろっぽい液体を注ぎました。

 クータが石油を注ぎ終え、タンクの蓋を閉めるころには、ランプの芯が石油を吸って、炎はみるみる生き返りました。クータは仕事を終えてほっとして、そこに座ったまま、ぐるりと部屋を見渡しました。部屋はクータの背の何十倍もある高い本棚に囲まれ、その中にびっしりと書物が詰めこまれています。
 その本たちは燃えさかるあかりに照らされ、背表紙の文字まで判別できるようでした。クータは人間の字が読めませんでしたが、文字の中には金銀の箔がされたものもあり、「あ」とか「K」とか「学」とかの文字がきらきら光り、炎のゆらめきに合わせて闇のなかに現れたり消えたり繰りかえすのでした。
「本ってきれいだなあ。早く本作りの仲間にはいりたいなあ」

 クータはしばらくそんなことを考えながら、本の背表紙に見とれていましたが、
「いけない。はやく戻らないと」
と我に帰って、急いで来た道を引き返しました。ランプの紐を猿みたいによじのぼり、それから長い梁を走って、二人の先輩がいるところへ帰ったのです。
 クータを待ち受けていた二人のうち、大きい方の小人が言いました。
「ちゃんと石油を注いだか?」
「はいっ!たしかに」
「タンクの蓋は閉めたか?」
「はいっ!たしかに」
「ところでクータ、今日は何月何日だ?」
「はいっ!たしかに」
「ばかっ!」
大きな小人はあきれたように、手元の手帳をめくりながら言いました。
「今日は天文小人暦で、簑虫みのむし月の十五夜だ。クータは先月、つまり木枯らし月の十五夜に働きだしたから、今日でちょうどひとまわりだな」
 クータはそれを黙って聞いていましたが、頭の中では、このひとつきのことを、パラパラと日記をめくるみたいに思いだしていました。クータは先月、小人仲間から噂を聞いて、このエクリルエマチエルのことを知りました。本が好きだったクータは、さっそく喜んでやって来たのです。
 が、クータにもすぐに、このエクリルエマチエルは、どうにも秘密の多い本屋だということが分かりました。はじめのうちは、ぜったいに奥の工房に入れてもらえませんし、本にも触らせてもらえないどころか、近づくことも許されません。そのかわり、しばらく店で雑用をして、働きが良ければ仲間に入れてもらえるということでした。クータはどうしてもエクリルエマチエルで働きたくて、このひとつき、先輩の小人に言われるまま、石油の注ぎ足しとか帳簿への書き込みなど、本作りとは関係のない、じつにこまごまとした仕事に励んだのでした。

 大きい小人が言いました。
「クータ、おまえは失敗も多かったが、本とは関係のない仕事もきちんとやっていた。そういうやつは信用できる」
もうひとりの小人がいいました。
「へへ、ひとつきたったからには、お前を長老に紹介してやるさ」
クータはよく分からないけど言いました。
「はいっ。ありがとうございます。ところで、長老とはだれですか?どこにいますか?」
すると、糸を持った小人が笑いをこらえるように、顔をななめに引きつらせながら言いました。
「クータ。それよりおまえ、この糸を持ちな」
クータは糸を持ちました。それは、下の老人人形につながっているあの糸です。
「そしたら、梁のはしに立ってあっちを向きな」
 クータが言われたままにすると、それを見たふたりの小人は、クータのうしろで悪だくみするように顔を見あわせてニヤッと笑いました。もちろんクータはそんなこと知りません。ぼーっと立っています。そんなクータの背中を、ふたりはやっぱり、ぽんと押しました。
「わっ!」
クータは梁から落ちました。頭が下、足が上。まっ逆さまです。
「わーっ!」
じぶんの声もぐんぐん遠ざかりますが、もっと頭の上の方から、あの二人の愉快そうな声がします。
「ははは!手を放すなよ!」
「つらくても泣きべそかくんじゃねえぞ!」
そんな声もあっという間に聞こえなくなり、クータは風に吹かれた旗のようにくるくる回転しながら、糸を伝って下へ落ちていきました。

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つづく

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